第七部 『阿山組と関西極道編』
第十六話 荒ぶる男
真子を膝の上に抱き、落ち着くのを待っている芯は、一人の男のオーラを感じていた。
これは、修羅場だな…。
そう思い、ちらりとドアの方に目をやる芯。 ドアの向こうに待機している男も、そのオーラを感じ取っていた。
「真北さん、本当に帰ってきた…」
八造が呟く。
「延期したと聞いたんだが……やはり、耳に入ったのか…」
「あれは、大変だな…」
「誰が止めるんだ? ぺんこうは、無理だろ」
「俺……なんだろうな。…兎に角、お嬢様の事を伝えないと」
「修羅場の後…の方がいいんじゃないのか?」
「なる前の方が良い」
そう言って、八造は慶造の部屋に向かって歩いていく。
慶造の部屋の前に春樹の姿を見つけた。 春樹が振り返る。
「くまはち…今は…」
静かに言う春樹。
「すみません…お嬢様に…」
「なに?」
春樹のオーラが一変する。
「真子ちゃんに何か遭ったのかっ!」
「実は……」
八造は、慶造達が本部に戻ってからの、真子の様子を細かく伝えた。
「今は、ぺんこうと一緒に居るんですが、ぺんこうにも
難しいようで…」
「そりゃぁ、一緒に向かったままの心で接したら、難しいだろな」
「真北さん…もしかして…」
「本部で聞いてきた。どこから連絡が入ったのかは知らないが、
…怪我をしたのは、猪熊さんと小島さんだったんだな」
「はい。命に別状はありません」
「……それも、これも……全部、こいつが悪いんだろ?」
そう言って、ドアを見つめる春樹。
「くまはちは、真子ちゃんの側に居てくれ。ぺんこうでも
難しいときに…頼むよ」
「しかし、私は…」
「お前の方が、得意だろ?」
少しだけ笑みを浮かべた春樹は、八造に真子の所へ行けと目で訴える。八造は、躊躇いながらも一礼し、真子の部屋へと向かっていった。
春樹は、拳を握りしめ、そして、ドアを思いっきり開けた。
慶造の部屋に、勢い良く入っていった春樹は、のんびりとくつろいでいる慶造を見て、大きく息を吐いた。
「聞いたぞ。……何をしに、関西に来た?」
「どこまで、聞いた? …報告は、細かくした方が……良いか?」
「その前に、俺に伝えることがあるだろう?」
「その…前に?」
「真子ちゃん…狙われたんだってな…どうして、俺に言わない?」
「俺以上に無茶する男に伝えてどうする。次に狙われたら
敵を…って言ったのは、お前だったよなぁ」
「あぁ、そうだが……相手…判っての行動か?」
「関西なまりだったんでな。これを機に、今までの想いをぶつけただけた」
その言葉に春樹は、抑え込んでいた怒りがわき出たのか、慶造を睨み付けた。 慶造も、それに応えるかのように睨んでくる。
「…俺、言ったよな。話し合いでケリつけるって。なのに、なんだよ…」
「真子が狙われたんだぞ。気が付いたら、動いていたよ」
「青虎が…狙ったらしいな。一族郎党皆殺し…だと言って」
「ほぉ〜、流石、刑事だ。そこまで聞き出しているとはなぁ」
「お前が差し出した手紙を見つけて、組員を問いただしただけだ!」
「他にも知っていそうだな」
「……こっちに向かって、本部で更に情報を仕入れてきた。
すでに、阿山組の行動は、上に知られてる!」
「その怒りも含まれてるって、ことか」
反省の色を見せない慶造の態度に、春樹は更に怒り出す。
「普段から、そういう態度で過ごしているからだぞ…。向こうの怪我人は兎も角、
こっちは、猪熊と小島が重体、ほとんどの組員は軽傷。…それに、なぜ、
ぺんこうとむかいんが加わったんだ? あ? 本来なら、二人を置いて、
えいぞうとくまはちだろが!」
「万が一本部への襲撃を考えて、そうしただけだ。…まさか、山本と向井が、
あそこまでやるとは思わなかったよ。やくざな奴らより肝が据わってたぞ。
…お前にも、見せたかった…!!!!!!!!」
慶造は、言い終わる前に、強烈な痛みを感じた。 それは、連続で感じる。 その痛みの発端が何なのか解った時は、床を滑り、壁にぶつかった時だった。 春樹の蹴り、拳、そして、頭突き。それらが瞬時に、慶造の体に突き刺さっていた。
「四代目!!」
突然響き渡った物音に、組員達が慶造の部屋へ駆けつけ、ドアを開けた。 しかし、組員は、何も出来ず、ただ、その部屋の中にいる男の姿に、息を飲むだけだった。
真北が、怒っている…。
触れると火傷しそうな程、怒りを露わにしている…。
春樹の目線に、後ずさりする組員達。
離れなければ、殺られる!
組員達は、そう思ったが、春樹の標的は、壁際で、口から血を流す慶造だけの様子。
「ふっ…あの時の仕返しか?」
慶造が呟いた。
「状況が違うやろ…」
そう言って、ドアを思いっきり閉めた春樹。そのまま慶造を見下ろした。
「仕方ないだろ。これが、俺の生きている世界なんだよ」
慶造が、ゆっくりと体を起こしながら言った。
「それじゃぁ、何か? 真子が狙われて、黙っておけとでも…?
今回は、無事だったから、良かったものの、もし、…ちさとのように…
命を落としてしまったら、どうした? …お前だって、走っていただろうが!!」
「あぁ。そうだ。だがな、その結果はどうだ? あ? 真子ちゃん、未だに
落ち着かないんだぞ。ぺんこうが、なんとか、落ち着かせたから
よかったものの、真子ちゃんまで…真子ちゃんの笑顔まで、失われて
しまったじゃないか!…折角、取り戻した、笑顔…なのに、お前は、
どうして、そう簡単に奪おうとするんだよ…」
「…お前が、怒るのは、それだけか?」
「他に、何がある?」
「関係ない二人を連れだしたことには、触れないのか?」
「……触れて、欲しいのか?…足腰立たないようにして…欲しいのか?
あ?…慶造よぉ〜。」
春樹は、慶造の胸ぐらを掴み上げる。
真子の部屋の前に戻った八造は、春樹の怒りのオーラをひしひしと感じていた。 あまりにも長いため、このままでは、真子にも影響すると考えた八造は、再び慶造の部屋へと向かっていく。 廊下には、先程まで居なかった組員達の姿がたくさんあった。 誰もが恐れたような表情をしている。それを観た途端、八造の顔色が、変わった。
まさか…。
「…何してる? 未だに真北さんは、中か?」
八造の言葉に、組員達は頷くが、なぜか、異様な雰囲気に感じる八造。不思議に思いながら、ドアをノックしようと手を出した。 中からは、話し声が聞こえてくる。 春樹の哀しみが混じった怒りの言葉に、八造は、拳を握りしめた。しかし、その後に直ぐに聞こえてきた音に、
「…てめぇら、なんで、停めないんだ? あ?
四代目が、やられてるんだぞ…。」
八造のオーラが一変した。 八造は、春樹と慶造は話し合っていると思ったらしい。しかし、慶造が殴られ蹴られ、床に倒れ…そういう音が聞こえてくる事に、組員達の行動を叱責する。 先程見た、春樹の怒りの眼差しに匹敵する程の八造の眼差し。 組員達は、もう、何も出来ない。 八造がドアノブを回すが、鍵が掛かっていた。
「くそっ!」
そう呟いた八造は、息を整え、気合いを入れた。
「うるるるらぁぁぁぁ!!!!」
慶造の部屋のドアが、八造によって蹴破られた。
「真北さん!!」
慶造の胸ぐらを掴み上げて、拳を連打している春樹。その春樹の両腕を抱え込み、攻撃を阻止した。 春樹は、八造の腕を振り解こうと暴れ始める。しかし、八造の力は、かなり強く…。
「あなたまで、そんな雰囲気を醸し出してどうするんですか!!
お嬢様が、益々哀しみます!!」
「…くまはち…」
八造の言葉に反応するかのように、春樹の怒りのオーラが少しずつ消えていく。 八造は、春樹からゆっくりと手を離す。 しかし、春樹は、足下にうずくまる慶造に蹴りを一発……。
「真北さん!!」
「うるせぇ!」
「四代目…。なぜ、打たれるだけなんですか…。まるで、
何かに謝罪するような…」
「…気にするな」
八造は、慶造の息が荒いのに気付き、そっと肩を貸して医務室へ向かって歩き出す。
「…お前、ほんまにすごいな」
「何も話さないでください。傷に響きますよ」
「話でもしないと、痛みを感じるよ」
「無茶しすぎですよ」
その言葉に、慶造は何かを感じる。
「…本当なら、お前が、やりたかったんか?」
「…親父のことは、気にしてませんよ。それが、私たちの家系ですから。
命が助かっただけでも良かった…。ありがとうございます…」
「…お礼は…俺が言う…んだ…よ……」
「四代目?!」
慶造の体から、少し力が抜ける。
「…真子…の……様子…は?」
「ぺんこうが、頑張ってますから。四代目は、ご自身のことをお考えください」
「…あぁ。そうだな……。何の用事だった?」
「真北さんのオーラが、お嬢様に影響しそうだったので、
止めに来たんです。…それと…えいぞうが、単独で、大阪へ」
「何…?」
医務室に到着した二人。八造は、ベッドの上に慶造を寝かせ、治療を始める。
「えいぞうが、単独で…。まさか…」
「お嬢様の言葉を聞いた途端、急に…」
「真子の言葉?」
「…真っ赤になる姿は、もう、見たくない…怖い、哀しい…」
真子……。
慶造は、溢れそうな感情を、グッと堪える。
「これは、本当に厄介な事になるよな…。栄三は、
俺や真北以上に、真子に対しては…」
そこまで話した時、美穂がやって来る。
「八造くん!! ごめん、こんなことになってるとは思わなくて…。
……病院の方が…」
慶造の姿と表情を見ただけで、容態が解ったらしい。
「…俺は、そんなにやわじゃない」
「真北さんの時は、医者だったんですよ。八造君、病院へ急いで!」
「はい」
八造は、気が遠のき始めている慶造を背負い、医務室を出ていった。
阿山組本部から一台の車が出ていった。
「…やりすぎやぞぉ、馬鹿やろ…ぉ」
「知るか!」
冷たく言ったのは春樹。
「…しかし、くまはち、お前は怪力だなぁ」
運転席の春樹は、助手席に座る八造に話しかけた。
「何を根拠に?」
「俺の腕を停めただろ。…離れなかったから、どうしようかと思ったよ」
「…八造ぅ、ありがとな。お前がこいつを…停めなかったら、
俺、死んでる…」
後部座席に寝転んでいた慶造が、体を起こす。
「四代目、起きてはいけません!!」
「大丈夫だと言っただろ。抵抗しなかった分、しっかりと構えていたからな」
「だと思ったから、思いっきりやったのになぁ。くまはちが停めるからぁ」
「すみません」
「八造、これからも、こいつが怒りを爆発したときは、停めて
やってくれよ。あの調子だと、ほんとに殺りかねんぞ。流石、
やくざ泣かせの刑事だな。身にしみたよ」
「俺は、まだ怒ってるっ!」
真北が怒鳴ると、慶造の傷に響く。
「怒鳴るなぁ…」
「うるさいっ!」
「くっくっくっく! …いててて…」
そんな春樹の口調に、慶造は含み笑いをしたものの、腹部の痛みに耐えられず、前のめりになっていた。
「四代目っ!」
「慶造!」
流石の春樹も、慶造の仕草に焦り、叫んでしまう。
そして、車は、阿山組御用達・道病院へと入っていった。
真子の部屋。 向井が、そっとノックをしドアを開けた。
「お嬢様、ご飯…どうしますか?」
向井が優しく尋ねてくる。向井には見えてないが、真子は首を横に振っていた。それには芯しか気付いていない。芯は顔を上げ向井に首を振る。
「何か食べないと…」
向井は、そう言って、真子に近づいてくる。
「むかいん…」
真子が静かに呼ぶ。
「はい」
「むかいんは、怪我…してないよね」
「…お嬢様……」
「むかいんも一緒に出掛けたんでしょう?」
芯の肩越しに真子が向井を見つめる。
「えぇ。私も怪我はしてません」
「むかいんも…血で…」
「小島さんの治療をしていたので…」
「猪熊のおじさんと小島のおじさんの治療の為に、
ぺんこうとむかいんを連れて行ったの?」
「そうですね」
「………でも……」
真子は再び、芯の胸に顔を埋めた。
「少しだけで栄養満点の物を作ってきます。ぺんこうは?」
「俺も一緒でいい」
「解った」
向井は静かに出て行った。
「…ぺんこう…」
真子の声は震えている。
「はい」
「ご飯……いいの?」
「私も心配ですから、食べ物も喉を通りそうにありません」
「大丈夫?」
「えぇ」
芯の返事に、真子は少しずつ元気になっていく。
厨房の顔を出した向井は、こめかみをピク付かせていた。
「……誰が…使ったぁ?」
向井の怒りは、食事担当の組員に伝わっていく。
「…あの、…栄三さんが、お嬢様の為に…」
「…この際は仕方ないか……っ!! 栄三は?」
「駅で待機してる組員からの連絡で、単独で大阪に
向かったそうです」
「大阪?」
「はい」
「今行けば、それこそ……」
お嬢様を哀しませる二の舞になる!!
向井は、拳を握りしめる。
無茶はするなよ、栄三っ!!
向井の想いが届いたのか、大阪に到着した栄三は、阿山組本部のある方を見つめた。
お嬢様を哀しませる事は、許さない……。
振り返る栄三の眼差しには、何か途轍もない物が含まれていた。 一歩踏み出す足は軽やか。それなのに、醸し出すものは……。
道病院で、治療を終えた慶造は、ベッドから体を起こす。
「慶造くぅん? 帰るつもり?」
美穂が怒りを抑えた口調で尋ねる。
「あぁ。真子が心配だ」
「あのねぇ、慶造君には、何もできないでしょう?」
そう言った美穂を見上げる慶造。
「な、何よっ!」
美穂には、いつもの勢いを感じられなかった。
「心配なら、付いてあげろよ」
「いいの。健が付いておくって、言って聞かなかったんだから。
目を覚ますのは、明後日だから、それまで、側に居る方がいいの。
久しぶりに接近してるんだからぁ。そういや、剛一君…どうするのかな」
「…修司が目を覚ましたら、追い返してるだろな」
「かもしれないね!」
「…それと、栄三の事は…」
「気にしないでね」
「気になるから、言ってるんだ。…小島のような終止符を
打とうとしてないだろうな…」
「大丈夫。真子ちゃんの狂乱を目の当たりにしてるでしょう?
命は奪わないわよ。…きっと、拳一つで相手を納得させるわよ」
「また、それかよ…」
慶造が呆れたように言った。
「他の親分さんは、違ったんでしょう、真北さん」
「あぁ。青虎の単独行動だ。水木や須藤たちは、慶造と俺の話に
応えるつもりで動き始めていたらしいな。それを察知した青虎が
慶造を亡き者にすれば、須藤達が諦めると思ったんだろうな」
「ということは、お前も含まれていたんだな。一族に」
「そりゃぁ、慶造と行動を共にしていたら、誰の目にも一族に
映るだろうなぁ。…困ったもんだ」
「ほんとだ…」
「………って、軽く言ってる場合じゃないだろがっ。どうするんだ?」
「栄三に任せるよ」
「あのなぁ〜っ、……っ!!! …もぉぉぉぉぉっ!!!」
春樹は、怒りをどこにぶつけて良いのか判らず、その場をじたばたするだけだった。
「じゃぁ、俺は帰るぞ。真子ちゃんが心配だ」
「……って、少しすっきりした雰囲気が気に喰わんっ!」
「慶造を殴って、少しは晴れただけだ。まだ終わってないっ!」
怒りを抑えたように、春樹が言う。
「俺も戻る」
慶造は本当に帰ろうとする。
「だから、慶造くぅん〜」
「美穂ちゃんも来ればいいだろが」
「………。…そっか。じゃぁ、戻りましょぉ〜」
小島家独特の話し方をして、美穂は帰る用意をする。
ったく…。
と呆れる春樹は、慶造に肩を貸して、美穂の事務室から出て行った。
あらら…珍しいぃ〜。
二人の仲の良さを目の当たりにした美穂は、優しく微笑みながら、八造を促して二人に付いていった。
少しのんびりしている道病院。そこに一本の電話が入り、道病院院長の息子に繋げられた。
「代わったぞぉ」
『忙しいところすまん。…こっちは修羅場でなぁ』
「手伝いはせんぞ」
『そうじゃなくて、お前の助言〜』
「しないと言っただろが、橋ぃ」
『腕を斬り落とされたんだよ』
電話を掛けてきた相手は、大阪にある橋総合病院の院長・橋だった。道は、橋の言葉を聞いた途端、眼差しが変わる。
「状態は? 落とされた腕は、無事か?」
『無事だ。骨も繋いだ。血管も繋いでる。血行も出てきた。
しかしな、やはり、神経系がむずかしい。元に戻してやりたい』
「解った。口頭で説明してくれ。そして、俺の指示通りに
繋げていけよ」
『あぁ。まずは…』
専門的な言葉が電話口でやり取りされる。 傍らで聞いていた他の医者は、改めて、道の腕と頭の良さを実感した。
橋総合病院・手術室。 橋は、道の言葉を一言一句聞き逃さないように、いつも以上に深刻な表情で挑んでいた。 手術台に寝転ぶのは、ミナミの街で、芯によって腕を斬り落とされた水木組の西田だった。 手術室の前では、水木組組員が待機している。水木は、西田の容態を耳にした途端、気を失うように倒れた桜を見守っていた。
沸々とわき出る怒り。 それは、阿山組に対してではなく、自分自身に対してだった。 大切な者をもう少しで失うところだった。 声を掛けるのが、一瞬遅れた。 それが、この結果……。 水木は大きく息を吐き、病室を出て行った。 ベッドで眠る桜を残して……。 病室のドアが閉まる音で、桜は目を覚ます。
「あんた……?」
震える声で水木を呼ぶ。自分が置かれている状況を把握出来ないのか、桜は、辺りを見渡す。
病院……!!!
そこが病院だと気付いた桜は、慌てて病室を出て行った。
「桜っ!」
自分が出て直ぐにドアが開いた事に驚き振り返る水木は、目の前にいる桜を見て、更に驚いた。
「腕…」
「まだ、手術中だ」
「…行っても…ええんか?」
「大丈夫か?」
「あんたが側におるから……大丈夫や」
「そっかぁ」
そう応えた水木は、桜の体を支えるように、腕を回した。
「橋先生に任せておけば、本当に安心やから」
「他の組員は?」
「腕の腱を切られたらしいな。治るのは時間が掛かるってさ」
「そっちも…橋先生が?」
「あぁ。…神業で治してるよ…あの化け物…」
橋の腕の良さに驚きを超して、恐怖を感じる水木は、思わず、そう口にした。
「あんた…」
「ん?」
「橋先生に怒られるで」
「…大丈夫や。そこまで地獄耳ちゃうやろ」
「相手が…誰か解ったら……荒れるんちゃうか?」
「西田の腕を斬り落としたのが、阿山組…ということか?」
「うん…」
「荒れるやろな……。いや、もう、荒れてるかもな」
水木は静かに言った。
栄三は、川原組組事務所の前にやって来た。 阿山組が暴れた後だけあって、流石に、組事務所は慌ただしかった。 栄三は、煙草に火を付け、組事務所の様子を伺っていた。 組事務所から、組員が一人出てきた。
「あれ? 栄三さん」
川原組と言えば、阿山組幹部・川原とは、親戚にあたる組であり、現・川原組組長の川原聖哉が跡を継ぐ前までは、阿山組とは少しばかり懇意にしていた。 今では、顔をあまり合わせた事が無いとのことで、阿山組幹部・川原とは疎遠になっているが、馴染みの組員は、阿山組の者の顔は知っており、話したこともある。その為、組事務所から出てきた組員は、現在の状況は解っていても、こうして、栄三に話しかけてきた。
「よぉ」
「よぉ…ちゃいますって。ええんですか? 今、やばいっしょ?」
「まぁなぁ。…そりゃぁ、やばいやろなぁ。………俺の怒りが」
そう言って、ギロリと睨み上げる栄三。その眼差しに、組員は、恐れてしまう。
「うちの組長は、関係ありまへんって!! 狙ったん、青虎やって!」
「解ってるわい。お前の顔を立てて、話に来たんやけど……」
栄三のオーラが、急に変わる。 醸し出すものは、近寄りがたい。 栄三は、一カ所を睨み付けたまま、動こうとしなかった。 組員は、栄三の目線の先に振り返る。
「親分っ!」
「小島ぁ。状況解ってて、こうして来たんか?」
川原聖哉が、栄三に負けじと睨み上げる。
「……なぁ、聖哉はん」
栄三は、煙草を吹かしながら、言う。
「あ?」
「…あんたの親父さんの時みたいに……また、仲良う、できへんかいのぉ」
静かに言う栄三。しかし、川原聖哉は、その言葉に従おうとはしなかった。
「無理…やな。…昔から、馴染みある組員と親しくするんは
ええんやけどな。…俺には、面識…あらへんし」
「……それは……あんたの勇気が足らんからやでぇ」
「なに?!」
「昔のように、阿山組と仲良うしとったら、藤組だけでなく、
谷川、水木、そして、須藤……それぞれ、関西では名の知れた
組といざこざが起こる。…親父さんを亡くした時のような想いは
誰にもさせたくない。……そうなんだろう?」
「あぁ。…なら、応えは解るだろが。…引き取れ。今、お前ら
阿山組の者がうろついていたら、命の補償は……っ!!!!」
川原聖哉は言い終わる前に、腹部に強烈な痛みを感じ、前のめりになった。
「栄三さんっ!!!!」
と組員が叫ぶ声が聞こえ、顔を上げた。 そこには、殴ることが楽しみだと言いたげな表情をした栄三が居た。
「きさまぁっ……これは、阿山慶造の……」
「…俺個人の想いなんだけどぉ〜。…駄目ぇ〜?」
疑問系の言葉で、栄三は語りかけ、そして、川原の腹部に拳を連打する。
「な…っ……な……んで……や……ねん……」
川原は腹部を抑えて、その場に崩れ落ちた。
「応えは、解るよな……聖哉さんよぉ」
そう言って、くわえていた煙草を、川原目掛けて吹き飛ばす。 煙草は、川原の目の前に、飛んできた。思わず避ける川原は、背を向けて去っていく栄三を見つめていた。
一足…遅かったか………。
そう想いながら、気が遠のいていった。
藤組組事務所に、一本の電話が入った。 組員が応対し、電話を切った後、血相を変えて組長室へとやって来た。
「親分っ!!!!!」
「なんや、叫ぶなっ。俺、考え中やっ」
「川原親分っとこに、殴り込み…ちゃう…えっと…阿山組が」
「阿山組は引き取ったやろが。青虎と水木んとこの組員を
斬りつけてから」
「ちゃいますって。その…阿山組の組員の……」
『小島栄三が、怒り任せに、ケリ付けに来てるんですわぁ』
ドアの向こうから突然聞こえた声に、藤組組長・藤優哉と組員が振り返る。 ドアが勢い良く開いた。反動で跳ね返って閉まりそうになったドアを一人の男が、体で止めた。
「こ、小島栄三……」
「こぉんにちわぁ〜」
軽い口調で挨拶をする栄三は、ゆっくりと藤優哉に歩み寄る。
「ケリ付けに来た? どういうことや? わしら、関係あらへんやろが。
青虎単独の行動やろ? だから、青虎を真っ先に……」
「まぁ、そうやけどなぁ。…その青虎の単独行動の前に、
うちの四代目と真北が話に来たよなぁ。…その返事……ぃ。
わしに直接、言ってんかぁ?」
「小島が代行なのか? 何も急に…」
「…こういうのんは、はよした方が、ええやろぉ?」
栄三は、突然、目の前にあるデスクを横に蹴る。 蹴りの勢いは、かなりのものだったのか、デスクは壁に突き刺さった。
げっ……。
デスクの動きを目で追った藤は、異様なものを感じ、ゆっくりと目を移した。
「!!!!」
腹部になまりが落ちたような重みを感じ、前のめりになった。 目の前に居る栄三に寄りかかるような態勢になった藤は、腹部の重みが連続で続く事を不思議に思い、態勢を整えようと体を起こした。ところが、そのまま仰向けに倒れてしまう。
な、なんや?!
自分が置かれた状況を把握出来ず、藤は、呆然としていた。
「早急に、応え…待ってまっせ」
栄三はそう言って、事務所を去っていった。
「お、お、親分?!??? 親分っ!!!」
そう呼ばれて、現実に引き戻された藤は、腹部に強烈な痛みを感じ、体を丸めた。
人々が行き交うミナミの街。栄三は、そこへやって来た。慣れた感じで歩いていくその先に、通い慣れた演芸場があった。演芸場から聞こえてくる拍手に、少しばかり懐かしさを感じる栄三。 ふと笑みを浮かべて、その場を去っていった。
少し歩くと、立ち入り禁止となっている場所に来る。 そこは、一日前に、血生臭い争いが起こった場所。 立ち入り禁止のロープの向こうに、一人の男を見つけた。 栄三はその男を見つめる。 その男こそ、谷川組組長・谷川だった。栄三は、谷川の動きを見逃さない。組員と話し込んでいた谷川は、姿を消した。 それを追うように栄三も歩き出す。谷川が向かう先は解っていた。 栄三は、先回りをするため、路地へと入っていく。 入り組んだ路地を慣れた感じで歩き、そして、大通りに出る。 ふと目をやった所を、谷川が組員と一緒に歩いてくる。 歩みを停めた谷川。どうやら、栄三の姿に気付いた様子。 栄三は、にやりと笑みを浮かべ、谷川に近づいていった。
「…小島。なんのようや? 話は、阿山四代目にするつもりや」
「先に…聞いておこうかと思ってやなぁ」
「……お前の行動…耳に入っとるで。…川原と藤を痛めつけたらしいな。
次は、俺か?」
「場合によっちゃなぁ」
「場合?」
「あの二人。谷川さんも御存知のように口では賛成と言っておきながら、
実は違ってるだろ」
「そうやな。あわよくば、阿山の命を狙うつもりらしいし。まぁ、あの二人より
青虎の血の方が恐ろしかったっつーこった」
「まぁ、そうやろな。…で、場合によっちゃぁ、あんたも同じ目に遭うけど…」
軽い口調で栄三が言うと、谷川は大きく息を吐いた。
「ったく。親父と同じで、相手を力でねじ伏せるか終わらせるか…だな。
阿山慶造は、それを望んではおられないだろうが。…解らないのか?」
「解ってる。…だがな、目には目を…という事もあるだろう?
何度言っても解らないなら、仕方のない事だと思うがなぁ」
「そういう世界が嫌だから、阿山慶造は、話を持ってきたんだろうが。
それなのに、小島が、阿山慶造の意見とは正反対の行動をして
どうするんだよっ!」
「これは、四代目とは関係ない行動なんでなぁ」
「はぁ?」
訳の解らないという表情をする谷川。しかし、その表情は、栄三にとっては、馬鹿にしたような表情にしか見えなかった。その為…。
「ってっ!!!!!」
栄三は、谷川の頬をぶん殴っていた。
「なんや、いきなりっ!!」
「…さぁ、解らん」
栄三自身、谷川の頬を殴った事に驚いていた。
「まぁ、谷川さんの応えは、解ってましたからぁ。……で、残りの二人は、
やはり、迎える準備をしてる……とか?」
栄三の不思議なオーラに、谷川は、自分の耳に入った情報を、栄三に伝えてしまう。
「ありがとなぁ」
そう言って、栄三は去っていった。
「親分っ!」
「あかん…顎がガタガタや……」
谷川は頬を抑え、そして、とある場所へと向かっていった。
栄三は、とある組事務所の前にやって来た。 組員達の慌ただしい動きを、一つ一つ逃さないように見つめていた。
あと…二つ……。
栄三は、目の前の組事務所へ、恐れることなく入っていった。 須藤組組本部と書かれた看板が、掲げられていた。
(2005.12.25 第七部 第十六話 改訂版2014.12.7 UP)
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