第七部 『阿山組と関西極道編』
第二話 呪縛
真子が制服に着替え、登校する準備を終えた。ランドセルを背負って、部屋を出て行く。そして、少し離れた所にある部屋の前に立ち、ノックする。 部屋の主は、返事をする前にドアを開けた。
「じゃぁ、行こう! 真子ちゃん」
「はい、真北さん。お願いします」
真子の返事を聞いた途端、部屋の主・春樹は、真子と一緒に出掛けていった。
慶造は、食堂でのんびりとしていた。 そこへ顔を出したのは、栄三だった。
「四代目、お嬢様と真北さんが一緒に出かけたんですが…。
それも、徒歩ですよ? 車を回すのでしたら、私が……」
「いいんだよ。真子の希望だ」
慶造は素っ気なく応える。
あらら、ご機嫌斜めですか…。
そう思いながらも、栄三は、慶造の側に立つ。
「で、例の資料は?」
「食後のデザートに」
「あぁ」
「……で、お嬢様は何をご希望されたんですか?」
「徒歩で登校」
「はぁ?」
「知らんとは言わせんぞ、栄三」
「いや、本当に、知らないんですけど……」
「………栄三が知らんとはな……」
静かに言う慶造に、栄三は恐縮そうに首を縮めた。
「何をしていたんだか…」
と呟いて、慶造は、一昨日の事の次第を一部始終、語り出す。
真子の手を引いて、春樹は歩いていく。真子は、周りの景色を一つ一つ逃さないようにと、じっくり見つめ、頭に叩き込んでいく。そして、学校に到着した。
「ほんとだ! 私、反対に歩いていたんだ…」
「この道は、一方通行だから、こっちからしか車は走れないからね」
「そっか、それで、帰りは向こうをずっと走っていったんだ」
「来た道は、覚えた?」
「帰りも歩きたいな…」
「では帰りも徒歩で帰りましょう。迎えに来ますから、それまでは
教室で待っておくこと」
「はい!」
「では、行ってらっしゃい」
「行ってきます! 真北さん、ありがとう。帰りもお願いします」
「はい」
「お仕事、頑張って下さいね」
「ありがと」
真子は笑顔で手を振って、校門をくぐっていった。春樹は真子の姿が見えなくなるまで見つめていた。
春樹が本部に戻ってきた。玄関先で、慶造の居場所を聞き、そして、組長室へと向かっていった。
「おぅ、お帰り」
慶造が組長室から出てくる所だった。
「どこに行く?」
「真子は無事に登校したのか?」
「帰りも徒歩だそうだ。…で、今日は一日、ここだろう?」
「急な予定が入っただけだ。栄三と一緒だ」
「それは、俺が許さない」
「お前には関係ない事だからさ」
「……無茶だけはするなよ」
素直に認めた春樹に疑問を抱く慶造は、春樹をジッと見つめた。
「美穂ちゃんに診てもらえ」
「大丈夫だ」
「動きが鈍ってるなら、そう言えっ。おい、山中! 美穂ちゃんに連絡」
「御意」
少し離れた所で待機していた勝司は、素早く行動に出る。
「大丈夫だって言ってるだろ! 山中、いらん世話だ!」
と春樹が言っても遅かった。既に連絡を終え、受話器を置いたところだった。
「ったく、素早くなってからに……」
ふてくされたように言う春樹に、慶造は微笑んで、そして、栄三と出掛けていった。
「五分で来られるそうです」
勝司が静かに伝える。
「慶造の向かう先は?」
「それは、私にも仰りませんでした」
「山中に言わないなら、行き先は解る」
「そうですね」
そう言うと、勝司は深刻な表情になった。
「どうした?」
「あっ、すみません。例のことが気になりまして…」
「例のこと?」
「今年は、無かったと思いまして…」
「あぁ、そうだな。…術の効力が続いているのかもしれない。
それよりも、学校に行き始めた事が、心を和ませてるんだろうな」
「このまま、現れなければ、良いんですが…」
「心配か?」
「えぇ。…山本に鍛えられた体では、もし現れたら、今まで以上の…」
「……その時は…」
「えっ?」
春樹は小さく呟いた。その呟きは、勝司の耳に届いていた為、思わず聞き直してしまった。しかし、春樹は、それ以上何も言わず、静かに医務室へと向かっていった。 それと同時に、美穂が、怒りの形相で…………。
『すまん…来てくれるか?』
芯は、ふてくされた表情で電話を切った。
「どうした、芯」
同居している親友の翔は気になったのか、声を掛けてきた。
「ん? あ、あぁ。真北さんがな、怪我しててさ」
「それで、治るまで真子ちゃんの世話を頼まれたのか?」
「まぁ、そうだけど」
「嬉しいくせに、暗い表情だな」
「お嬢様に会えるのは嬉しいけど、…怪我した理由がなぁ」
「それが真北さんなんだろ。それに、芯が気にすることないだろが」
「まぁ、そうだけど…」
煮え切らない芯だった。
芯は荷物を用意し始める。
「大学は?」
「本部から通うよ」
「解った。じゃぁ、大学でな」
「あぁ」
「真子ちゃんが心配するような事は絶対にするなよ」
「あがぁ、もぉ、解ってるって」
あまりにも心配するような翔の言葉に、思わず怒り出す芯。
「じゃぁ、あとは宜しく」
短く言って、芯は真子の居る阿山組本部へと向かっていった。
慣れた感じで門を通り、門番とも短く挨拶を交わす。下足番や廊下ですれ違う組員達とも軽く挨拶を交わし、春樹の部屋へと向かっていった。 その途中にある庭に春樹の姿があることに気付き、近づいていった。
「今日は休講だったから良かったものの、大学に行っていたら
どうされるつもりだったんですか?」
「大学に迎えに行った」
「あのね…」
春樹の言葉に呆れる芯。
「怪我の程度は?」
「真子ちゃんに気付かれない程度」
「それなら、大丈夫でしょう?」
「一緒に風呂には入れない程度」
「……それなら、怒られますね…」
「まぁな」
そう言って、煙草に火を付ける春樹。
「慶造さんに停められたんですか?」
「あぁ」
煙を吐き出す春樹を見つめる芯は、春樹の隣に腰を下ろした。
「お嬢様は夕方ですか?」
「それまで、話し相手になってくれよ」
「嫌です」
力強く応える芯に、春樹は苦笑いしていた。
「夕方になるなら、何も直ぐに来いと言わなくても…」
「お前が迎えに行ってくれよ」
「……。…はぁ?」
「真子ちゃんな、通学路を知らなくて、今日から暫く徒歩で
通うと言い出したんだよ」
「通学路を知らないって。……そうですね。送迎は車だと
ここまでの道は、徒歩では遠回りになりますね」
「今日は徒歩。今朝送ってきた所なんだよ」
「……………私を迎えに行かせて、あなたは何をするつもりですか?」
「本職」
「怪我をしているのに?」
「本職なら、これくらいの程度は大丈夫」
「改めて言わなくても解ってます」
「はいはい」
沈黙が続く。 ライターの小さな音が聞こえ、二筋の煙が空に上っていく。
真子が通う学校では、授業が終わり、生徒達が下校していた。その中を、一人寂しく歩く真子。校門の所まで来た時に、顔を上げ、誰かを捜していた。その表情が、急に明るくなった。
「ぺんこう!」
そう言って手を振りながら駆けていく真子。真子の声を耳にした途端、真子を待っていた芯の表情も明るく変わった。
「どうしたの? 大学は?」
芯が居ることに驚きながらも、真子は芯の事を心配していた。
「今日と明日は休講なので、本部に顔を出したんですよ。
そうしたら、真北さんから頼まれました」
「真北さん…仕事…忙しかったんだ…」
暗く言う真子に、芯は微笑みながら、真子の前にしゃがみ込み、真子の顔を見上げた。
「急な仕事を言われただけですよ。それまで本当に暇だったみたいです。
だからお嬢様が心配なさることではありませんよ」
「はい。…ありがとう…ぺんこう」
「それでは帰りましょうか」
「はい!」
「帰りは、お嬢様に案内してもらいましょう! 道は覚えましたか?」
「任せてっ!」
元気よく応える真子だった。
真子と芯は仲良く並んで歩いていた。真子は芯に、学校の出来事を色々と楽しく語っていた。真子の話に耳を傾け、時には優しく応える芯。
笑顔…増えて良かった。
ふと思う芯だった。
その日の夜。春樹から帰る時間が遅くなるとの連絡があり、少し寂しそうな表情をしていた真子だが、予定以外の芯の訪問に嬉しくてたまらない様子だった。 一緒に風呂に入り、宿題を見てもらい、一緒に布団に入る事になった。 真子の話は、なぜか尽きない。 飛鳥の自宅に遊びに行った事とその原因となった事も、おもしろ可笑しく話す真子に、芯の心は和んでいた。
そして、その時が来た……。
芯は夜中に目を覚ます。 いつもなら、目を覚まさないのだが、ふと嫌なオーラを感じ取ってしまったらしい。 隣では、真子が穏やかな表情で眠っていた。 仕事帰りには、一番にやって来るはずの真子の部屋。 しかし、どこかで足止めを食らっている様子。 慶造のオーラも感じている芯は、何が起こっているのか、把握した。 それでも気になる為、そっと布団から出て、真子を起こさないように気を配りながら、真子の部屋を出てきた。 春樹は、廊下の突き当たりで、足止めを食らっていた。芯の姿に気付き、軽く手を挙げる。芯は近づいていった。
「山本先生、すまなかったな。こいつが出掛けてるとは
俺も知らなかったんだよ」
「私は御一緒だと思ってました。本職だと言っていたので、
また、何か問題でも起こったのかと思っておりましたよ」
刺々しい言い方に、慶造は苦笑いをする。
「ったく、二人で俺を責めるなよ」
「責めてないっ!」
「責めてません!!」
春樹と芯は、同時に応える。
「揃って応えるなっ!」
「お嬢様ですが、暫くは徒歩で通いたいと仰ってます」
芯が、この日の真子の事を慶造に伝える。
「そうか…。真北には毎日とはいかないよな。栄三にでも
頼んだ方がいいかな…」
「八造くんは?」
「猪熊の代わりをかって出てるから、暫くは無理だ」
「そうですか…。私の時間があれば、私が御一緒するのですが…」
「山本ぉ〜。何度も言いたくないぞ、俺は。休み以外は来るなと
言ったはずだけどなぁ…………って、急に呼びつけた男は
何、勝手に真子の部屋に向かってるんだよっ! こら、真北!」
芯と慶造が話し始めた途端、春樹は真子の部屋に向かって歩き出していた。それに気付いた慶造が声を掛けたが、既に遅し。春樹は、真子の部屋に入っていった。
「ったく、あいつはぁ〜。真子の寝顔で体を回復させるなって」
呆れたように言う慶造に、芯は微笑んでいた。
「子供好きですから、仕方ありませんよ」
「お前も昔は、そうされていたんだろが」
「知りません」
「そっか。寝ていたら解らんわな」
「あのね、慶造さん〜、………!!!」
慶造の言葉に怒りを覚えた芯だが、背筋が凍る程の何かを感じ、その方に振り返る。 そこは、真子の部屋。 ドアの隙間から、微かに赤い光が見えていた。 すると突然、大きな物音が聞こえてきた。
「慶造さん、あれは…」
「少し話した事があったよな。あれが、真子に潜んでいる
赤い光だ…」
「それは、ちさとさんの命日にしか現れないと……」
「何が原因で現れるのかは、未だに解ってない! 覚悟しておけよ」
「えっ?」
「八造君が本気になって、やっと納まる程、凶悪だ!」
「…!! って、真北さんは怪我人ですよ! あの体では!!」
そう言うと、芯は素早く真子の部屋に駆けつける。そして、ドアを開けた。
う、うそ……だろ……。
真子の部屋は、真っ赤に光っていた。その中央で、春樹が真子を抱きかかえていた。ドアが開いた事で顔を上げる。
「芯…来るなっ」
その悲痛な声に、芯は動けなくなる。微かに聞こえる、何かが滴る音。それが、春樹の傷口から滴る春樹の血だと解った芯。その途端、芯は驚いたように口を押さえ、後ずさりしてしまう。 春樹が来るなと言ったのは、自分の傷口が開き、血が滴っているのを芯に見せたくなかったからだった。しかし、芯には、解ってしまった。
「慶造、芯を…頼むっ」
ドア付近に立っていた慶造に、春樹は言った。
「それより、真子の事は…」
「今回は、今まで以上だ!」
春樹の声と真子の赤い光のオーラに気付いたのか、栄三と八造が駆けつける。
「真北さん!」
二人が同時に呼ぶと同時に、春樹は、赤い光の真子に蹴られ、壁に飛ばされてしまった。
うぐっ!
背中を強打した春樹は、床に倒れる。 赤い光の真子は、床に倒れた春樹に近づいていく。その気配に顔を上げた春樹の胸ぐらを掴み上げる。春樹は、それでも抵抗しない。 芯は、春樹と真子の様子を見つめていた。
兄さん…どうして……抑えないんですか……。
そう思い、春樹を助けようと体を動かすが、なぜか、動かない。それどころか、足の力が抜け、体が急に震えだしてしまった。 その途端、芯は視界を遮られた。
「見るな」
それは慶造だった。芯の視界を遮るように、慶造は、芯の目を塞いでいた。 慶造は、八造と栄三に振り返る。その眼差しを見ただけで、八造は赤く光る真子へ向かい、栄三は、春樹を守るように、春樹の体に手を伸ばした。
赤く光る真子は、八造と栄三の姿に気付き、振り返る。 口元を不気味につり上げて……。 次の瞬間、赤く光る真子は、八造に拳を差し出した。軽く避ける八造。その隙を見て、栄三は春樹の体を支えて、少し離れた所に連れてくる。
「いつも以上だぞ、八造君!」
春樹の言葉を耳にした八造のオーラが急変する。 まるで、相手を倒す事を楽しいかのような、言葉に出来ないほど恐ろしいオーラだった。 それには、赤い光の真子も気圧される。 しかし、今年の赤い光の真子は、更に狂暴化していた。 真子の体を包む赤い光が、更に明るく輝き始めた。 真子の左手の爪も、不気味に伸び始める。 八造は気合いを入れ、目にも止まらない程の蹴りを、赤い光の真子に向ける。 しかしそれは、尽く避けられてしまった。それどころか、八造に蹴りを差し出してきた。 その勢いは、八造の蹴りよりも素早く、そして、当たるとずしりと重たいものだった。 流石の八造も、その場に座り込んでしまう。 その様子を肌で感じていた芯は、自分の目を塞ぐ慶造の手を掴み、そっと引き離した。
「山本先生…」
「慶造さん、恐らく、八造くんでも無理です」
静かに言った芯は、春樹に目をやった。
「……それよりも、あなたに聞きたい事があります。
…お嬢様を停めたら、教えてください」
春樹の返事を聞くよりも先に、芯は行動に出る。
床に座り込んだ八造に、留めの拳を振り上げた赤い光の真子。 しかし、その目線は、別の所に移された。 それは芯だった。 芯の表情こそ、血に飢えた豹のように鋭く眼光で、不気味な微笑みを浮かべていた。
「覚悟してください」
そう言うと同時に、芯は、赤い光の真子に、拳を連打した。 その一発が、真子の鳩尾に入った。
「芯っ!!」
春樹の声と同時に、赤い光の真子は、赤い光を失いながら、その場に倒れてしまった。 真子に拳をぶつけた芯に駆け寄る春樹。
「お前、真子ちゃんに何をっ!」
「こうでもしないと、誰もが傷つきます。そして、一番傷つくのは、
お嬢様じゃありませんかっ! 何を遠慮してるんですかっ!
大切なものを守るのに、躊躇う必要は、ないでしょう!!」
春樹の言葉を遮るように、芯が怒鳴った。 その言葉は、その場にいる者の心に突き刺さる。 春樹は、ぐっと唇を噛みしめ、何も言えなくなった。
「どうして……手を出さないんですか? どうして…」
芯に応える事もせず、春樹はそっと立ち上がり、ふらつく足取りで真子の部屋を出て行った。
「……出さないんじゃなくて、出せないんだよ」
栄三が、そっと応える。
「そして……俺もだ…」
短く言って、栄三も部屋を出て行った。
「えっ?」
栄三の言葉に疑問を抱く芯。
「赤い光が生まれたのは、ちさとさんが亡くなった直後から…。
本来、抱いても可笑しくない怒りの感情。復讐したい気持ち。
お嬢様は、それをグッと抑えた。…抑えたというより、
沸き立った気持ちが、何なのか解らなかっただけだろう。
だけど、その時、お嬢様の特殊能力が働いたことには、
気付きもしなかった」
八造が、ゆっくりと体を起こしながら言った。
「青い光の事は聞いている。そして、赤い光は、青い光とは
正反対だということも。…だけど、あそこまで人を人と思わない
人物に変貌するとは、思わなかった……」
先程の赤い光の真子を思い出したのか、芯は身震いする。
「その原因が、ちさとさんが目の前で亡くなった事。ちさとさんを
守れなかった二人は、その事に対する謝罪の意味もあると思う。
赤い光のお嬢様に対しても、絶対に手を出せないみたいだよ」
「お嬢様を守るんじゃ…」
「怒りを発散させる事で、赤い光を納めようとしてるだけさ…」
慶造が、そっと応えた。
「慶造さん……」
「それよりも、山本先生の事だが、大丈夫か? あまりの恐ろしさに
腰でも抜かしたのかと思ったが…」
「いいえ、その………!!! 真北さんの怪我は?」
「栄三が診るから安心しろ」
「私は大丈夫です。それに、お嬢様に向けた拳は、いつも稽古をしていた時と
同じ威力ですから、気になさることは…」
「……って、赤い光の真子が恐れる程の威力を発しているのか?!」
真子に稽古を付けていた芯。その時の手合わせは、本当に手加減していなかった事を、この時知った、慶造と八造だった。
「そりゃ、狂暴化するわけだ……」
慶造が呆れたような感心したような雰囲気で言った。
「すみません…そのようなつもりは…」
芯は、恐縮そうに首を縮める。
「そう落ち込むな。俺の方が悪いからな。…真北は…」
「!!!」
大切な何かを思い出したかのように、ハッとした表情をした途端、芯は、医務室に向かって駆けていく。
ったく、態度に出すなよ。兄弟揃って…。
フッと笑みを浮かべ、温かい眼差しで芯の後ろ姿を見つめる慶造。真子の側から離れようとしない八造に目線を移した。
「どうだ?」
「その……」
八造は、真子の服を少しだけめくり上げ、鳩尾辺りを見せる。 真子の腹部には、赤いあざが残っていた。
「…………手加減無し……か。…八造君は寸前で停めるのになぁ。
山本先生は、無理なのか」
「いいえ。今回は寸前で停めても赤い光は消えなかったと思います。
昨年以上の強さに、私は戸惑ってしまいました。…山本先生の
行動は、正しかったと判断しても良いでしょう」
「そうか」
慶造は短く応えた。そして、眠る真子の頭を優しく撫で、
「あとは、頼んでいいか?」
「はっ」
「真子の次に心配なんだよ」
慶造の言いたいことが解ったのか、八造は笑みを浮かべた。
「気をつけて下さい」
「解ってる」
八造が言ったのは、
とばっちりを受けないように
という意味が含まれていた。
慶造は医務室へやって来た。 しかし、予想していた事とは違った雰囲気になっている。 本来なら、兄弟で言い合いをして、それを美穂が停めるのだが…。
芯が阿山組に住み込むようになってから、春樹が怪我をして帰ってきた時は、必ずその光景が、医務室で繰り広げられていたのだが…。 不思議に思いながら、ドアを開けると、そこは、言い合いこそしていないが、険悪なオーラは漂っていた。
「真子ちゃんの様子は?」
春樹の治療をしながら、美穂が尋ねてきた。
「鳩尾に、あざがあるだけで、すやすやと眠ってる」
慶造が、そう応えた途端、美穂の手伝いをしている栄三のオーラが一変する。
「栄三、しっかり抑えて」
「解ってるっ」
母に対して応える口調は、オーラと同じ。 怒り……。
「山本くんが真子に向けなかったら、全員倒れていただろうな」
「八やんは?」
栄三が短く尋ねる。
「八造くんの言葉だよ」
「そうですか…」
少し落ち込んだのか、栄三の表情が暗くなった。
「真北の様子は?」
「この通り、栄三が抑えてないと、勝手に動こうとするんだからぁ」
「大丈夫だと、何度も言ってるんだけどなぁ」
というものの、春樹の声には力が無かった。
「なので山本先生、俺のことは心配せずに」
春樹の服は、春樹自身の血で汚れていた。 赤い血を見ると、芯に掛けている術の効力が薄れる。それを考えての春樹の言葉だが、
「お嬢様に伝えないと…心配なさりますから」
静かに応える芯。
「もしかして、俺の怪我…」
「お嬢様は御存知でしたよ」
「…いつ…ばれたんだろ……完璧だったんだがなぁ」
深く考え込む春樹。
「あなたの行動と仕草ですよ。もっと気をつけて下さいね。
お嬢様の質問に、どう応えれば良いのか、私が悩みましたから」
「真子ちゃんが納得した応えだったんだろ?」
「えぇ。慶造さんの名前を出したら一発でした」
「って、どうして、俺が出てくる?」
「お嬢様に知られると、慶造さんに八つ当たりする…と」
芯の言葉に、誰もが絶句。
「………もっと違う言い方、出来なかったのか?」
春樹と慶造が同時に尋ねてきた。
「私の言葉よりも、心の方を聞かれてしまったので…」
またまた恐縮そうに首を縮めた。
ったく……。
春樹は呆れる。呆れながらも、芯を見つめる眼差しは、大切な何かを見つめるかのようだった。
真北よりも、素直だな…。
慶造は思った。そう思いながら、春樹に目をやると、春樹の芯を見つめる眼差しに、フッと笑ってしまった。
「それよりも、真北さん、栄三。二人に言いたいことがあります」
「ん?」
「はぁ?」
芯の言葉に、春樹と栄三は、短く返事をする。…というより、いきなり何を言い出すんだ?と言わんばかりの応え方だったが…。
「赤い光に支配されていても、お嬢様はお嬢様です。お二人が
お嬢様に抱いている気持ちは、理解しがたいものがございますが、
あの場合でも、遠慮することは無いと思います…どうですか?」
「どうと…言われても…。相手は、赤い光に支配されていても
真子ちゃんだろ? 手を出せるわけないだろが」
「お嬢様を大切に想うなら、必要なことでしょう?」
「山本先生」
美穂が静かに口を開く。
「なんでしょう」
「二人だから、手が出せないんですよ。慶造くんだってそう。
もちろん、八造くんも。…だけど、八造君は見かけだけ
相手にするんだけどね」
「見掛け?」
「怒りを込めた拳を差し出しても、真子ちゃんの体の寸前で
停めるの。それも、赤い光の真子ちゃんには、殴られたという
意識を持たせる感じで」
「えっ?」
八造の行動をこの時初めて耳にした芯は、驚いた表情になる。
「今回は、山本先生が拳をぶつけたと聞いたけど」
「は、はい。数発のうち、一発だけを…。数発向けた時のオーラが
一向に変わらなかったので、その…つい……すみませんでした」
「そのお陰で、こうしてみんな無事だったんだから。感謝よ!」
「…しかし、お嬢様の怪我…」
「直ぐに治るわよ。真子ちゃんの回復力は驚異的なんだから!」
その場の雰囲気を変えるかのように、美穂が明るく言った。
「お袋、それ…禁句…」
栄三が静かに言う。 確かに禁句だった。 真子の回復力の速さは、特殊能力が影響している事を、ここにいる誰もが知っていた。 しかし、その青い光は、あの日から、全く現れていない。
「でも、山本先生は、解っていたから、拳をぶつけたんでしょう?」
美穂が再び尋ねてくる。
「…美穂ちゃん、どういう事だ?」
慶造が疑問をぶつけてきた。
「真子ちゃんとの手合わせは、手加減しないんでしょう? だから、
拳の強さも解ってたんじゃないの? 真子ちゃんなら、これくらいは
耐えるだろう…って」
「私、そこまでは考えておりませんでした…」
「…ということは、……自然に???」
「そう…なるんでしょうか……」
美穂の目が見開かれる。
「こわぁっ!!」
左右の拳を口元に持ってきて、脇を締めた感じで、ちょっぴり後ずさり。 若い女の子がするのなら、とても可愛い仕草なのだが、
「………お袋……似合わねぇ……」
鈍い音が聞こえた。 美穂に対して呟いた栄三。言葉を言い終わる前に、腹部に強烈な肘鉄を食らい、その場に倒れてしまった。
「美穂ちゃんは、手加減知らんもんな」
慶造が呆れた感じで、そう言った。
明け方近く。
縁側で二本の筋が立ち上る。
慶造と芯が、煙草を吹かしながら、静かに朝焼けを見つめていた。
「夜明け…か」
慶造は呟き、煙草をもみ消した。
「一睡もされてませんが、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
静かに応え、新たな一本に火を付けた。大きく煙を吐き出した慶造は、ガクッと項垂れる。
「熱が出るとはな……」
春樹の治療を終えて暫くすると、八造が血相を変えて、医務室へ飛び込んできた。
お嬢様が熱を!!
激しく体を動かした後は、必ず熱を出している真子。なので、多少の熱は慣れているのだが、今回ばかりは、八造が驚く程の高熱を出したらしい。 治療を終えた春樹が、八造と一緒に付きっきりになっていた。 栄三は、真子の部屋の近くで待機している。 その場の雰囲気に入れない二人が、縁側で時間を潰していたのだった。
「学校…行く…と言いそうですね」
芯が言った。
「………かもな……」
慶造も静かに言う。
「真北がな……」
静かに言った後、慶造は芯に語り出した。 それは、春樹が真子に手を出せない本当の理由だった。
記憶を失った元刑事と称して、阿山組に過ごし始めた時の春樹の意志、そして、隠し通していた弟への思い、そして、慶造の妻である、ちさととの関係。 阿山組に住み込むようになってから、慶造が芯には隠さずに話す春樹の事。 一度耳にしたこともある内容でも、芯は、何度も自分の頭に叩き込むかのように、聞いていた。 そして、この時、芯が抱いていた心の闇が、取り除かれた。 真子への春樹の強い想い。 それは、その昔、自分の兄として生きていた時の想いと同じだった。
「真北の事なら、俺よりも、お前の方が知ってるだろう?」
慶造の言葉に、芯は拳をグッと握りしめる。 確かにそうだった。 しかし、自分の前から消えてからは、全く知らない事が多い。兄の心意義が解っていても…。
「えぇ。慶造さんよりも、…お嬢様よりも……」
そう応えていた芯。 その表情は、慶造の心に焼き付いた。
(2005.9.10 第七部 第二話 改訂版2014.12.7 UP)
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