第八部 『偽り編』
第十七話 真子に救われた?!
阿山組本部の奥にある道場の鍵が閉められた。 道場には、慶造と政樹の二人っきり。 扉の向こうでは修司が立っていた。
「…北島。ここで俺を殺れば、これ以上、苦しい芝居は
必要ないだろ」
「殺ってしまうと、表に出た時に、猪熊さんに俺が…」
「俺を倒した後なら、猪熊も容易く倒せるさ。…さぁ、どうする?」
「どうしても……手合わせしなければ、この先の生活も
考えなければならない…そうでしょう?」
「そういうことだ。……さぁ、始めるか…。俺の体に、拳の一つでも
決められたら、お世話係を続けてもらおうか」
「もし、出来なければ…?」
「…てめぇの首…砂山に持って行くだけだ」
慶造の声が低くなった。 その声が、政樹の心の奥に隠したものに火を付けた。 政樹は、構える。 しかし、慶造は、無防備に立ったまま、政樹を見つめているだけだった。
政樹は拳を握りしめ、慶造に差し出した。 それは簡単に避けられた。 差し出した拳はそのまま、慶造に向けられた…が、それは、空を切るだけだった。
「それが、本気か?」
「いいえ」
短く応えた政樹は、先程よりも素早い拳を慶造に向けて連打した。 しかし、尽く空を切るだけで、慶造の体に当たる気配を見せない。 蹴りを繰りだした。 それは、慶造に簡単に受け止められてしまう。
「目に見える速さだと、真子に守られて当たり前だな」
そう言った途端、慶造は、政樹に拳を連打した。 それらは、政樹の目に見えないほど素早く、慶造の拳を全て、体で受け止めてしまった。
「うぐっ…」
跪く政樹。その体に、容赦なく、慶造の蹴りが決まった。
「…いくら、体を動かしていないとはいえ、なまりすぎだな」
「……うるせぇ…。…まだ…だ」
政樹は立ち上がった。
「ほぉ…傷を負うたびに、本領が発揮されるタイプ…か」
政樹の眼差しが変わる。 その眼差しに応えるかのように、慶造の眼差しが鋭くなった。
…更に…鋭くなった…。
このままでは、本当に倒されるかもしれない。 そう思った政樹は、本来の自分を表に出した。 だが、慶造は、怯みもしなかった。 政樹は、今、自分が相手にしている男が、どれほどの力を持っているのか、全く知らなかった。
この世界での阿山組は、武器を片手に残虐非道な振る舞いをしている。 そう語られていた。
実際に、その通り、阿山組系の恐ろしいまでの破壊行動は、目に余る物だった。
その中で、阿山慶造は、ただ、指示をするだけで、本部から出ず、遊び回っている…政樹の耳に入った情報は、そうだった。
本部に潜入してからは、阿山慶造の動きは、限られていた。 大阪に出向かず、系列の組にも回らない。 本部に入り浸っている様子だった。
恐らく、血筋だけで、四代目を継いだのだろう。
政樹は兄貴から、聞いていた。 だからこそ、手合わせを言われた時は、簡単に一発を決められると思っていた。 本当に甘かった。 本来の自分を表に出せば、相手は必ず怯んでいた。 凄みだけで相手を威嚇していた政樹。それでも、相手が向かってきたら、死寸前まで叩きのめしていた。 その政樹の行動を停めていたのが、兄貴である地島だった。
もし、阿山組の連中が仕掛けてきても、自分を表に出すな。
兄貴の言葉を政樹は忠実に守っていた。 真子が襲われた時も、そうだった。 それが、後悔の元。 目の前の阿山慶造は、今まで相手にしてきた男達とは違っていた。 見えない速さで拳を差し出しても、避けられる。 蹴りは、簡単に受け止められた。
チャンスだと、本当に思った。
この場で、阿山慶造を殺れば、兄貴の手を煩わせることは無いだろう。 そう思って、嫌々ながらも臨んだ手合わせ。 そう簡単に事は運ばない。 政樹が攻撃を続けるが、慶造は簡単に避け、そして、受け止める。 時々、体にずしりと来る物を受ける政樹。
握りしめた拳を、慶造の顔に向けて差し出した。 まるで、その拳の動きが見えているかのように、目だけで追い、スゥッと避ける慶造に、政樹は恐怖を感じた。
駐車場での真子の姿が、ふと脳裏を過ぎった。 それと同時に、向井の別の言葉を思い出す。
四代目の怒りだけは……。
こういうことか…。
政樹は理解した。その途端、腹部に重みを感じ、足が地に着かない状態になった。 目の前の慶造の姿が遠ざかる。 宙を舞っている事に気付いた瞬間、背中を壁で強打した。 床にずり落ちる政樹。 こみ上げてくる物を、ぐっと堪えた。 口の中に、鉄の味が広がる。
ここまで殴られたことは、初めてだった。
くそっ…。
立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
「どうした、暴れ好きの男は、その程度なのか?」
慶造の言葉が遠くに聞こえた。
向井は、料亭から通じる渡り廊下を歩いていた。本部の廊下を歩いていた時、いつもとは違うざわめきに気付き、その声の方へと向かっていく。
道場に通じる廊下の先に、組員達が集まっていた。
向井の姿に気付いた組員が、一礼する。
「どうした?」
「四代目が、地島を連れて道場に」
「…四代目の怒りには気をつけろと言ったのになぁ。様子は?」
「稽古中の者を猪熊さんが追い払いましたので、道場に二人っきりです」
その言葉を聞いた途端、向井の表情が変わり、組員を押し退けて道場に向かって駆け出した。
向井は、道場の前に立つ修司に気付き、声を掛けた。
「猪熊さん、中に地島が?」
その言葉に、修司は、そっと頷いた。
「どうして、停めてくださらないんですか! 地島は、格闘技…出来ない男ですよ!」
「…解ってる」
「いくら鍛える為とはいえ、四代目とでは、差がありすぎます!」
「それも承知の上での行動だ」
道場から、何かが壁にぶつかる音が聞こえた。
「!!! 地島…まさか…」
「拳を一つ、四代目の体に当てられたら、お世話係を
続けても良い…そういう条件だ」
「……それなら、私も加えてください。あの場所に私も…」
「駄目だ」
「猪熊さん!!」
「向井は違うだろ? この世界で生きる人間じゃない」
「…地島もです」
「だがな、お嬢様の側に居る以上、逃げるだけでは許されない。
男として、その根性があるのかも試されてるんだ」
「…地島が怪我をしていたら、…お嬢様に、どう伝えれば…」
「ありのまま伝えたら良いだろう?」
「猪熊さん……」
向井の寂しげな眼差しに、修司は、
「それよりも、お嬢様の方が心配だ。まだ眠ってるらしいが…」
真子のことを口にした。 その途端、向井の眼差しが変わった。
「地島の心で、落ち着いた表情をしていましたが…」
「目を覚ました時の事を考えて、向井…お願いしても良いか?」
「かしこまりました。……中…大丈夫でしょうか…」
向井は道場の扉の向こうを見つめた。
「さぁな。こればかりは、俺は停められない」
「私は、お嬢様の部屋に居ます」
「あぁ」
向井が去っていった。 その後ろ姿を修司は、ただ見送るだけだった。 ちらりと扉の向こうに目をやる。
慶造、手加減しろよ。 そうじゃないと、お前が困るんだぞ。
扉の向こうにいる慶造に、修司の思いは伝わっていた。 扉の方から感じるオーラに、慶造は、
解ってる。
と、応えるかのように、フッと笑みを浮かべた。 目の前には、政樹が横たわっている。しかし、意識はまだ、ある。 慶造を睨み上げていた。
鈍い音がした。
慶造の蹴りが、政樹の腹部に突き刺さった。 政樹の口から、血が噴き出す。 慶造は政樹の胸ぐらを片手で掴み上げ、立たせる。 政樹は、掴み上げる慶造の手を握りしめた。
「まだ…力は残ってるんだな」
「なんとか…な」
そう言いながら、拳を差し出したが、それは、簡単に受け止められた。
「本気を出せと…言ったよな。…遠慮するなよ…北島政樹」
「…それは、できない」
「…何? これだけ、やられてもか?」
「あなたが怪我をしたら、お嬢様が哀しむ……。その怪我をさせたのが
私だと知ったら……お嬢様の口から、お世話係を辞めろと言われそうです」
「俺に拳を決められなくても、その言葉が効くんだが…それでもか?」
「…一発決めて…その後、俺が停められるか…それが心配で…」
「自信過剰という言葉…知ってるか?」
慶造の言葉で、政樹は、慶造が本気を出していない事に気付く。
「どうする? このまま、俺に倒されるか、俺に一発決めるか…。
俺を停める為に、外には猪熊を待機させているんだが…」
「…あなたを停める方が居て、私を停める方は……居ません」
「俺が停めてやる」
「あなたこそ……自信過剰じゃありませんか?」
「そう…とってもらっても、いいぞ? さぁ、どうする、…北島ぁ〜?」
その眼差しと声に、政樹の背筋に冷たい物が走った。
真子が目を覚ました。
「お目覚めですか?」
向井の言葉に、真子は振り返る。
「ここ……部屋?」
「えぇ」
「……!!! むかいんっ!!」
突然、真子が向井に飛びついた。 慌てて真子を受け止めた向井だが、真子の勢いは想像以上で、そのまま尻餅を突いてしまった。
「むかいんっ! むかいんっ!!!」
真子は向井を呼びながら、泣き始めた。
「お嬢様、どうされました?」
「だって…だって…私……」
真子が何を言いたいのか、向井には解った。 向井は、そっと真子の頭を撫でる。
「あの場合は仕方有りません。それに、誰も怪我をしてませんから。
まさちんも無事です。私も、おやっさんも、大丈夫ですから」
「……でも…私を狙って……。…あの人たちは?」
「栄三と健、そして、桂守さんが、威嚇したので、退却しました」
「本当? えいぞうさんと健……何もしてないの?」
「えぇ。お嬢様の無事を確認して、仕事に戻りましたから」
「本当?」
と疑いの眼で真子は向井の腕の中から見上げてくる。 その目に、向井も弱い。
「本当です。私は嘘を付きませんよ」
それでも、向井は笑顔で真子に応えた。 真子の頬を流れる涙を、向井はそっと拭った。
「まさちんは? お父様に怒られてない?」
「う〜ん、怒られてます」
向井の言葉に、真子は、ハッとする。
「まさちんは悪くないのにっ!!」
向井の腕から、真子は抜け出した。しかし、真子の体は向井に引き留められた。
「お待ち下さい」
「駄目! 私もお父様に報告しないと! だって、だって!」
「慶造さんも解っておられます。しかし、今回のことで
まさちんの力を試すと…」
「喧嘩…できないのに?」
「それでも、人間に備わっているものがあります。それを引き出すために」
「だからって、何も、お父様じゃなくてもいいでしょう!! 他の組員が
居るのに……力の差が、ありすぎるでしょっ!!」
そうですが…それを解っていても四代目は…。
「お父様の手加減でも、まさちんにとっては……!!」
真子の目が見開かれた。
「お嬢様?」
「道場のオーラが……」
真子は向井の手を掴み上げ、
「道場なの?」
「はい」
真子の勢いにつられて、向井は応えてしまう。
「…!! って、お嬢様っ!」
そう呼んだときは、真子の姿は無く、真子の部屋のドアが開いているだけだった。
駄目ですよ、お嬢様…。
向井は真子を追いかけていく。 道場に通じる廊下には、組員が腰を抜かしたように座り込み、人一人分の道を空けていた。 何が起こったのか、向井には解った。 向井もその道を駆けていく。
道場の方から、真子の声が聞こえてきた。
修司は、道場の扉に向かって、気を集中させていた。 先程から、中から感じるオーラが変化していた。 政樹の異様なまでの狂気と、それに応える慶造のオーラ。 慶造の本能は、まだ、現れていないのは解っていた。しかし、政樹に現れた狂気は、本当に、目の前の者の命を奪いかねない程の、強烈なもの。 修司は、この先に起こる事を予想し、身構えて……いたら、背後から、人が駆けてくるのに気付き、振り返る。
「お嬢様!」
「おじさん、お父様とまさちんは、中なの?」
「は、はい」
真子の勢いに負けて、思わず返事をする。
「あっ、いや、今は駄目ですよ!」
真子は修司を押し退けて、ドアノブに手を伸ばした。修司は、ドアノブを体で隠す。
「おじさん!」
「慶造から言われてます。中に誰も入れるなと」
「何が起こってるのか解る! お父様がまさちんに…」
「大丈夫です」
「力の差がありすぎるでしょう!」
「それを承知で、慶造は…」
「まさちんは、悪くないの。私が……私が……」
「お嬢様」
修司は、真子の目線にしゃがみ込み、真子の両肩を優しく掴み、呼びかけることで、真子を落ち着かせた。
「どうして、おじさんは、停めてくれなかったの?」
「私の立場を御存知でしょう?」
「だけど、間違ったことをするときは…」
「…地島を鍛える為…ですよ。本当の自分を隠してるかもしれませんでしょう?」
「それでも……」
「お嬢様にも解るはずです。…慶造のオーラと違ったものを」
真子はコクッと頷いた。
「それなら、私も…」
「駄目です。親子喧嘩は、御法度ですよ」
「……その言葉、おじさんに、そのまま返す…」
真子はふくれっ面になりながら、修司に言った。 思わず肩の力を落とす修司だった。
政樹の狂気を軽々抑え込む慶造は、扉の向こうに、真子が駆けつけて来たことに気が付いた。 それは、政樹も同じだった。 政樹の攻撃が、一瞬、停まった。 真子と修司のやりとりは、道場にいる二人に聞こえていた。
『……その言葉、おじさんに、そのまま返す…』
その言葉を耳にした途端、慶造は思わず噴き出してしまった。
「修司は、真子に一番弱いな」
そう言いながら、抑え込む政樹に目をやった。 先程まで発せられていた狂気が、殺げていた。
「北島?」
「……これ以上は、無意味です。…お世話係を辞めさせてください」
「理由は?」
「お嬢様に心配をかけてしまった。…あの時だけでなく、今も…」
「…そうだな。…これからも、真子に気を遣わせるような奴は
今日限りで辞めてもらうしか…ねぇな」
慶造は、政樹から手を離した。 政樹は、姿勢を正し、深々と頭を下げる。
「申し訳……」
その時だった。 扉が、大きな音を立てた。 慶造と政樹は、扉の方に目をやった。
「お嬢様!! 中から鍵が掛かってるんですよ!」
修司が真子を引き留めるかのように言った。
「開けてよ!! まさちん、まさちんっ!!」
政樹のオーラを感じなくなったのか、真子が焦ったように扉を開けようとドアノブを回していた。鍵が掛かっている事に気付き、修司の言葉を耳にしたものの、真子は開かないことに苛立ちを見せた。 急に、真子の行動が停まった。
「お嬢様…?……!!!」
真子が大きく息を吐いた。そして、気合いを入れて、拳を握りしめた。 真子が何をしようとしてるのか解った修司は、慌てて真子の体を抱きかかえ、ドアから遠ざけた。 真子の拳は、力強く差し出されたものの、修司の行動で、空を切るだけだった。
「おじさん、離してっ! 離してぇぇ!!」
「鍵は持ってますから!」
「だったら、早く開けてよっ!」
「慶造の言葉がないと…」
「私の言葉では駄目なの?」
「すみません。私は慶造に仕える身ですから…」
「それなら、私が壊す!! だから、離して!!」
真子は修司の腕の中で暴れ始めた。今の修司の体では、暴れる真子に抵抗することができない。思わず腕が弛む。その事で、真子は修司の体のことを思い出した。 急に大人しくなり、シュンとした表情で、
「ごめんなさい…おじさん…」
真子が震える声で言った。
「暴れないなら、手を離しますよ」
真子は頷いた。 修司は、そっと真子の体を下ろす。
「どうしても…駄目なの?」
「はい。申し訳御座いません」
「それなら、ここから、言えば、中に聞こえる?」
「大きな声なら、聞こえますよ」
「解った」
真子は、扉の前に立ち、扉の向こうにいるだろう、二人に聞こえるかのように声を張り上げた。
「お父様。申し訳御座いませんでした。商店街でのことは、
地島さんは悪くありません。怪我をさせては、お父様に怒られると思って
私が、勝手に相手に拳を向けただけです。それに、むかいんと
ささおじさんも居たから、私のことで迷惑を掛けると駄目だと思って、
あのような行動に出ただけなのです。だから、もう、地島さんを
責めないでください」
真子の声は、慶造と政樹に聞こえていた。
「…笹崎さんも…居たのか?」
政樹に尋ねる慶造。
「料亭の御主人と向井さんが買い出しに出ていたところでした。
帰りにばったりと逢いまして…それで、駐車場まで一緒に」
「なぜ、それを言わん」
「御主人に…停められました」
「ったく、あの人は…」
俺のことをいつまでも考える…。
慶造は唇を噛みしめた。 真子の言葉は続いていた。
『地島さん。大丈夫ですか? …お父様の手加減でも、地島さんには
とても強く感じるものだと…思います。反撃しないのは、私のことを
考えてでしょう? …お父様が怪我をしたら、私が心配すると思って。
確かに、そうだけど……でも…地島さんを責めたりはしないから。
……だから、……お世話係を辞めると言わないで……』
「お嬢様…」
真子が、政樹の思いを全て口にした。 なぜ、全て解るのか、政樹は解らなかったが、真子に思いを悟られた事を悔やんだのか、いつの間にか、唇を噛みしめていた。
「真子には、お見通しだったんだな…」
読んだのか…? …いや、読まなくても、こいつの行動や思いは だれにでも、解るよな。
慶造は優しげな笑みを浮かべた。 ふと、政樹は顔を上げた。目の前の慶造の表情が、優しく、そして、温かく…。先程まで自分に向けていた鋭いものとは、全く違い、とても穏やかに見えた。その表情が、なぜか温かく光が射すようなものに見えてきた政樹は、スゥッと立ち上がった。
「北島…」
「四代目。先程の言葉、撤回させていただけませんか?」
「…お世話係を辞める…ことか?」
「はい。…それと、これからは、敵を倒すこと…許可してください」
「それは駄目だ」
「どうしてですか?」
「真子は血を見ると……狂乱する。知ってるだろ? ちさとのことで…」
「お嬢様を安全な場所に確保して、その後に攻撃するという方法。
これで、許してもらえませんか?」
そう言った政樹の眼差しは、とても真剣だった。 今まで見たことの無い、眼差し。
これが、本当の姿なんだろうな。
「…程々にしておけよ」
「御意」
静けさが漂う。
『お父様……まさちん……返事…してよ…』
真子の声が聞こえてきた。 真子が尋ねた事に返事がないことが、真子は不安になっていた。 真子の言葉を耳にして、政樹は慶造に振り返る。 慶造は、優しく微笑み、
行け。
と目で合図した。 政樹は、喜びを現すかのように、笑顔を見せて、慶造に一礼し、扉に向かって駆けていく。 鍵を開けた。そして、扉を開けた途端、真子が政樹に飛びついた。
「お嬢様!」
政樹は上手い具合に、真子の体を受け止める。
「…って、わ、わぁっ!!」
真子の勢いは、政樹の想像を超えていたのか、政樹は真子を受け止めたまま、尻餅を突いてしまった。
「辞めないで……辞めさせない…から……」
そう呟いて、真子は政樹の体に回した腕に力を込めた。
「……っ……お嬢様………そ、それは………」
そう言った途端、政樹は仰向けに倒れてしまう。
「えっ? えっ?! ……えっ!!!! まさちんっ!」
真子は、政樹の体のことを考えていなかったらしい。 慶造に思いっきり殴られ、蹴られた体は、かなり傷だらけになっていた。真子が来たことで、その傷のことを忘れたものの、真子を受け止めた際に、体に激痛が走った。それは、真子に抱きしめられたことで、更に悪化。 いくら不死身な体でも、真子の行動は、政樹の緊張の糸を、ぷっつりと切ったのか、痛みを激しく感じてしまった。
「真子っ! 地島は…」
「お嬢様!! 地島は…」
慶造と修司が同時に叫んだものの、それは、遅かった。
「まさちん、まさちん!!!」
真子は慌てたように、政樹を呼ぶ。
真子の声が遠ざかる。 それでも、政樹には心地よく感じていた。
夜。
慶造と修司は、縁側に腰を掛け、月を眺めていた。
「……本気になれない癖にな」
修司が呟くように言う。
「何度も言うな。聞き飽きた」
慶造は、そう言って、寝転んだ。
「お嬢様、心の声を聞いたのかな…」
「聞かなくても、地島のことは、手に取るように解るだろ」
「そうだな」
慶造は懐に手を入れた…が、それを阻止される。
「俺の前では吸うな」
修司が言うと、慶造は素直に従い、懐から手を出した。
「地島は?」
「まだ、目を覚まさないな」
「美穂ちゃんの診断は…?」
「内臓破裂寸前、一週間の安静が必要だとさ」
「真子……怒ってるだろうな」
「もぉ、それは、凄く凄く…」
意地悪そうに修司が言うと、それを真に受けたのか、慶造の顔が青ざめていく。 それに気付いた修司は、噴き出すように笑った。
「修司ぃぃぃ、てめぇ…」
「悪い悪い。思いっきり寂しげな表情してるから、
思わずだな…意地悪したくなっただけだ」
「ったくっ」
照れたように、慶造は修司に背を向ける。
「で、本当に、良いのか? 地島のお世話係の続行。
慶造が言ったように、お嬢様が見えない場所で
敵を倒す……という方法。…お嬢様は感じるだろ?」
「そうだろうな」
「その気配を消して、敵を倒せるなら、俺は反対しない」
「修司……そこまで考えて…」
「当たり前だろ。お前が、あの北島政樹をお嬢様の側に置くと
決めたときから、それは、考えていた。…小島もそうだろうな」
「おい、修司」
「ん?」
慶造は、修司に振り返る。
「なぜ、そこで、小島の名前が出てくる????」
「小島からの連絡が、あの後、あったからな」
「向こうで、やばいことでも……真北が…?」
恐る恐る尋ねる慶造。
「栄三ちゃんと健ちゃんへの襲撃と、その矛先がお嬢様に
向けられた事に気付いたらしくて…」
「残党が、真子を狙ったのか」
「そのようだぞ」
「それを、栄三ちゃんと健ちゃんが………桂守さんも加わって…か」
呆れたように息を吐き、慶造は大の字になる。
「ったく……俺の事は無視なんだな」
「その方が、俺としては安心だがな」
そう言った修司の言葉に、慶造は疑問を抱いた。
「……俺を無視する連中が、なぜ、真子を狙った?」
「…それもそうだな…」
修司は、解っている事を敢えて、口にしない。
「地島が操ったとは考えられないし……」
慶造は深く考え込んでいた。 そして、何かに気付いたかのように体を起こした。
「まさか………栄三の事を調べ上げてるのか?」
「どういうことだ?」
「栄三が真子のボディーガードだということが解っていたら、
真子を狙うという行動で、栄三を傷つけることができる。
そう考えての行動なんだろうな」
「もし、そうだったら、慶造…どうするつもりだ?」
「敵を壊滅させる……それしかないだろが」
「慶造…」
「…でも、まぁ、あれだ」
「ん?」
「今回の事も、真北の耳に入ってる可能性がある。
俺以上に、危険極まりない行動に出るだろうな」
「考えられる…いや、それは確定だな」
「…ほんと、…小島がかわいそうだな」
「ほんとだ」
その場に笑いが起こる。 その日に起こった出来事は、本来なら、慶造の本能を目覚めさせるもの。しかし、それは無かった。 政樹との手合わせが、それを停めた。 その為、政樹は……。
本部にある医務室の奥の部屋。
そこに、政樹が眠っていた。
「真子ちゃん、まさちんのことは、私がみてるから…」
真子は首を横に振った。
「暫く、目を覚まさないと思うよ。覚ましても、一週間は
ここから出られないし…その間、真子ちゃんは、ずっと
側に居るつもりなの?」
真子は、コクッと頷いた。
ったく…。
美穂は優しい眼差しで真子を見つめ、そっと頭を撫でた。
「美穂さん」
「なぁに?」
「…えいぞうさんと健……大丈夫なの?」
「真子ちゃん…」
「知ってる。……あの時、二人の気配を感じたから。
どうしても、停めたかったんだけど、無理だった。
まさちんが、私に見せないようにと必死に守ってくれていたの。
それに応える方がいいのか、腕から逃れて、二人を停めるべきなのか、
私は悩んだの。…だけど、そのことよりも、大変な状態で…」
「まさか、真子ちゃん…」
真子は涙目で、美穂を見上げた。
「怖かったの…。また、私が、誰かを傷つけそうで…」
「真子ちゃん…」
美穂は、真子の頭を優しく腕の中に包み込んだ。
「大丈夫。誰も怪我をしてない。…あっ、でも、まさちんの怪我は
別だけどね。……真子ちゃんが心配していたら、まさちんが
滅茶苦茶心配して、怪我を圧してまで起きてくるわよ」
「……でも…」
「…お嬢…さま…」
政樹が呟いた。 その声に振り返ると、政樹が目を覚ましていた。
「………三日は昏睡するかと思ったのに………怖いわ…」
美穂が呟く。
「これくらいは、平気ですから。……お嬢様…」
まさちんが、真子に手を伸ばすと、真子は優しく、その手を握りしめた。
「ごめんなさい、まさちん。…怪我のこと考えないで…その…。
飛びついちゃって……」
「その方が驚きました……」
政樹は、真子の手を握りかえし、笑顔で応えた。
「本当に大丈夫なの?」
真子が心配そうに尋ねてくる。
「えぇ。平気です」
「…本人が平気でも、一週間は寝ててもらうからね…まぁさぁちぃいん」
美穂のオーラに、なぜか、政樹は恐れてしまった。
怪我すると、四代目以上に怖い人が居るからなぁ。
栄三の言葉を思い出した政樹。 その時、誰かと尋ねたら、女医としか応えなかったのを覚えている。 それが、目の前にいる女医だと、その時、悟った政樹は、思わず苦笑い。
「言うことは、聞いてもらうわよぉ」
「は、はいぃ…………。…でも、お嬢様の世話は…」
「…まさちんの世話をするから…」
「お、お嬢様?!」
「真子ちゃん?!」
真子の言葉に、二人は突拍子もない声を張り上げた。
世話って、着替えとか……体を拭く…とか…??
政樹と美穂は同じ事を考えたらしい。 しかし、
「たいくつだと思うから、…お話……しようと思うんだけど、
美穂さん、駄目なの?」
「あ、あぁ、そうね…お話くらいなら…大丈夫よ」
お話…ね…。
美穂は笑顔で応えていた。 二人とも、真子が、まだ小学六年生だということを忘れていた。
次の日から、真子は医務室に足を運び、政樹に物語を語っていた。 しかし、真子の記憶にある物語は、数が少なく、四日目には、政樹が真子に物語を語るようになってしまった。
「これでは、立場が逆ですね」
政樹が口にした途端、真子は、
「…!! もうっ! まさちんの意地悪っ!!」
ふくれっ面になりながら、政樹に拳を向けた。
「あっ…」
政樹の傷は悪化。 医務室に居る期間が、二日、延びた。
(2006.7.8 第八部 第十七話 改訂版2014.12.12 UP)
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