第七部 『阿山組と関西極道編』
第九話 見えない雰囲気
白銀の世界! 今年も真子は、天地山へ来ていた。 かわいい猫模様の付いたスキーウェアを着て、爽快に斜面を滑ってくる。その真子を追いかけて滑ってくるのは……。
天地山ホテルの休憩所にあるソファに腰を掛けている青年三人が、窓の外の様子を眺めていた。
「………ほんと、支配人って、お嬢様から離れませんね」
髪の毛に金のメッシュが入った青年が言った。
「まぁ…年に一度だから、あぁなるのは解るけど…」
緑色のセーターを着た青年が、ため息混じりに応える。
「ここに居る間は安全…らしいけどさ…」
前髪が立った青年が、不安げに口を開いた。
「……で?」
三人の青年は、同時に言った。 沈黙が続く。
「今日は吹雪くって言ってなかったっけ…」
金のメッシュが入った青年・向井が窓から見えにくい空を強引に見上げる。
「言ってたよなぁ。…山の天気は変わりやすいから、
暫くしたら、吹雪くんじゃないか?」
ソファに寝転ぶ緑色のセーターを着た青年・芯。
「………ぺんこう」
「ん?」
「…煙草…辞めたのか?」
「…どうした、急に」
芯は、前髪の立った青年・八造に尋ねる。
「いや…最近、見かけないし、匂いもしないし…。それに、いつもなら
こういう場所でも吸うだろ?」
「まぁ……お嬢様に言われたし、それに」
芯は起き上がる。
「反抗する意味も無くなったからさ」
「…なるほどな。…って、むかいん、見えないって」
「あぁ…やっぱり?」
芯と八造の会話を聞きながら、見えにくい空を見上げていた向井は、苦笑いをする。
「……店長さんとこ行く観たいだけど……どうする?」
八造が、窓の外で手を振って、ジェスチャーしている真子を見つめながら尋ねた。
「う〜ん、パス……した方がいいかもなぁ」
芯が応える。
「そうだな……。くまはちは、どうする?」
向井が尋ねた。
「俺も……この際はパスだな…。伝えてくる」
そう言って、八造は立ち上がり、外にいる真子の所へ駆けていく。
「くまはちが、唯一のんびりできる場所と時間だもんな。
支配人も解ってらっしゃるし…」
「お嬢様が怒るからさ………。ほぉら、怒ったぁ」
芯と向井が話している通り、八造は真子に何かを告げた後、真子のふくれっ面に平謝りしていた。真子が何かを言って、プイッと背を向けて、リフト乗り場へと滑っていった。 困った表情の八造に、まさが優しく語りかけ、真子を追って行く。 八造は、真子とまさを見送る。真子は、八造の姿に気付いたのか、リフトに乗った途端、振り返り、大きく手を振っていた。…まさが慌てて真子を腕の中に抱く。 落っこちそうになった真子を見て、八造も慌てていた。
「ったく…お嬢様は…」
芯が呟くと同時に、八造が戻ってくる。
「…で、どうする?」
本来の八造が現れる。『ボディーガード』の仕事を外れた時は、口調と醸し出すオーラが変わる八造。もちろん、芯と向井は知っていた。
「そりゃぁ…ねぇ」
芯と向井が、羽目を外したような口調で、クイッと何かを飲む仕草をした。 八造が、ニヤリと微笑んで応えた。
天地山の中腹にある喫茶店へ到着した真子と、まさは、スキーを脱いで、喫茶店へと入っていった。
「いらっしゃいませ〜真子ちゃん!」
店長が明るく迎えた。
「店長さん、こんにちは! 元気だった?」
真子の声が、店内を更に明るくした。
「おぉっ、真子ちゃんが来る時期かぁ!」
「おひさぁ〜元気だったか!」
「また背が伸びただろぉ」
「一段とかわいくなってぇ!」
常連客が、真子の姿を観た途端、真子に近づき声を掛けてきた。真子は、笑顔で応え、楽しく話し始めた。 一人の男が、寂しげな表情をしていた。
「……支配人、何も露骨に…」
「うるせぃっ!」
寂しげな表情で真子を見つめているまさに、店長が優しく声を掛けるが、冷たくあしらわれた。
「ココアにしますか?」
「ホットケーキも」
と言いながら、まさがカウンターに立った。
「あっ、ちょ、あに……」
鈍い音が聞こえる。
「支配人だ」
まさの低い声に、店長は細かく、たくさん頷いていた。
「いただきまぁす!」
ナイフとフォークを手にした真子が、まさの作ったホットケーキを前に、元気よく言った。
「どうぞ」
と応えるまさの表情は、弛みっぱなし。
「それでね、店長さん」
「はい」
「鯉がね…」
真子は、この一年にあった出来事を、店長に楽しく語っていた。真子の話に聞き入っている店長は、仕事の手が止まっている…。その店長の代わりを、まさがやっていた。 常連客に珈琲を差し出す、まさ。
「ありがとうございます、支配人」
「ったく、お嬢様の話に耳を傾けるのは良いが、一つのことしか
出来ないのは、昔っからだよなぁ」
「……まぁ、真子ちゃんの話は、楽しいから、俺でも仕事の手が
止まってしまうよ。……支配人もでしょう?」
「まぁ、そうだな」
「…しかし、色々遭ったんだろ、阿山組」
「あぁ」
「真子ちゃんに影響しなかったのか?」
「お嬢様も巻き込まれたらしいよ」
「気になるだろ? …そして…」
「俺は、天地山ホテルの支配人だ。…お嬢様のために
ここを守ることしか頭にない。…お嬢様が心を和ませて
下さるだけで、俺は満足してるよ。……約束だからさ」
「ふ〜ん。……しっかし、まんまと騙されたよ…」
「ん?」
「あの日に阿山組にやられて、記憶を失ったと聞いてたからさ」
「その通りなんだけどなぁ。……その話し……ぶり返すのか?」
そう言って、鋭い目つきで常連客を睨み上げるまさ。
「いや、その……原田の兄貴…」
「支配人だっ!」
「す、す、すみませんっ!! 支配人っ!!!!」
この常連客も、その昔は、その世界で生きていた男達。そして、まさを慕っていた者達だった。
「ねぇ、まささん、まささん!」
「はい、なんでしょうか、お嬢様」
その声は、男達と話していた時とは正反対に、明るい声だった。
まぁ、気持ちは解るけど……。
ここまで変わるものかなぁ…。
冷酷な表情を覚えている男達は、今、真子と笑顔で話すまさを観て、いつの間にか笑みを浮かべていた。
喫茶店の窓に雪が激しくぶつかる。 どうやら、吹雪き始めたらしい。
「…………無理だな」
「そうですね…」
ドアの所で、外を眺める男達。
「明日の朝まで吹雪きそうだなぁ。…しまった…」
と言いながらも、ちょっぴり嬉しそうな表情をするのは、まさだった。
「ぺんこうとくまはちとむかいん……待ってるのに…お夕食…」
「仕方ありませんね。今夜はここで」
「店長さんのお部屋?」
「いいのか?」
「はい。それに、こういう時の為に、仮眠室もございますから、
お嬢様は心配なさらなくても大丈夫ですよ」
「真北さんが今夜到着なのに…」
「珍しく、クリスマスパーティーに来なかったもんなぁ」
春樹は、本来の仕事で真子と一緒に出発出来なかったらしい。真子が出発した日、到着してからは、二時間おきに電話が掛かっていた。それに応対するのが疲れたので、この日、支配人の仕事を放棄して、真子と一緒に過ごしていた。…ということは、誰も知らないことだった。
「後で、電話をすれば、大丈夫ですよ。それに、男三人
目一杯、羽目を外していると思いますよぉ」
「そっか。そう言って、ここに来たんだもんね。くまはちも
くつろぐって、言ったもんね!」
…って、お嬢様…、あれは、命令になってましたよ…。
ということを、敢えて口にしないまさ。
「着替え…持ってない…」
「あ、それなら、取りに行きますよ」
店長が応える。
「あぁ。よろしく。……さてと、お嬢様。もっとお話してください。
お電話では話きれなかったでしょう?」
「うん! …まささん、お仕事…いいの?」
と首を傾げて尋ねる仕草。それには、まさの鼓動が高鳴った。
「年末年始は、暇ですから」
……って、支配人〜、一番忙しい時期だと思いますが…。
吹雪のため、ホテルに戻れず、喫茶店に閉じこめられた状態の常連客は、口にしたい言葉を、グゥゥッと堪えていた。
天地山ホテル・湯川の部屋。
床に、たくさんの瓶が転がっていた。またしても、男達で飲みまくっている様子。 向井が床に仰向けに寝転がった。
「俺、限界ぃ〜」
そう言った途端、すやすやと眠り始めた。
「って、むかいん…、これからだろぉ。外は吹雪いてるし、
お嬢様は帰って来れないだろぉ」
芯が、向井を揺すりながら話しかけていた。
「それにしても、みなさん、お強いですね」
湯川が新たなアルコールの瓶を手に戻ってくる。
「まだまだ大丈夫ですよ。…むかいんは、酔うと調理に支障が
出るから、程々にしてるだけですから。俺達は関係ありませんよ」
「そうだと思いました」
嬉しそうに言った湯川が、グラスにアルコールを注いでいく。
「しっかし、益々、素敵な青年になりましたね」
「そうですか?」
「ぺんこうさんは、大学生ですよね」
「えぇ。教育大学に通ってます」
「将来は教師ですか…。素敵な教師でしょうねぇ。教えてもらいたいですよ」
「お教えしましょうか? 厳しくいきますよ?」
「遠慮しまぁす」
湯川は即答した。
「くまはちくんは、これからも、お嬢様の側に?」
「そうなりますね。…一番嫌っていた家系の柵に、深くはまったのは
私でしょう。本来なら、兄貴が、この立場だったんだけど……俺は
守りたいものがあったし、それに、いつも側に居たいと思ったからさ」
八造が言った守りたいもの。それは、大切な兄の思いであり、命よりも大切な真子の事。そして、側に居たいのは、真子の笑顔の側ということだった。その事は、その場に居る誰もが知っていて、そして、同じ思いでもあった。
「湯川さんは、支配人と古い友達……という事でしたよね?」
八造が尋ねる。
「まぁ、…そういう事にしておかないと、支配人に怒られますよ。
あぁっ! 支配人以上に、真北さんかな…」
「ここにも、あの人の力が加わっているんですか……本当に、
どこまで手を伸ばすつもりなのか…」
芯が、嘆いた。
「……ぺんこう、酔いが回ってないか?」
「回ってる」
「…寝ておけ。体のことも心配だ」
「俺は大丈夫ぅ〜、体鍛えてるもぉん」
「駄目だ……仮面が取れてる……」
八造が呟いた。 人前では真面目な青年を演じている事は、八造と向井の二人しか知らないこと。
「いいじゃないですか! ここでは、誰もが白紙に戻った気分になって
頂かないと困りますからね」
湯川が笑顔で言いながら、新たなアルコールを注いでいく。
「それにしても、凄く吹雪いてますね。これじゃぁ、お嬢様は」
と、八造が話している時、湯川の部屋のドアが開いた。思わず緊張が走る…。しかし、ドアを開けた人物は…。
「くまはちくん、真子ちゃんの着替えは?」
と息を切らして、雪で濡れた服のまま、話しかけてきたのは、店長だった。その手には、すでに袋を持っている。
「着替えは………。って、店長さん、この雪の中を?!?!??」
驚いたように、八造が言った。
真子の部屋から、真子の着替え一式を手に、八造が出てきた。
「まさか、ゲレンデの地下が繋がっているとは…」
「えぇ…まぁ、昔の名残とでも言いましょうか…。もしもの為の
隠れルートですから。今は、食料品を主に運んでいますけどね」
「そうですか。こちらになります」
「すみませんでした。……って、もしかして、ずっと湯川と?」
「鬼の居ぬ間に…と、思わず羽目を外してしまってます」
「その方が真子ちゃんも喜ぶでしょう!」
「えぇ」
「では、これで。羽目を外すのは良いけど、お酒は程々に」
「ご忠告ありがとうございます」
深々と頭を下げる八造に見送られ、店長は再び、中腹の喫茶店へと戻っていった。
吹雪の中。一人の男が、天地山ホテルへ向かって歩いていた。
夜〜。この日、吹雪は中々止みそうにない。
ホテル内にある温泉。 その湯の中には、四人の男の姿があった。他に客は入っていない様子。その四人のうち、一人が泳ぎ出す。
「おいおい、泳ぐなよぉ」
「いいだろが。誰も居ないし、身内だしぃ」
「ったく、子供だなぁ」
そう言われながらも泳ぎ続けるのは、八造だった。一緒に湯に浸かっていた芯が立ち上がる。
「ぺんこう、もう上がるのか?」
「長湯は慣れてないからさ」
「今日くらいは、のんびりしろって。真北さんも遅いだろ?
それに、この吹雪じゃ、来るのも一苦労だって」
「いいや、あの人なら、この吹雪の中でも来るよ」
そう言って、温泉を出て行った。
「それじゃぁ、私は、湯上がりの一杯を用意しましょうか」
「……まだ飲むんですか?」
驚いたように向井が尋ねた。
「えぇ」
あっけらかんと応える湯川に、向井は呆れ返るが、八造は嬉しそうに笑みを浮かべていた。 もちろん、湯上がりに、八造と芯、そして、湯川の三人が、飲み始める。しかし、向井は部屋に戻っていた。
天地山ホテルの玄関のドアが開く。ドアマンがそれに驚き振り返った。
「!!! 御連絡頂けば、お迎えに参りましたのに!!」
「まさは?」
「支配人は、中腹の喫茶店で真子お嬢様と缶詰状態です」
「……向かうと連絡してくれ」
「って、この吹雪では無理ですよ!!」
「いいから、早くっ」
「あっ、京介さぁん!!」
再び天地山ホテルに現れた店長を見つけたドアマンが、辺り構わず叫んでしまった。 支配人が居ないと、誰もが仕事を忘れてしまうのか??
中腹の喫茶店は、灯りが乏しく光り、誰もが眠りに就いていた。 静けさが漂う喫茶店内に、二人の男が現れた。
「真子ちゃんは、支配人と一緒です」
「……まさの奴…あれ程、一緒に寝るのは駄目だと言ったのになぁ」
「真子ちゃんが放さなかったんですから、怒らないで下さいね」
「状況によっては、判らんな」
少しドスの利いた声で言ったのは、春樹だった。 眉間のしわが、いつもより二本多かった。 いつも店長が使っている部屋は、真子とまさが眠っていた。
「三十分前まで、みんなで楽しくはしゃいでおりました」
店長が優しく語る。
「…まさの体調は大丈夫なのか?」
「えぇ。昔のような動きはしてませんから」
「そうだな」
二人が、静かに話している時だった。まさが体を起こし、眠る真子に気遣いながら、春樹と店長の側へと歩み寄った。
「…………治療なら、小島さんがおられるでしょう?」
まさが静かにそう言って、
「京介、暫く頼んでいいか?」
「はっ」
まさは、春樹を連れて部屋を出て行った。 いつもなら、決まった人物以外が真子と二人っきりになれば怒りを露わにする春樹は、何も言わなかった。その事を不思議に思いながらも、まさに言われたように、真子の直ぐ側に腰を下ろし、真子の様子を伺っていた。
まさは、喫茶店の隅にあるソファに春樹を座らせ、服を剥ぎ取った。
「……新しい傷ですね。そんなに急いでくることないでしょう!」
「向こうでは何も起こらなかったんだよ! こっちで」
「えっ?」
「吹雪いて助かった。相手は俺を見失ったように去っていったからな」
「……まさか、範囲内で?」
「いいや、地山一家の縄張りで狙われた。…俺を付けていたのか
この時期に来るのを悟ったのか判らんがな…」
「足を刺されましたか?」
「あぁ」
「一応、例の薬を付けたんですね」
「あぁ」
「……体の冷えから考えると、もしかして、この吹雪の中を…」
「その方が止血も出来ると思ってな。…まさか、ホテルの方に
居ないとは思わなかったよ」
「すみません、お嬢様のはしゃぎっぷりに負けまして…」
そう話しながらも、まさの手は手当ての為に、素早く動いていた。 もしもの為に常備している医薬品と医療器具。もちろん、縫合も出来るようになっている。 流れるように縫合されている傷口に、春樹は見惚れていた。
「本当に、その腕……もったいないな…」
春樹が呟いた。
「…相手は、どんな奴でした?」
まさが尋ねるが、その途端、春樹の眼差しが変わった。
「お前には関係ない事だ」
「関係あります」
まさの口調が強くなる。それには、流石の春樹も押され気味になった。
「まさ…」
「ここは、安全でなければ…。命のやり取りをする場所では…
もう、何も起こらない場所でなければ…。誰もが安心して
そして、心を和ませて頂く為の場所…なのに、どうして…」
「それは判ってる。だけどな、お前の範囲外だと、お前が手を
出しても、それは…」
「真北さんだけでなく、お嬢様に、もしものことがあると、
私よりも、……あなたが……」
まさは言葉を詰まらせた。
「ったく…」
呟くように言った春樹は、体を起こし、まさを抱き寄せた。
「って、ちょっ、真北さん!!」
焦るまさに、春樹は笑い出す。
「何もせんわい。…しかし、ここにも医療一式揃ってるとはなぁ」
「下まで取りに行く時間がもったいないですからね」
「そこまで徹底してるのか…というより、ゲレンデの下に
あんな通路があるとは思わなかったぞ」
「それは昔の…」
「店長から聞いている。………しかし、今日は泊まりの客が
多いんだな」
「一応、連絡はしておいたんですが、誰もが滑る方に夢中に
なってしまって…」
「真子ちゃんも…だな?」
「はぁ…すみません。でも、吹雪く前に、ここへ来ましたから」
「それなら安心だ。…で、下の三人は、飲み明かすらしいが〜」
と、呆れたように春樹が言うと、
「毎年毎年、すみません!!! 湯川には厳しくしてるんですが、
……あいつは、昔っから、酒好きで〜」
「フッ…元気…出たか?」
「あっ、はぁ…まぁ……」
「……てか、まさぁ〜」
「は、はいぃ〜、な、な、なんでしょぉ〜」
春樹の眼差しが、急に鋭くなり、まさの胸ぐらに手が伸びてきた。思わず身を縮めるまさ。
「あれ程、真子ちゃんとの添い寝は許さんと言ってるのに、
なぜ、断らん?」
「断りましたけど、その…お嬢様の眼差しに……って、
手は出しませんよっ!!」
春樹の裏拳が、まさの頭上を勢い良く横切った。
「怪我人が、そんなに素早く動かないで下さいっ!!!
きちんと治療しなきゃよかった〜」
「なんだとぉ〜?」
「あっ、いや、…その、口が滑りましたぁ〜!! 雪山ですから!」
「冗談は、通じんっ!!」
春樹の蹴りが、まさの頭上を勢い良く何度も横切る。 流石のまさも、何度も避けているうちに、バランスを崩して尻餅を突いた。
「真北さんっ!」
まさと春樹のやり取りに気付いた店長が、部屋から飛び出し、二人の間に割り込んだ。
「危ないっ!」
店長を押しのけ、春樹の蹴りを軽々と受け止めるまさ。
「………益々、力が付いてないか、まさぁ」
「気のせいですよ」
息も切れずに応える、まさだった。 二人のやり取りに目を覚ましたのは、少し離れた所で仮眠を取っていた他の客。どうやら、春樹の蹴りを目の当たりにしてしまった様子。
「……支配人……健在……」
その呟きを耳にした春樹は、何かに気が付いた。
「まさ、お前……昔の連中を側に置いてるのか?」
「こいつらも足を洗った奴らですよ。みんな地山一家の者たちです。
俺のことを知って、それで親分に頼み込んで、ここで楽しんでるんですよ」
「………監視の役をしてるんだろ?」
春樹は痛いところを突いてきた。
「時々見かける男達だもんな。それも、ゲレンデの客を
見守るような感じで。だから、客達も安心して
……もちろん、俺も真子ちゃんも……」
「その通りですよ。感謝してます」
優しい眼差しで、男達を見つめるまさ。
「支配人……」
まさの言葉に突然感涙する男達。それには、まさよりも、春樹が驚いていた。 その時だった。 まさと春樹は、異様なオーラを体で感じ、顔を見合わせる。そして、オーラを感じる所へと急いで駆けて行く。 そこは、真子が眠る部屋…。 ドアを開けると、暗がりに一人の男が立っていた。手には光る物を持っている。 まさの眼差しが鋭くなった。
「なるほどな…。遅れて喫茶店に来たのは、そういう訳…か。
仲間は恐らく、雪の中で息絶えてるかもしれないぞ? いいのか?」
まさが静かに尋ねた。
「あぁ。…元々、命を捨てる覚悟で、この計画を立てたからな」
低い声で男が言った。
「それ以上、近づくと、この娘に傷が付くぞ…」
「傷付けたらお前の方が、傷だらけになるが…それでもいいのか?」
「命を捨てる覚悟があると…言っただろ?」
そう言って、男は、ベッドでスヤスヤと眠る真子に光る物を近づける。 春樹とまさは、その場から動かなかった。 男に言われたからではない。 どちらが、真子にナイフを近づける男を倒すかで、もめていた。
お前は手を出すなっ。
真北さんこそ、怪我人ですよ!
あいつが狙ってるのは俺だろがっ。
お嬢様から離れたのは私ですよ! 私が
駄目だっ
私が、いきます!
俺が行くっ!
私っ!
俺っ!
……二人とも、もめている場合ではないかと…。
二人の後ろから、店長が、静かに言った。
店長、お前は、まさを抑えておけっ。
京介、真北さんを向こうに連れて行けっ!
同時に言われた店長は、きょとんとする。
あの……!!!
店長の目が見開かれた。それにつられたように、まさと春樹も目線を移す。 暗がりの中、真子が起き上がったことに気が付いた。寝ぼけ眼をこすっているのが解る。そして、側に居る男を見上げた。
真子が起き上がったことに、側に居る男も気が付いた。手にしたナイフを思わず引っ込めた。 その仕草で、まさと春樹は何かに気が付いた。
まさか、あいつ…。
「お兄さん…どうしたの? 寂しいの?」
目の前に居る男に優しく声を掛ける真子。 その時、部屋の灯りが付いた。 眩しさに誰もが目を細める。しかし、真子は違っていた。 ベッドの側に立つ男を見上げている。
「あっ、いや……ちっ!」
戸惑いを見せた男は、何かを決意したのか、再び真子にナイフを向けた。 その手は、真子に掴まれた。
「……死に……急がないで……。命は、一つしか…無いんだよ?」
「…ま、…真子…ちゃん…」
吹雪で、外に出ることが出来なかった時間、他の男達と一緒に、この男とも楽しく話していた真子。その時から、男の行動や仕草が気になっていた事は、まさも知っていた。寝るときに、真子が言った。
遅れてきたお兄さん…寂しそうだったの…。
どうやら、心の声が聞こえていた様子。 一人、部屋の隅に居たこの男に声を掛けたのも、真子だった。 真子から話しかける事は珍しい。その事が、まさも気になっていた。
「真子ちゃん、そいつは…」
「真北さん、解らないの? 真北さんの力を知っていながら
このような行動に出てる理由………解らないの?」
「………命を捨てる覚悟……それは、俺に倒されるつもり…と
言うことなのか? …そうなのかっ?」
荒く尋ねる春樹の気迫に、男は、ナイフを手放してしまう。 いや、春樹の気迫に負けたのではない。真子が掴む力が強かったのだ。男の腕は、真子が掴んでいる場所だけ、血の気が引いたように白くなっていた。
「お嬢様!」
真子の頬を涙が伝う。まさが慌てて駆け寄り、男から真子を引き離した。その途端、他の男達が、部屋になだれ込み、男を取り押さえた。
「お嬢様、もう、大丈夫ですよ」
まさが優しく声を掛けても、真子は泣き続け、首を横に振っていた。 まるで、真子にナイフを突きつけた男を哀れむかのような表情で…。
後ろ手に縛られた男は、頬を腫らして床に座り込んでいた。 その前に、春樹が立ち、男を見下ろしている。
仲間三人と一緒に、この時期、天地山を訪れる春樹を狙うよう指示を受けた。
二人は、春樹が地山一家に向かう途中を狙い、もし、作戦が失敗した時の為に、自分は天地山ホテルに客としてやって来ていた。 春樹を狙うように言われたのは、見知らぬ男だった。 報酬も良く、準備も万端だった為、見知らぬ男に言われた方法で、春樹を狙った。 天地山ホテルでは、春樹が大切にしている真子に、運良く接することが出来たのは、クリスマスパーティー。 背が低いのに、一生懸命背伸びして、ジュースを注ごうとしている所に声を掛けた。その時、少しばかり真子と話しをした。 そして、この日、まさと一緒に過ごしているところ見つけ、跡を付けた。 吹雪に巻き込まれ、まさと真子が入っていった喫茶店に駆け込んだ。 真子と仲良くなれば、恐らく、春樹を狙うチャンスが来るだろうと、考えていた。 しかし、狙う相手は、あの春樹。 腕が立つことは解っている。 それでも、作戦は…。 そう思って、吹雪で喫茶店から身動きが取れなくなった真子の様子を伺っていた。 真子を見ているうちに、荒んでいた心が、洗い流される気持ちが湧き起こる。その時、真子から声を掛けられた。
お兄さんも、一緒に遊ぼう!
その笑顔に、自分が思っていた事を悔いてしまう。 真子の笑顔を見ているだけで、心が和む。 夜。我に返った時、自責の念に駆られた。 自分がやろうとしていた事を恥じてしまう。 その時、春樹が現れ、まさとのやり取りを耳にして……。
「それで、俺にやられようと急に思った訳か?」
「真子ちゃんへの詫びに……すみませんでした!」
深々と頭を下げる。 顔を上げ、春樹の膝の上で眠る真子を見つめる。
「…落ち着いたんですか?」
男は優しく尋ねてきた。
「さぁな」
春樹の返事は冷たい……。
「まさか……拳をもらうとは…な…」
男の声は震えていた。
命を粗末にしようとした事で、真子から強烈な拳を頂いた男。 春樹の怒り、まさの怒り、そして、他の男達の怒りよりも、真子の怒りの方が激しかった。
まさに抱きかかえられ、部屋を出た真子。 男が、他の男達に抑えられた時に心で思った言葉を、聞いてしまい、まさの腕を振り切って、男に近づき、
命を粗末にしようと考えるのは、許せないっ!!
真子の突然の行動に、誰もが驚き、身動きが取れなかった。
真子の拳が、男の頬に飛ぶ! 誰もが、口をあんぐりと開けたまま、その行動を見届けるだけ。 男は、床に転がってしまう。 男を抑えていた男達も、抑えていた形のまま、動けずにいた。
こ……こわい……。
動けば自分たちも殴られる!! そう思った時だった。
「って、わぁっ! 真子ちゃんっ!」
真子は、ぱったりと倒れた。慌てて支える男達。そこへ春樹が近づき、真子をそっと抱きかかえた。
「眠る時間なんだよ」
春樹の言葉に、安堵のため息が漏れた。 そして、今…。
まさが、真子の肩に毛布を掛ける。真子は、少し動き、春樹の胸に更に顔を埋めた。 まさと春樹の表情が同時に弛む。
「何を考えてる?」
春樹が静かに言う。
「あなたと…同じ事でしょうね、きっと」
まさが静かに応えた。 二人は、呆れたように笑みを浮かべ、そして、眠る真子を見つめた。
「…で、まさぁ。どうするんだ? そいつ」
「真北さんこそ、どうされるおつもりですか?
吹雪が止んだら…動く…」
「…それは、無い」
珍しく否定の言葉。 しかし、まさには解っていた。
止められた…か。
春樹が天地山ホテルの到着した事は、湯川の部屋で飲んでいた芯は肌で感じていた。 感じるオーラに含まれる特殊な物にも気付いていた。 店長を脅して、中腹の喫茶店に行く前に、芯に捕まり、一喝されていた。
「………まさかと思うが…」
「お前が動くなら…っつーことで、俺の言葉も聞かずに」
「湯川の…馬鹿がっ…」
「あの…支配人」
「なんだよっ」
「京介も…」
「……!!!!」
この時初めて、店長の姿が無いことに気付くまさ。 気付いたときは既に遅し………。 吹雪く真夜中、二人の男を探すため、京介と湯川が動いていた。 雪の中は慣れている。それが効を成す。 明け方。吹雪が止んだ頃、春樹を襲った二人の男は、直ぐに見つかり、地山一家に手渡された。
中腹の喫茶店では、誰もが疲れて眠っていた。 朝、仕事の準備に取りかかる店長の真後ろに、まさ、そっと立つ。
「お前まで…動くとは…な…」
地を這う声に、店長は硬直。背中を冷たい汗が伝う。
「あの男は…?」
恐る恐る尋ねる店長に、まさは、
「監視の必要は無いが、真北さんが許さないだろうな」
「真子お嬢様は?」
「真北さんを掴んで離さなくてなぁ」
あぁ、それで、兄貴は不機嫌……。
「真北さんが起きるまで、そっとしておけ」
「支配人…あの…どちらに?」
店長に静かに言った、まさは、コートを羽織った。
「仕事」
短く言って、喫茶店のドアを開ける。 その後ろ姿に、『支配人』を感じた店長は、
「お疲れ様でした」
そう言って、まさを見送った。 店を見渡すと、男達は熟睡している。 奥の部屋をそっと覗くと、真子と春樹は、寄り添って眠っていた。
そりゃぁ、兄貴…不機嫌だわなぁ。
フッと笑みを浮かべ、再び、準備に取りかかる店長。 春樹と真子が起きたのは、昼前だった。 芯、向井、そして、八造が心配してやって来た時に目を覚ました春樹。 春樹自身も、誰かのオーラを感じるようで……。
(2005.11.19 第七部 第九話 改訂版2014.12.7 UP)
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