第七部 『阿山組と関西極道編』
第二十二話 再び、追いかけて…?
天地山最寄り駅。
まさは、改札口で列車の到着を、今か今かと待っていた。駅員が、そっとまさに歩み寄る。
「支配人、列車の到着は遅れてますから、部屋の方に」
「うるさい」
「………兄貴」
「俺のことは、ほっとけ」
駅員は、まさが、我を忘れていることに気付いていた。それをまさ自身に気付かせようと『禁句』を口にしたものの、やはり、まさは、我を忘れているからか、気付かない。
「列車が到着する時刻が近づきましたら、御連絡致しますから、
それまで、部屋の方に」
「俺のことは、ほっとけと、言ってるだろがっ、秀一っ…あっ…」
「はぁ……やっと、気付かれましたか…」
「すまん………。…あんな寂しげな声を聞いたら…」
「お気持ちは察します。でも、列車は飛んできませんから」
駅員は優しく声を掛ける。
「ったく…解ってる」
そう言って、まさは、駅員の頭を小突き、駅長室へと入っていく。
腰を掛けたまさに、秀一と呼ばれた駅員が、お茶を差し出す。
「ありがと」
「しかし、支配人が、そのようなことを仰るとは…」
「仕方ないだろ。お嬢様の話を聞いていると、あの場所から
離れた方が良いと考えてだな……気付いたら…言ってただけだ」
「こちらに来られた方が……ですね」
「あぁ」
まさは、お茶をすする。
「そうだよな…誰にも気付かれずに…と言えば、そうなるよな」
そう言って、まさは項垂れる。
「あっ、兄貴…」
「……俺の失態だよ…」
駄目だ…また、我を失われておられる…。
その時、無線が入った。列車が到着するという連絡。まさの表情が、がらりと変わる。そして、再び改札口へと向かっていった。
「いや、あと十五分ですよ……兄貴ぃ〜」
まさの事を『兄貴』と呼んでしまう、この秀一。もちろん、地山一家から引き抜かれた元やくざの一人である…。 まさの行動範囲には、必ず居る組員たち。その男達は、自ら買ってでた者で、まさのことを慕っていた人物だった。まさの力になりたいと、足を洗い、そして、まさを影ながら支えていた。 その事は、まさ自身も知っている。だが、敢えて、お礼は言わない。 自分が支配人として、生きていく事で、お礼を言っているのだった。
列車が到着した音が聞こえてきた。 まさは、改札を入っていく。 階段から、真子と桂守が下りてきた。
「お嬢様っ!」
まさの声が、駅舎に響く。真子は顔を上げ、そこにまさが居ることに気付いた途端、
「まささんっ!」
まさに駆け寄り飛びついた。 しっかりと真子を受け止めた、まさ。その腕に力を込める。
「申し訳御座いませんでした、お嬢様。私の言葉が…」
「いいの……いいの!! …わぁぁん」
真子の泣き声が、辺りに響く。 真子の気持ち、そして、まさの気持ち。二人の気持ちが解っている桂守と秀一は、声を掛けることすら出来ず、ただ、二人を見つめるだけだった。
落ち着いたまさは、車を運転していた。
「そうでしたか。…ありがとうございました」
天地山ホテルに向かう車の中で、真子の行動を桂守から聞いた、まさ。 真子には桂守が付いていることは、隆栄の電話で知った。 安心したものの、自分が真子を呼び寄せた形になった事を、反省していた。
「それで……例の男達には?」
「お嬢様の置き手紙に気付いて、一悶着……」
「そうでしたか。……小島親子は無事なのかな…」
「ご心配なく。隆栄さんも栄三ちゃんも、時間稼ぎすると仰いましたから」
「どこまで稼げるか…だな。それよりも、向こうの世界を
落ち着かせた方が、賢明だと思うんだが……」
「それは後程」
「あっ、すみません…」
真子には聞かせられない話。 二人は言葉を濁してしまう。
「それにしても、泣きやまない……無理もないか…」
まさは、運転しているが、膝の上には、真子を乗せたままだった。 真子は、まさにしがみついたまま、中々泣きやまない。 しまいには、そのまま眠ってしまった。
「移動中、一睡もしませんでしたよ」
助手席の桂守が、そっと告げた。
「それ程まで、こんな小さな胸に、秘めていたんですね。
お嬢様……」
まさは、真子を抱きしめた。
「…支配人」
「はい」
「だから、運転…代わりましょうかと申したんですが…」
「あっ、すみません…」
雪道なのに、まさは、ハンドルから手を放していた。
直線で良かった…。
思わずホッとする桂守だった。
阿山組本部・医務室。
ベッドに眠るのは、隆栄と栄三の二人。 八造からの拳で、珍しく倒れてしまった栄三が目を覚ました。
「目……覚ましたか……すまん、えいぞう」
栄三の側には、八造が付きっきりだった。
「ん? …あ、あぁ…」
八造の向こうには、二人の男の背中があった。
「…暫く…駄目だ……。八やん、強すぎや…」
「だから、すまんって……」
「机を叩き割った勢いのままだと、そりゃぁ、ぶっ倒れるわなぁ、えいぞう」
八造の向こうにいる一人の男が振り返る。 春樹だった。
「真北…さん……」
栄三は、そう言うのが精一杯。
「…!! 親父っ?!」
「すまん、栄三ちゃん。……思わず…いつものように…」
そう言って振り返る慶造。 思いっきり恐縮そうな表情をしていた。
「親父……悪化してませんか?」
「あぁ」
「それなら、大丈夫だと…思うんですが…」
「まさか美穂ちゃんが出張してるとは……」
「そうですよ……だから、無理するなと言ったんですが…」
「桂守さんも暫く帰らないとか…」
「…それは、誰からですか?」
「和輝くんから」
春樹が応える。
「そうですか…」
和輝さん、言ってないだろうな……。 まぁ、口は、固いし…。
そう思いながら、栄三が目を瞑る。
「って、栄三!! 本当に大丈夫か? おい、栄三っ!!」
八造の慌てふためく声を耳にしながら、栄三は……寝たふりをする。 もちろん、隆栄も倒れたふりをしていた。 二人の『嘘』は、なぜか、ばれていない。 本来なら、ばれるはずの二人の仕草。だが、この時は、真子の家出が効を成していた。
暫く、寝とこぉ〜。
隆栄と栄三の心の声だった。
天地山・まさの部屋。
真子は、まさのベッドに寝かしつけられた。優しく布団を掛け、真子の頭をそっと撫でて、隣の部屋へと戻っていく。そこは、支配人としての仕事の場。 ソファには、桂守が腰を掛け、差し出されたお茶を飲み干すところ。
「もっと、ゆっくりされたら、どうですか?」
まさが声を掛ける。
「色々と心配ですからね」
やんわりと応える桂守だが、ふと、何かを思い出した。
「お約束のお話……致しましょうか?」
「…お願いします」
まさの表情が、少し幼く見えた。
桂守は、自分が知っている限りの、まさの父の話をし始めた。 もちろん、その世界…『殺しの世界』…で生きていた頃の話だが、まさは、自分の知らない父の姿を垣間見た気がしていた。 父の師匠にあたる桂守。 その桂守が、どうして、父の命を奪う隆栄の手助けをしたのか、そこも知りたいまさ。 桂守の話に、その事も含まれていた。
何度もやり直した人生。 その終止符となったのが、隆栄の父との対決だった。 本来なら、命を落としても可笑しくない傷。 それでも、桂守は生きていた。 暫くは、動けなかった。 それを看病したのが、隆栄の父。 猪熊家が阿山家に仕えるように、桂守自身、小島家に恩義を感じ、そして、今に至る。 淡々と話す中、桂守が言った。
あの日、隆栄さんが、支配人を前にして躊躇ったように、
私も、あなたの父を前にして、躊躇いました。
…あなたの父は、自ら向かってきたんです。
刃に突き刺さる寸前、笑顔を見せました。
私の手で、命を奪って欲しかったそうですね…。
その事は、後程届いた手紙で知りました。
桂守の言葉で、まさは、父が本当に、殺し屋家業から足を洗おうとしていたことを知る。しかし、まさ自身、その世界で生きていた。その手を、何度も赤く染めていた。 父の代わりであった、天地の為に…。
まさは、ギュッと拳を握りしめた。
「でも、今は、あなたは、お嬢様の為に…生きておられるんでしょう?」
桂守が語る言葉。 それは、優しく、温かく、心に突き刺さっている氷のとげを溶かしていくようなモノを感じる。 まさは、真子が眠る部屋に目をやった。そして、
「えぇ。だから、お嬢様の力になりたくて、無茶なことを…」
「お嬢様は、喜んでおられますよ」
「そうだと…いいけど…」
「移動中、そっと私に告げて下さいました。一人で天地山に向かうのは
危険だけど、それ以上に、自宅にいる方が、危険だと。…そう仰ったんでしょう?」
「えぇ。…その時は、私自身も気が動転してました。お嬢様の
あまりにも寂しげな声に…」
「打ち明けたくても、打ち明けられない状態だったんですね…。
支配人は、そうなることを予測して、お嬢様に連絡先を?」
「………いいえ。…ただ、お嬢様の事を考えて……」
「その結果が、こうなんですね」
「そうですね。良かったのか、悪かったのか……」
「お嬢様にとって、良いことですよ」
「あなたに、そう言ってもらえると、安心します」
まさの言葉に、桂守は、微笑んだ。
「私も、まだまだ役に立つんですね…」
「えぇ」
二人の湯飲みにお茶が注がれる。
「ところで、明日から、どうされるんですか? この時期は忙しいでしょう?」
「そうですね。でも、お嬢様は、お一人で頂上に行くと仰るでしょうね」
「暫く、御一緒しましょうか?」
「しかし、本部の方は…」
「隆栄さんは、一週間ほど、寝込むらしいですから」
「……そこまで、芝居が通じるか……祈るのみ…ですね」
「えぇ」
二人は、同時にお茶をすすった。 まさが、桂守に目をやる。
「なんでしょうか?」
「その一週間ですが…」
「…はぁ」
「こちらで、過ごして頂けませんか?」
真剣な眼差し。 桂守は、まさの目を見ただけで、何が言いたいのかが解った。そっと笑みを浮かべ、
「お言葉に甘えさせて頂きましょう」
「ありがとうございます」
「その代わり…」
「??」
「支配人…無理なさらぬように」
「さぁ、それは、どうでしょうね」
意味ありげな笑みを浮かべた、まさは、お茶を飲み干した。
次の日。
天地山はあいにくの吹雪となる。 外に出ることは許可されない為、ホテルの客は、それぞれが楽しい時間を過ごしていた。 真子は、いつもの部屋で、窓の外を眺めていた。しかし、見える景色は、真っ白。
「お嬢様、何か楽しいお話…しましょうか?」
真子から少し距離を置いて立っている桂守が優しく声を掛ける。 真子が振り返った。
「桂守さん」
「はい」
「お話…たくさん知ってるの?」
「えぇ。私はこれでも、長年生きてますからねぇ。歴史…得意ですよ?」
「くまはちにね、お話してもらった事があるの。平安の女性の話や
室町時代のお話など…」
「う〜ん、その頃は、まだ私は生まれてませんので、詳しく知らないですね。
でも、江戸時代の末期あたりは、得意ですよ。どうですか?」
「聞きたい!」
「では、こちらに!」
桂守は、真子をソファに招く。真子がソファに座り、桂守は、真子が座ったソファの後ろに立った。
「桂守さん、ここ!」
真子が隣に座るように促した。 少し躊躇う桂守だが、真子の眼差しに負け、隣に腰を下ろした。
「おほん。…そうですね、江戸時代は……」
……と、桂守の昔話が始まった。 その話は、桂守が目にしたことばかり。 幼い頃、髷を結った人がたくさん、周りにいたという桂守だからこそ、話せる話ばかりだった。
真子と桂守が、部屋で物語を語っている頃、支配人室では、まさが、いつも以上の速さで仕事をこなしていた。 本来なら、支配人だけの仕事をする時期。しかし、今年は、真子との時間が急に出来てしまった。 嬉しいことなのだが、真子は『家出』したことになっている。 それも、自分自身が促した形で……。 ペンを持つ手が、ふと止まる。 まさは、軽く息を吐いた。
俺に連絡したこと知ったら、それこそ……やばいよな…。
上手く誤魔化してくれよぉ〜小島さぁぁぁん…。
まさの思いが届いているのか、阿山組本部の医務室では、隆栄と栄三が、未だに眠っていた。 ドアが静かに開く。そっと顔を覗かせたのは、向井と芯だった。
「よっぽどだったんだな…くまはちの怒り」
そう呟いた芯は、そっとドアを閉めた。 医務室を背に廊下を歩いていく二人。 芯は、いつもの時間に真子に電話を掛けた。 その時は、何も言わず、いつもと変わらない声だったらしい。その後、真子は荷物をまとめ、置き手紙をして部屋を出たらしい。次の日。真子が家出をしたことを知らずに、電話を掛けた芯は、出た相手が向井だったことに驚き、一部始終を向井から聞き、そして、今に至るのだった。 食堂に入っていく向井と芯。 ソファに腰を掛け、テレビのスイッチを入れた。
「くまはちの怒りは、くまはち自身に対する怒りだろうな」
向井が言った。
「それなら何も、えいぞうに当たらなくても…」
「まぁなぁ。…四代目の部屋の机を叩き割る程の勢いで
えいぞうを殴ったらしいから……」
「…最低でも一週間……か。…美穂さん、帰ってくるのか?」
「どうしても抜けられない仕事だから、暫くは医療班が」
「…まぁ、それは、いいとして……。お嬢様は一人で天地山に?」
「そこが不思議なんだよな。…組員には話さないだろうし、話したとしても
組員は四代目の許可を取るだろ。……それに、健に頼む訳ないし…」
「天地山だもんな」
「まぁ、何度も行ってるから、一人で行くことは出来るだろうけど、
家を出たのは、ぺんこうの電話の後…と考えられるよ」
「あぁ………はぁぁぁぁぁ〜」
芯が大きくため息を吐いた。
「ぺ、ぺんこう?」
「電話の時…気付いていたら、こんなことにはならなかったのにな…」
「自分を責めるなって。お前のことを考えて、心配掛けたくなかったんだよ」
「解ってるだけに……つらいな…」
「俺も……。夕食の時、楽しく話していたし、いつもと変わらなかったから
気付くこと…出来なかったよ」
「何が原因なんだよ」
「末端組織」
「…なるほどな」
短い会話だが、組関係のことを知っている二人。 どこから情報を入手するのかは、もちろん、誰かさんには、内緒になっている。 組関係の事に首を突っ込んでいる事が知れると、流石に、やばい。 関西との抗争があってから、その男の目が、常に光っていた。
「……で、四代目と真北さんとくまはちは?」
芯が尋ねる。
「探索中」
「何を?」
「原因と家出方法」
「ふ〜ん」
芯は、ふと目線を移した。 そこには、厨房担当の組員が仕事中。 二人の会話を耳にして、何やら挙動不審…。 芯の眼差しが鋭くなった。
「…よぉ……お前…」
芯に声を掛けられた組員は、ピシッと姿勢を正した。
「はっ、なんでしょうか」
「……俺達の会話……何か気になるのか?」
「あっ、はぁ。…その……お嬢様が家を出たという日なんですが、
お嬢様は、その電話ボックスで電話をされておられました」
「どこに?」
「天地山だと思われます。まささん…という名前を口に…」
「内容は?」
「聞くのは良くないと思いまして、私は離れましたので…」
「…ということは、支配人に何かを話した事は確かだな」
芯は眉間にしわを寄せ、口を尖らせる。ポケットに手を突っ込み、ソファの背もたれにもたれかかって、一点を見つめていた。
「………ぺんこう…?」
と向井が声を掛けても、反応しない。 まるで誰かさんそっくりの雰囲気に、組員は思わず笑みを浮かべてしまう。 芯と春樹の関係を知っている組員だけに……。
「支配人に……聞いてみる方が…早いだろうな」
芯が、静かに言った。 そして、電話ボックスに入り、芯は天地山ホテルに電話を掛けた。
まさの仕事が一段落付いた。
「今日は、ここまでだな…」
そう言って、背伸びをしたときだった。 内線が鳴った。
「原田です。………まわして」
まさは、一呼吸置いた。そして、
「お電話代わりました」
『山本です。…その…お聞きしたい事がありまして…今、よろしいですか?』
「えぇ。一段落付いたところですよ。…もしかして、お嬢様の事ですか?」
『そうです』
「こちらの天候は悪いので、お部屋の方に居ますが、代わりましょうか?」
『…家出をしたこと…御存知ですか?』
「家出を? お嬢様が?? ご冗談を〜」
受話器の向こうで、何やら、こそこそと声が聞こえてくる。耳を澄ます、まさ。
お嬢様は、支配人に、どういったんだろうな…。
芯の声が聞こえてきた。
『そちらに向かう前日、支配人に電話をしたという情報がありまして、
その……何を話されたのかを知りたいと思いまして、お電話を…』
「お嬢様との内緒話ですが……それをいうと、お嬢様に怒られます」
優しい口調で、まさが応える。
『そうですか…。もし、お嬢様が悩みを打ち明けたのなら、
私も知りたいと…そう思ったので………』
電話口の芯の言葉が詰まった。
やばいかな……。 芯くんって、確か…お嬢様のことしか考えないから。 でも、これだけは言えないよな…。 真北さんや慶造さんに伝わると、それこそ…。
『お嬢様のこと……お願いします。それと、帰りを待ってます…と
伝えてください…』
「ぺんこう……どうしても、知りたいのか?」
芯のあまりにも寂しげな声に、まさは思わず、そう尋ねていた。
『しかし…』
「……そちらの世界での行動が、お嬢様を傷つけた……。
これだけしか言えない……申し訳ない」
『やはり、そうでしたか…』
芯の口調に、先程まで感じていた寂しげさが無くなった。
やられた…。 そういう手を持っているのか、芯くんは……。
『お嬢様の家出の原因は、なんとなく想像できましたが、
その…お一人で向かったことに疑問がありまして…』
「一人で来ることが出来る年齢ですからね」
『夜中に一人で駅まで…』
「こっそりと抜け出して、駅まで歩いた。お嬢様の体力なら
それくらいは、可能でしょう?」
『そうですが、本部を抜け出すには、色々と難関がありますよ。
現に、くまはちの部屋の前を通ることになりますし、それに、
真北さんの部屋の前を通ることにもなりますからね』
「そうですね。……どうやって抜け出したんでしょう…。
お嬢様に尋ねましょうか?」
今度は、まさが仕掛ける。
『あっ、いや、それは。……お仕事中、失礼しました』
「いいえ、大丈夫ですよ」
『……お嬢様のこと……本当に……』
「かしこまりました。ぺんこうも、卒業試験、頑張ってくださいね」
『ありがとうございます。…では、失礼しました』
電話は切れた。 まさは、ゆっくりと受話器を置き、背もたれにもたれる。
最後の言葉は、本心だなぁ、あれは。
真子のことを頼む時の口調は、芯の本当の心の現れだった。
しかし、してやられたよ……。 危ない、危ない……。
もう少しで、芯の策略にはまる所だった、まさ。芯の寂しげな口調に、思わず、真子の相談事を話しそうになった。だが、敢えて言葉を選んで正解だった。事細かく伝えると、芯自身が暴れかねない。それを考えての事が、かえって良かった様子。 まさは立ち上がり、ブラインドの隙間から外の様子を伺う。 未だに吹雪いているのが解る。 まさは、ため息を付いた。
お嬢様は頂上に行きたかっただろうに…。
それは、真子の心を少しでも、落ち着かせたいまさの思い。 しかし、真子は、桂守の物語を聞いて、この日は心を和ませていた。
次の日は、天候も良く、真子と桂守は、頂上から景色を眺めていた。 真子に桂守が付いている間、まさは、仕事をハイペースでこなしていく。 まさが頼んだ一週間。 それは、真子と過ごす時間の余裕を作る為に必要な時間だった。桂守は、その事を察した。だからこそ、『無理するな』という言葉が出たのだった。
何も言わず、何も語らず。 真子と桂守は、ただ、景色を眺めるだけ。
桂守は、懐かしんでいた。 昔、この天地山付近を縄張りとして生きていた頃と、全く変わっていない景色を。 改めて気付かされる自然の凄さ。 自分の生き方は変わった。しかし、自分自身は変わっていない。
お嬢様の心も和めば……。
ふと真子に目をやる桂守。真子は、何も考えず、ただ、景色を眺めていた。 見た目は、年相応に見えるのだが、考えや行動は、年齢より上に思える。 それは、育った環境が、そうさせているのかもしれない。 笑顔が減った。 それも、その環境が…。
ここには、何もありませんから…。お嬢様、何も考えずに、お過ごしください。
心で語りかける桂守に、真子が振り返り、そっと頷いた。
阿山組本部。 本部内の駐車場に車を停めた春樹は、玄関に向かって歩いていく。その時、門をくぐってくる慶造の車が目に飛び込んだ。 玄関先に停まった車から慶造が降りてくる。そして、春樹の姿に気付き、振り返った。 慶造と春樹は、別行動を取っていたにもかかわらず、同時に帰ってきた。 鋭い眼差しが、春樹に突き刺さる。 春樹も負けじと慶造を睨み上げた。
「同じ…結果だったみたいだな」
慶造が言うと、
「まぁな」
春樹が短く応えた。 そして、二人は、とある場所を目指して歩いていく。 そこは……。
本部内にある医務室。 そこへ、一人の男が、静かに入っていった。 奥にあるベッドには、本来なら一週間、寝ておかなければならないはずの、隆栄と栄三が、ベッドに腰を掛けていた。静かに入ってきた男に気付き、振り返る。
「和輝、どうした?」
隆栄が尋ねる。 和輝の深刻な表情が気になった様子。
「まさか、お嬢様…」
栄三が心配げに言った。
「真子お嬢様は、少しずつ落ち着いているご様子です。
明日には、桂守さんはお戻りになるそうなので、その後は…」
「支配人に任せておけって。…で、まさかと思うが…」
真剣な眼差しを向ける隆栄に、和輝は、そっと頷いた。
「はぁぁぁぁぁぁ…………」
と長いため息を吐いた隆栄は、
「栄三、覚悟しとけよ」
諦めた口調で、言った。
「それは、この芝居をし始めた時から出来てますよ」
得意気に応える栄三に、隆栄は微笑んだ。
「恐らく、そろそろお二人、同時に到着だと……」
「だろうな。屋敷内のオーラが変わった」
本来の隆栄が表に現れた。和輝に目で合図し、去るように伝えると、和輝は、一礼して姿を消した。 それと同時に、医務室の外に、異様なオーラが漂い始めた。
「………………てか、なんで、あの二人が喧嘩してるんや?!」
入ってくると思われた二人が、中々入ってこない。それどころか、入り口近くで言い合いが始まった様子。それは、ドアを通じて、ありありと伝わってきた。
慶造と春樹が、帰宅後、同時に向かう場所は、医務室。歩き方まで同じ状態、そして、ドアノブに手を伸ばしたのも同時。お互いの手がぶつかり合う。それと同時に、睨み合う……。
「真北ぁ、手を引け」
「慶造…手を引けよ…」
同時に言った。
「はぁ…あのなぁ」
という言葉まで同じになる。
「これは、俺がやることだ」
またしても、同じ言葉を同時に発する。 それが、怒りに拍車を掛けた。 お互いの手は、相手の胸ぐらに伸びる。そして、掴み上げ…。
「真子の家出を知ってる小島に、詳しく聞くのは、俺だっ!」
「真子ちゃんの家出に関わった栄三に、詳しく聞くのは、俺だっ!」
今回は、尋ねる内容は同じだが、尋ねる相手の名前は違っていた。しかし、どちらも医務室に眠る二人だということになる為、やはり…。
「俺が父親だろがっ!」
「俺に任せたのは慶造だろがぁっ!」
怒鳴り合ってしまう………が、二人は、突然背後に感じた、恐ろしいオーラに、お互いの胸ぐらから手を、そっと放し、姿勢を正す。そして、ゆっくりと振り返った。 そこには、前髪の立った男の姿が………。
「そのお話は、私に任せて頂けませんか?」
「八造……お前には、させん」
「なぜですかっ!」
「二人の怪我を悪化させる」
「それなら、四代目は手を引く方が…」
「くまはちの言うとおりだな。慶造、お前もやめておけ。
これ以上、小島さんに無理させるな」
「真北……お前は、出来るのか?」
「まぁな。そして、迎えに行くのは、俺の仕事」
「……それなら、学校への話は…」
「それは済ませてきた。でも、人の思いは変える事は難しいよ。
……だから、後は、真子ちゃんが落ち着いてから、真子ちゃんと
話し合うことにするよ」
春樹は、先程とは違い、寂しげな眼差しを慶造に向けた。
「慶造……それでいいだろ?」
「真北……何を考えている? お前、まさか、自分を…」
「責めるしかないだろう。学校に行きたいと言った真子ちゃんに
行くように奨めたのは、俺だよ。それに、真子ちゃんの悩みに
気付いてあげることが出来なかったからさ…」
「真北……」
寂しげに微笑む春樹を観て、慶造も笑みを浮かべ、
「ったく、兄弟揃って、同じように自分を責めるんだな」
呟くように言った。 その時、医務室のドアが開いた。 春樹、慶造、そして、八造の三人の目線が、医務室から出てきた隆栄と栄三に移された。 その途端、鋭くなる……。
「うわぁ、六つも突き刺さるぅ〜」
と、ふざけた口調で隆栄が言う。 慶造は、ちらりと春樹を見て、
お前が言え。
と目で訴えた。
「小島さん、栄三………芝居は、そこまでにしておけよ」
「いつ、ばれました?」
「今朝。…まぁ、それは、真子ちゃんのためを思っての行動と
受け取るから、何も言いませんが………」
怒りを抑えているのが解る。春樹は息を整えた。
「どうして、すぐに、仰らなかったんですか…」
「言う暇が無かったんですよ。俺も栄三も伝えようと
阿山の部屋に向かったら、あの行動。…伝える気も
起こらなくなりましたよ」
「真子ちゃんを一人で向かわせたんですか?」
「おや? そこまで調べ上げてない? それよりも、どうして、
俺と栄三が知ってる事を調べたんですか?」
「駅で待機してる組員からの情報ですよ」
「それなら、解りそうなものでしょう?」
「真子ちゃんは一人で改札を通ったそうですよ」
あれ?
隆栄と栄三は顔を見合わせた。
桂守さんの姿は?
組員に目撃されることを考えて、別の所から。
そういうことは、早く言えっ!
目で語り合う親子を見つめる慶造は、どうやら、二人の会話が解ったらしい。
「明日で一週間だな。……真子も一緒に帰ってくるのか?」
落ち着いた口調で慶造が尋ねた。 それには、参ったという表情をして、隆栄が応える。
「桂守さんだけ、戻ってくる。真子お嬢様は、まだ戻らないよ。
少しずつ落ち着いているらしいけど、やはり、寂しげな表情は
するそうだ」
「そうか……」
慶造と隆栄の会話で、春樹と八造は、全てを把握した。
「暫くは、まさに任せるか…」
そう言って、春樹は、その場を後にする。
「…真北…さん?」
何事もなく去っていった春樹に驚く隆栄は慶造を、栄三は八造を、それぞれ観る。
「経験者…だからだろな」
慶造が言った。
「そゆことか…」
「…で、小島ぁ〜」
「あん?」
「なぜ、すぐに言わなかった?」
「……その方が、阿山も真北さんも動きやすいと思ったんだよ。
阿山の行動が制限されるのは、真子お嬢様の事を考えてだろ?
今回のように、学校で何かを言われるかもしれないから、
……どれだけ抑えていたのか……解ってるんだが…」
「…それは、あいつの立場も考えての行動だ。真子は関係ない」
と慶造は口にした途端、何かに気付いたような眼差しをする。
「隆栄…お前……真子から何を聞いた? お前には話したのか?」
「まぁな。…阿山には言えないけどな。…知ったら、阿山、そして、
八っちゃんのことだ。学校に何を言いに行くか解ってるからさぁ」
「そりゃ、そうだろ」
「でもな、クラスメイトは、話しかけてくるし、一緒に過ごしてもくれる。
ただ、お嬢様の特殊能力が、本当のことを聞いてしまうだけなんだって。
……どうすることも出来ないだろ。…私は、みんなの心の声が聞こえます。
だから、何を考えているのか、全て解ってるんです。……言えるのか?」
「……言えないな……」
「それを堪えていたんだよ、お嬢様は、あの小さな心で」
「真子……」
「その能力に詳しい人間に、悩みを聞いてもらう事が一番だと
そう思ったから、桂守さんに頼んで、お嬢様が行くと言った
天地山まで同行させたんだよ」
「大丈夫なのか? 真子は………」
「それよりも、お嬢様の特殊能力を考えるべきだ。どうやったら
聞こえないか。それを…」
「………真子が疲れるだろが。…ここに居ても、組員達の
考えが聞こえてくるから、気を張ってる……学校でも…
真子が、ゆっくりと休めるところは…」
「天地山……」
八造が言った。
「あそこには、自然があります。そして、人との接触も少なくて済みます。
ゆっくりと休むことが出来るはずです。だから、お嬢様は…」
「………家を出る前の日に、原田に連絡をしていたのも
関わってるのか…」
「もしかしたら、支配人がお嬢様に言ったのかもしれません」
自信ありげに、八造が言う。
流石、八やん…。
栄三は、何も言わずに、八造を見つめていた。
「真北の言うとおり……暫くは、原田に任せるしか…ないか…」
「はい」
「小島」
「あん?」
「桂守さんが戻ったら、報告してもらいたい。…頼めるか?」
「みなまで言わずとも〜」
いつものように、軽い口調で応える隆栄。 慶造は、殴りたい衝動に駆られたが、グッと我慢する。
次は、本当にやばいかもしれない。
一応、医学の心得もある春樹の言葉。 しかし、慶造の怒りは納まりそうにない。 慶造は、八造に目で合図する。 その途端、八造の拳が、誰かの鳩尾に突き刺さる。
慶造と八造が医務室の前から去っていった。 残された隆栄と栄三。 隆栄は、足下に目をやった。そこには、栄三が蹲っている。
「一週間延びたか?」
隆栄が尋ねると、
「ご名答ぅぅぅ〜〜」
栄三は力無く応えるだけだった。 八造、手加減無しのご様子で……。
(2006.2.8 第七部 第二十二話 改訂版2014.12.7 UP)
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