第七部 『阿山組と関西極道編』
第四話 一難去って、また一難!
晴れ渡る空。太陽が元気に街を照らしている日。 教師を目指して日々、大学に通っている芯は、とある商店街へとやって来た。 商店街はアーケードで覆われている為、日差しの下に居るよりは、幾分か涼しい。
「ふぅ〜」
商店街のアーケードに入った途端、息を吐き、額や首に浮かぶ汗を拭く。 目指す場所があるのか、周りの店に目も暮れずに歩いていく。 文房具屋に入っていった芯は、目的の物があるのだろう。迷わずにその商品が陳列する場所の前に立った。 そこは、小学生が使うノートが並んでいる。 視野の隅に、親子の姿が映っていたが、気にも留めずに、芯は品定めをしていく。 何かピィンと来たのだろう。 芯は、とある商品に手を伸ばした。 親子連れの子供も手を伸ばしてくる。 二人は同時に、その商品を手に取った。
「…すみません……」
「あっ、すみません……」
同時に声を発した二人は……、
「お、お嬢様!!」
「ぺんこう!!」
お互いが誰なのか気付き、驚いたように名前を呼んだ。芯は慌てて手を離す。 真子は、芯の仕草に気付き、手にしたノートを差し出した。
「ごめんなさい。これ…買うんでしょ?」
「あっ。いえ…それは……」
何故か言いにくそうな表情になる芯。
「……大学生が小学生のノートで何をするんだよ。
研修は、まだ先だろが」
何故か、ふてくされたような感じで春樹が言うと、芯の表情が曇る。
「ところで、お嬢様は、どうしてこちらに?」
「あのね、夏休みの宿題に絵日記があるんだけど、
学校では一年生の時に絵日記を買ってね、それを六年間
使うんだって。私、持ってないから、真北さんと一緒に
買いに来たの。ぺんこうは?」
「私は、お嬢様に……」
「私に?」
「はい。お嬢様が通う学校は絵日記を付けるので、お嬢様は
お持ちで無いと思いまして、こちらに」
「ぺんこう、ありがとう!」
「お嬢様、こちらで、よろしいんですか?」
「はい。真北さん、これにします」
真子は、後ろに居る春樹に振り返る。 眉間にしわを寄せながら、芯と真子の会話を聞いていた春樹だが、真子が振り返った途端、笑顔を見せた。
「真子ちゃん、他に買いたい物ある?」
「絵日記だけでいい」
「では、レジに………」
と、真子から商品をもらおうとした春樹だが、真子が持っていた商品は、あっという間に芯の手に。そして、レジへと渡っていく。
早い………。
呆気に取られる春樹。それ以上に、真子も目をパチクリさせていた。 支払いを終え、芯は文具屋の包装紙に包まれた絵日記を真子に渡した。
「いいの?」
真子は、首を傾げる。
「えぇ」
「ありがとう!」
真子の笑顔が輝いた。
かわいいぃなぁ〜〜。
真子達のやり取りを観ていた店員が、真子の笑顔に魅了された瞬間だった。
「ありがとうございましたぁ」
店員の元気な声に見送られ、真子達は文具屋を出てきた。
「ぺんこう、これから予定あるの?」
「いいえ」
「送るよ」
芯が応えると同時に、春樹が言う。
「遠慮します」
冷たく応える芯。
「お夕食、一緒にどう?」
真子が芯の手を掴んで尋ねた。そんな真子の仕草に、何故か照れる芯だが、平静を装って真子に笑顔で応える。
「すみません、夕飯は航と翔と一緒に食べることになってるんです」
「お二人も呼べば………あっ……そっか、駄目だよね」
お嬢様……。
真子が言いたいことは解る。 やくざの家に呼ぶことは出来ない。
「それなら、真北さんが言ったように、家まで一緒に…」
真子の言葉には弱い。
「そうですね。ではお言葉に甘えて…」
「…真子ちゃんの言葉には素直なんだな」
と呟くように言って、春樹は歩き出す。その春樹の声は芯にしか聞こえていなかった。芯は春樹の後ろ姿を睨み付け、何かを言おうとした時だった。急に手を引っ張られた。 真子が春樹を追いかけるように、芯の手を引いて歩き出したのだった。
慶造と栄三は、阿山組系の組事務所から出てくる。その組の者たちに見送られ、車に乗り込んだ。 暫く走ると、栄三が口を開いた。
「四代目」
「ん?」
「緊急事態みたいですよ」
栄三の言葉に、慶造は顔を上げる。車と併走する人物に気が付いた。
「…………桂守さんって、いくつになる?」
「年齢不詳です」
「体力的に衰えても良い歳だと思うんだが…益々早くなってないか?」
「そうですね……」
栄三はブレーキを踏み、車を停めた。 同じように停まる人物こそ、桂守だった。 慶造が座る後部座席に一礼し、栄三に何かを伝える。 栄三の眼差しが変化した。
「真子に何かあったのか?」
栄三のオーラを感じ取ったのか、慶造が尋ねる。
「闘蛇組が動いてるようです」
「桂守さん、真子たちは商店街に居るはずだ。向かってくれ」
「はっ。私一人で大丈夫なので、四代目は動かないように
お願いします。栄三ちゃん、予定通りに回って下さい」
「親父は?」
「美穂さんに」
「解った。お願いします」
「はっ。失礼します」
そう言うと瞬時に姿を消した桂守。 栄三はウインカーを出し、アクセルを踏んだ。
「未だに狙っているとはな…」
慶造は、ため息混じりに呟いた。
真子達は商店街のアーケードを出て、商店街専用の駐車場へ向かって歩いていく。
「ねぇ、ぺんこう」
「はい」
「もうすぐ夏休みでしょう?」
「そうですね」
「あのね、あのね…。夏休みに天地山に行こうって話があるの」
「天地山ですか?」
「うん。家に帰ったら、まささんに行っても良いのか連絡するつもり。
もしね、来ても良いって言われたら、ぺんこうも一緒にどう?
お勉強もお休みにして、天地山の素敵な景色を眺めるの!」
爛々と輝く眼差しで話す真子を観て、芯は優しく微笑んでいた。
「そうですね、たまには息抜きをしたいですからね」
「常に息抜きしてるのになぁ」
横やりを入れる春樹。
「あなたのように、毎日が忙しい訳じゃありませんからね」
何故か反抗的な芯。
「俺の方が息抜きしたいわい」
吐き捨てるように言った春樹に、芯は鼻で笑う。
「ふっ、そういう事は、慶造さんに伝えたらどうですか?」
「頼んでない事をするからだっ! と言われる事が解ってるのにかぁ?」
「そうですよ」
「天地山には、俺も行くからな」
「おや、慶造さんと一緒じゃないんですか?」
「俺が倒れる!」
「あの……」
芯と春樹の言葉のやり取りに、真子が割って入る。 真子に声を掛けられて、二人は我に返った。 真子が居る事を忘れていた………。
「はい」
二人は何かを誤魔化すかのように、元気よく返事をする。
「駐車場は、ここだけど…」
芯と春樹は、話に夢中になっていたのか、駐車場を通り過ぎる所だった。
「そうでした」
春樹は踵を返すように、引き返した。
キーロックを外し、真子を助手席に招く春樹。しかし、真子は芯と一緒に後部座席に座ろうとしていた。
「真子ちゃんは、こっち」
「ぺんこうの隣に座ります」
ハキハキと応える真子に、呆れ顔をした春樹だが、すぐに微笑んだ。
「ぺんこうを送った後は、一人でそこに座ることになるけど、
それでも良いのかな?」
「そっか……」
真子が考え込む。
「私が降りた後に移動すればよろしいかと」
芯が空かさず応える。
「そっか! そうする! 真北さん、良い?」
「仕方ありませんね。今日は車の中での移動を許しましょう」
「ありがとう!! ………!!」
嬉しそうに応えた真子の表情が一変する。 グッと拳を握りしめ、何かに怯えたような表情になり、そして、震えだした。 何かを言おうと口を開くが、その唇は震えている。 その瞬間、春樹の眼差しが鋭くなり、芯は何かに警戒するような態勢を取る。
「真北さん」
「ぺんこう、真子ちゃん、車の中に!!」
そう言うと同時に、車の側の地面で何かが跳ねた。
サイレンサー……。
春樹は、跳ねた物が銃弾だと解り、跳弾から方向をすぐに割り出し、真子と芯を守るかのように立ちはだかった。 芯は真子を守るように抱きかかえる。 芯の腕の中で、真子は激しく震え始めた。
いいな、芯。
ちらりと振り返り目で訴える春樹。芯は、そっと頷き、真子を抱えたまま車の中へと入っていった。 春樹のオーラが徐々に変わる。 その瞬間、銃を持った男達が姿を見せた。 五人。 春樹一人で充分相手出来る人数。 男達は春樹一人に銃口を向けていた。 この際、仕方が無い。真子が恐れてしまうかもしれないが、春樹は、オーラで男達を気圧させる。 春樹が一歩踏み出した。男達は一歩下がる。 更に踏み出す春樹。男達は、春樹の事を良く知っているらしい。春樹が近づくたびに、一歩ずつ下がっていった。 春樹の口元が、軽くつり上がる。 その瞬間、春樹は男達に向かって駆け出した。 一番近くに居た男の前でしゃがみ込み、素早く男の足を払う。 それが合図となったのか、男達は一斉に引き金を引いた!!
車の後部座席では、芯が真子の姿を隠すように胸に抱きしめていた。 真子の震えは未だに止まらない。その震えを止めるかのように、更に強く抱きしめる芯。 男達が引き金を引いたのが解った。
真北さん……。
芯は服を引っ張られた事に気付き、真子を見つめた。
「大丈夫ですから。直ぐに戻ってきますよ」
「……もっと…居るの………」
「えっ?」
「影で……狙ってるの!!」
芯、そして春樹には感じられないのか、影に潜む男達に気付いていない。 しかし、真子には聞こえていた。 男達の心の声が……。
真子の言葉に、芯は外の様子を伺った。 確かに、そこかしこに男達が身を潜めていた。その中の一人と目が合った芯。 男は、車に向かって銃弾を放った! 車は防弾仕様の為、銃弾は突き抜けることは無い。しかし、銃弾を放った男は、車に近づいてくる。 その男の行動に、春樹は気付いていたのか、目にも留まらぬ速さで近づき、男を倒した。 それと同時に、影に身を潜めていた男達が現れた。
ちっ、出てきたか…。
春樹は気付いていたらしい。姿を現した男達は、先程の三倍ほど。大勢の男達が一斉に春樹に攻撃を仕掛けていく。しかし、春樹は怯むことなく男達を一人一人倒していく。 春樹に腕を掴まれ、腹部に蹴りを入れられる。顔面を殴られる。腕を折られる……。 あらゆる春樹の攻撃に男達は為す術もなく倒れてしまった。 駐車場の隅に積み重ねられた男達。 春樹は服を整えながら、車の方に振り返り、真子達の安全を確認する。そして、何処かへ連絡を入れた。
芯は真子の震えが止まった事に気付き、腕の力を緩めた。
「終わったようですよ」
「…真北さんは無事?」
「はい」
真子が安心したように顔を上げた。春樹が辺りを警戒しながら、運転席に向かってくる所だった。
春樹は運転席のドアに手を伸ばした。
「ま……」
真子が春樹を呼ぼうとした瞬間、車の窓に真っ赤な物が飛び散った。
「真北さん!!!!」
車に背を向け、もたれ掛かるように春樹は立っていた。窓に飛び散った真っ赤な物を拭き取るかのように手を動かしている。春樹は誰かと話しているのか、声が聞こえてくる。 窓から見える春樹の姿。 まるで、中の人物を守るかのような雰囲気だった。
……兄さん!!!
芯の心の声に、真子が驚いたように顔を上げた。
えっ? ……兄さん…?
「よぉ、真北ぁ。本当に不死身の男だな。…突き抜けただろ?」
春樹に声を掛けてきたのは、闘蛇組の林だった。駐車場の隅に停めていた車から降りてきたらしい。
「阿山組には手を出さない約束のはず…だが、反古かぁ?」
車にもたれ掛かりながら、春樹が応える。
「阿山組とは親密でも、いつ、記憶を取り戻すか解らんだろ?
お前だけは生かしておけないんでな」
そう言って、無情にも引き金を引く林。 春樹は足を撃たれた。
くっ…。
「真北の後は、弟だ。そういや、大学生になったよなぁ。あんな
幼い子が、もう、大人。大きくなったもんだなぁ。それだけ
俺達も歳を取ったってことか。……弟に撃たれた事も
記憶に無いだろうなぁ。教えてやろうか?」
感情も無い冷たい口調に、春樹のオーラが徐々に変わっていく。 林を睨むその眼差しは冷たく、そして、春樹の表情からは感情が消えていた。 無表情。 春樹の怒りの本能にスイッチが入る寸前の状態。 車の中で、外の様子を伺っている芯の手の平に、汗が浮かび上がってくる。
春樹の危機に、何も出来ない自分に苛立ち始めた。しかし、ここは、真子を守らなければ、更に春樹が無茶をするかもしれない。 相手は一人。それは解っている。 春樹は撃たれ、かなりの重症だということは、春樹が醸し出すオーラで解っていた。
「ぺんこう…私は…大丈夫。だから、真北さんを……」
「お嬢様…」
「ここから動かなければ良いんでしょう?」
「しかし、お嬢様…」
「真北さんを助けて!!」
真子の言葉は、芯の心に突き刺さった。 芯は、春樹が居る所とは反対側のドアを開け、車を降りた。ドアが閉まった途端、真子は耳を塞ぐように体を丸めた。
ドアが開き、人が降りてきたのが解った。春樹は振り返る。
芯!
「………どういう……事…だ?」
林は車から降りてきた人物を観て、驚いた表情を見せた。 林が知っている春樹の弟が、春樹の車から降りてきた。 しかし、髪は茶髪。真面目な高校生の姿は知っていたが、その時は黒い髪だった。顔は春樹の弟。なのに……。
「ははぁん、なるほど。真北の素性を知っている阿山の行動か。
まさか、お前の車からお前の弟が降りてくるとはなぁ」
林の目線は芯に移る。
「芯君だったかなぁ。おじさんのこと覚えてるかな?」
優しく話しかける林に、芯は首を傾げる。
「仰ることが解りませんが…。真北さんをこれ以上狙っても
何の特もありませんよ?」
怯みもしない口調に、林は感心する。
「おやおや。刑事の弟がやくざですか。…いやいや、元刑事…でしたな」
「山本…お前は出てくるなっ」
「そんな言葉が出てくる状況じゃないでしょう!」
「うるさいっ。お前まで怪我したら…」
春樹の体から力が抜け、車を撫でるような感じで地面に沈み込んでいく。
「真北さん!」
芯は駆け寄る。春樹の足下が目に飛び込んだ。 血の海……。 芯は突然頭痛に見舞われ、顔をしかめた。
「それだけの出血だと、もう駄目だな。最後のお別れでも
したらどうだぁ? 真北も幸せだろ。最愛の弟に見送られてよぉ」
林の銃口は、春樹の頭に向けられる。 途端に、手に痛みを感じた林。 手にした銃は遠くに弧を描いて飛んでいった。 目の前に、茶髪の男が足を上げて立っていた。 芯の蹴りが、銃を握りしめる林の手に飛んでいた。 手に強烈な痛みが走る。 骨が砕けた様子。 それに気付いた途端、視野が暗くなった林。そして、後頭部を強打した。 自分が地面に仰向けに倒れている事に気付いた時は、腹部に重りが落ちたような圧迫感が! 芯が林の顔面に拳を放ち、仰向けに倒れた林の腹部を思いっきり踏みつけていた。 林は口の中に鉄の味を感じる。そして、こみ上げてきた物を口から吹き出してしまった。 真っ赤な霧が目の前に広がった。 それが、自分の体に流れる血液だと解った時には、背中に強烈な痛みを感じていた。
無表情のまま、地面に倒れる林を蹴り続ける芯。それを見つめる春樹は、動くことが出来なかった。
芯の豹変に恐れていた。 車のドアが開き、小さな足が地面に降りる。春樹は顔を上げた。
「真北さん!!」
真子が降りてきた。心配そうに駆け寄る真子に手を伸ばし、車に戻るように訴える。しかし、真子は春樹に近づき、腹部から流れ出る血を止めようと手を当ててきた。
「真子ちゃん、車に戻れ」
「真北さん、治療しないと! 動ける?」
真子は、春樹の体を起こそうと肩に手を回す。しかし、春樹は、真子を守るかのように、手を広げた。 林だけでなく、新たな男達の姿に気付いたのだった。男達は、春樹に目も暮れず、林を蹴り続ける芯に向かっていた。
くそっ、まだ居たのかっ!
新たな男達の手には銃ではなく、日本刀や鉄パイプ、木刀など、長い物ばかりが握りしめられている。 林を蹴り続けていた芯は、男達の姿に気付き、動きを止め、振り返る。
無表情。
芯は態勢を整えた。すると、男達は、芯に向かって攻撃を仕掛けた。 手にした武器を振り下ろす、振り上げる。横から勢い良く振り回す。芯は、いとも簡単に避けていく。避けながらも敵に攻撃をすることを忘れない。 敵は、芯の相手になる程強くなかった。簡単に倒れていく。 日本刀を手にした男が、芯に斬りかかる。 その瞬間、芯の表情が変わった。 血に飢えた豹…。 真子は、芯の変化に気が付いた。春樹の肩越しに、芯を見つめる。 芯は、振り下ろされる日本刀を軽々と受け止め、男の手から、日本刀を奪い取った。 銃声が聞こえた。それと同時に金属がぶつかり合う音が聞こえてきた。 芯が日本刀を振り下ろしている。 飛んできた銃弾を、日本刀で弾いたのだった。 ゆっくりと振り返る芯。 その目線は、銃口を向けた男に突き刺さる。 銃声。 芯は、銃弾が放たれるたびに、日本刀で銃弾を弾いていた。 芯の足が動く。芯が向かう先は、銃を持った男。 芯の気迫に恐れたのか、銃を持った男は尻餅を突く。それでも、銃口を向ける男へ無情にも日本刀を振り下ろす。 その手が誰かに止められた。 春樹だった。
「やめろっ」
春樹の声に対しても、全く表情を変えない芯。それどころか、春樹を睨み付けてきた。 鈍い音がする。 芯の腕を押さえながら、春樹が男に蹴りを入れていた。 どこに、そんな力があるのだろう。 体からは、血が滴っている。なのに、春樹は……。 芯を落ち着かせようと、春樹は芯に話しかけていた。
「終わったから。もう、終わっている……だから、放せ…」
芯は徐々に落ち着きを取り戻していった。 芯の手から、日本刀がゆっくりと離れ、地面に落ちた。
「真北…さん……」
「戻ったか?」
安堵に似た声に、芯はゆっくりと頷いた。 その時だった。
「うりゃぁ〜っ」
男の声が聞こえた。 またしても新たな敵が現れたのだった。
俺一人に、どれだけ集めたんだよ…。
春樹の目線は、地面に横たわる林に向けられる。 新たな敵の人数は七人。それぞれが、武器を片手に春樹と芯に向かってきた。そのうちの一人が、車の側に立っている真子に気付き、向かっていく。
真子ちゃんっ!!
真子は、男が向かってくるのが解っていた。 男に対して身構える。振り下ろされる鉄パイプの動きは見えていた。真子に当たる寸前、真子は誰かに抱え込まれ、柔らかく温かい腕の中に居た。 何かが地面に落ちた。 鉄パイプを持つ人の腕……。
「無茶をしないように」
そう声を掛けられた真子は、顔を上げた。 知らない男の人が優しく微笑み、声を掛けてきた。
「おじさん……誰?」
真子が静かに尋ねた。しかし、男は微笑むだけで、何も言葉を発しなかった。
この子が…光の持ち主……。
その心の声は真子に聞こえていた。真子の顔が強ばる。 それと同時に聞こえてきた声に、真子の表情が綻んだ。
桂守さん…真子ちゃんをお願いします。
春樹の声だった。 新たな敵に対して動きながらも、真子の事に気付いていた春樹。そして、桂守の独特のオーラにも…。
「おじさん、真北さんの知り合いなの?」
「えぇ」
「お願いっ! 真北さんを助けて!! 怪我がひどいの!
歩くのが、やっとなのに……私……ぺんこうを停めてと
頼んじゃったの! だから、だから……」
今にも泣きそうな感じで真子が訴えてくる。
「お二人なら大丈夫ですよ」
優しく真子に応えた桂守が、目線を送った先に、真子も目をやった。 春樹と芯は新たな敵をいとも簡単に倒し終えた所だった。
「良かった……」
しかし…。 芯が真子に振り返る。その表情が、急変した。
「誰だ…てめぇ〜。お嬢様を……どうするつもりだっ!」
落ちていた日本刀を拾い上げ、芯は桂守に向かって駆けてくる。
「芯、やめろっ!」
春樹の声は、芯の耳に届かない。 芯は、桂守に日本刀を振り下ろした。 金属がぶつかり合う音が辺りに響く。 桂守は、振り下ろされた日本刀を、自らの武器である短刀で受け止めていた。 しかし、振り下ろされた勢いほど、抵抗感が無かった。 それに気付くと同時に、桂守は、自分の腕の中にいたはずの真子の姿が無いことに気付いた。
「…お、お嬢様………」
芯が呟く。その芯の目線は、下に向いていた。桂守は、芯の目線に合わせるように目をやった。
「ぺんこう、この人は敵じゃない……」
真子は、芯の腰にしがみついて、芯が振り下ろす行為を停めていた。 日本刀を振り下ろす瞬間、何かが腰にしがみついた。それで、勢いが殺げた。
「私を守ってくれた人。そして、真北さんとお知り合いだから…。
敵じゃないの! だから、だから、もう……離して……。
大丈夫だから。…私は大丈夫だからっ!!」
「お嬢様……」
芯の手から、日本刀が離れていく。重力に従うように、ゆっくりと地面に落ちていく日本刀を、桂守が受け止めた。
御無事で!!
芯は、真子を力一杯抱きしめる。
その瞬間、サイレンが響き渡った。
道病院。
春樹は治療を終え、病室のベッドに眠っていた。 側には真子が付き添っている。その真子の隣には、芯が座っていた。 芯は、病院に向かう救急車の中での春樹の言葉を思い出していた。
−−−−−−−
「ぺんこう…怪我は無いな」
「私は大丈夫です」
「真子ちゃん、怪我してないね」
「はい」
返事をする声は震えていた。春樹が、手を動かし、真子の頭を撫でる。
「ぺんこうを停めてくれて…ありがとな。そして、停めて欲しいと
言ってくれて…ありがとう。…真子ちゃん………」
−−−−−−−
真子が芯に振り返る。
「ぺんこう」
「はい」
「あの人達……どうして、真北さんを狙うの? 以前、警察に
捕まったのに…。どうして、いつまでも…狙うの?」
「前にも、この人を狙っていたんですか?」
真子の言葉に驚いた芯は、反対に尋ねてしまう。
「真北さん、よく狙われるみたい。…前も車に轢かれて…」
「そのような事があったんですか?」
「うん…その時、刑事さんもお見舞いに来てくれて、それで
犯人を捕まえたと言ったのに……」
寂しげな真子の声に、芯は何も言えなくなる。 突然、真子を抱きしめる芯。
「…ぺんこう??」
芯の行動が解らない真子は、声を掛けるが、芯はただ、抱きしめるだけだった。 目に浮かんだ涙を誤魔化すかのように。 病室のドアがノックされた。 芯は我に返り、返事をする。
「どうぞ」
ドアを開けて入ってきたのは、八造と栄三だった。
「くまはち、えいぞうさん!」
「お嬢様とぺんこうは、無事だと聞いたんですけど…」
そう言った八造の目は、ベッドに横たわる春樹に向けられる。
「傷は浅いけど、出血が酷かっただけですよ」
芯が代わりに応えた。
「これから、どうする? 俺達はお嬢様を迎えに来たんだが、
ぺんこうは? 真北さんに付き添うか?」
春樹と芯の関係を知っている二人は、真子に気付かれないようにと尋ねていた。
「ここは、完全看護だし、どうせ、美穂ちゃんが来るだろ?
ぺんこうも帰れ」
目を覚ました春樹が言った。
「…………………どうして起きてるんですか? お袋は朝まで
目を覚まさないだろうと言ってたんですけどねぇ」
呆れたように栄三が言った。 春樹は体を起こす。…が、真子に抑えつけられた。
「起きたら駄目なの!」
「ま、ま、ま、真子ちゃん?!?」
あまりの強さに春樹は驚いた。 あまりの速さに芯は何も出来なかった。 突然の行動に、口をあんぐりと開けるしか出来無かった栄三と八造。
「一週間は動かないようにと…美穂先生が言っていたから…。
真北さん……無茶…しないで……お願い…」
真子の切ない声に、春樹は何も言えなくなった。
「あの時の刑事さんが来てくれたから。真北さんを守るって…。
あの人達も捕まえたって……」
「解ったよ、真子ちゃん。ありがとう。明日は学校だろ?
あと二日で夏休みだから、ちゃんと出席しないと駄目だろう?
だから、今日はもう帰りなさい」
「はい。…美穂先生に…お願いしておくから…」
「ぺんこうを送ってくれるかな」
「えいぞうさん、いいの?」
「そのつもりですから、ご安心を」
「…真北さん。…帰るね。美穂先生に迷惑掛けたら駄目だからね」
「心得てます」
春樹は真子に微笑んだ。 それを観て、真子は安心したのか、やっと笑顔を見せたのだった。
「では、真北さぁん、帰りますねぇ」
軽い口調で栄三が言う。そして、真子達は春樹の病室を出て行った。
ふぅ……。
と大きく息を吐いて、春樹は体の力を抜く。 真子を安心させるため、芯を落ち着かせる為に、元気なフリをしていただけだった。
一難去って、また一難…。 こりゃまた、次は龍光一門だな…。
春樹は天井を見つめ、これからの事を考えていた。
芯のマンションに到着。真子は、車から降りた芯に笑顔で手を振って、そして車は去っていく。 名残惜しそうに車を見つめる芯は、車が見えなくなった途端、表情が変わった。
エレベータに乗った芯は、春樹の言葉を思い出していた。
自分の事よりも、周りの者の事を考える。
自分の降りる階に着き、エレベータから降りる。自分の部屋に向かって歩きながら、芯は自分を停めた真子の姿を思い出していた。 未だに、腰の辺りに真子の感覚が残っている。 ドアの前に立ち止まる芯。腰の辺りに真子が居るかのように手を動かした。
お嬢様……ありがとうございました。
自分を停めた真子の呟きを思い出す。
人を傷つけるのは駄目だと言ったのは…ぺんこうだよ? ぺんこうが傷つくのは、嫌だ……。
目の前のドアが開いた。
「お帰り。絵日記見つかったか?」
芯を迎えに出てきたのは、翔だった。
「あ、あぁ。お嬢様も文具屋に来ていて、ばったりと逢ったよ」
「以心伝心か?」
「さぁな。…で、何処に行く?」
「ドアの前に立ったのに、中々開けて入って来ないから、
鍵を忘れたのかと思ってだな…」
「マンションの玄関を開けてたら、ここも開けること出来るだろが」
「そっか。…それよりも、大変な事件があったみたいだな」
「事件?」
事件を聞いて、思わず反応する芯。
「銀行強盗。凄かったぞぉ」
事件の話を聞きながら、芯は家に入っていった。
自宅に向かう車の中で、真子は俯いたまま、何かを考えていた。
日本刀を振り上げた芯、そして、男に蹴りを入れる芯の姿が、脳裏に浮かぶ。
春樹の血にまみれた姿、そして、怪我をしていても自分を守る春樹の姿も、脳裏に浮かんでいた。
真子が震える。 そんな真子に反応したのは、助手席に座る八造だった。
「お嬢様、もう、大丈夫ですよ。何も考えずに…」
八造の声に真子は首を横に振る。
「私が、買い物に行きたいと言ったから……」
またしても自分を責める真子。その先の言葉は、八造にも栄三にもわかっている。 しかし、掛ける言葉は見当たらない。
「出掛けても大丈夫なように、我々が守りますよ。ご安心を」
八造の優しくて心を落ち着かせる言葉に、真子は、そっと涙を流していた。
(2005.10.6 第七部 第四話 改訂版2014.12.7 UP)
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