第八部 『偽り編』
第二十話 偽りの序章
阿山組本部。
「お帰りなさいませ」
「たっだいまぁ」
軽い口調で本部の門をくぐっていくのは、もちろん、栄三。その足は、玄関で少しばかり止まった。そこで逢った組員と話し込み、そして…。
「そっか。ほな、帰るまで待っとくでぇ」
そう言って、屋敷内へと入っていった。
政樹の車が本部に戻ってきた。 玄関先で停まり、真子が降りてくる。
「もぉ〜っ!! まさちんの意地悪っ!!」
車の中に向かって叫び、真子はドアを思いっきり閉めた。すると、運転席のドアが開き、政樹が降りてきた。
「お嬢様!!」
「いぃぃっ!!」
イーだ!という顔をして、真子は玄関へ向かって走っていった。
「……ったくぅ…」
政樹は、ふてくされた表情をして車に乗り込み、駐車場へと向かっていく。
真子は廊下を怒り任せに歩いていた。角を曲がった時だった。
「きゃっ!! って、もぉ〜っ!!」
「お帰りなさいませ〜」
真子は曲がると同時に、良いタイミングで、誰かに抱きかかえられた。 その誰かとは、真子を待っていた栄三だった。栄三は、子供を高い高いするような感じで真子を高く掲げている。
「ただいまぁ。お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
「健は?」
「別方面に出掛けてます」
「そうなんだ…お疲れ様でした」
「ありがとうございます…って、どうされたんですか?
怒り任せに歩いて…学校で何か遭ったんですか?」
真子を床に下ろしながら、栄三が優しく尋ねた。
「まさちんに怒ってるの!」
「また、何を?」
「するなって言ってるのに、いっつもするんだもん」
「あぁ、あれですか…」
そう言って、栄三は姿勢を正し、
「お帰りなさいませ。…ですね?」
「そう。…私……そのような態度をしてもらう人じゃないのに」
真子はふくれっ面になる。
「まさちんは、お嬢様のお世話係ですから、そのような態度を
取ってしまうのは、普通ですよ」
「……私が、しなくていいって言っても?」
「う〜ん。それは、身に付いた何とやら…ですねぇ」
「少しは、栄三さんを見習って欲しいなぁ」
「…少し…ですか?」
「全部見習ったら、大変なことになるもん」
「わちゃぁ…そうですか…」
栄三は項垂れた。
「お父様は、夜になるそうだけど…」
「慶造さんのことは存じてますよ。お嬢様に〜」
栄三は、懐から封筒を取りだした。
「わぁ〜!」
真子は嬉しそうな声を張り上げた。
「くまはち、元気にしてるのかな!」
栄三が取りだした封筒は、八造から真子への手紙だった。真子は受け取った途端、封を開ける。そして、中の手紙を読み始めた。栄三は、目線を外す。すると、その先に、政樹の姿があった。 栄三が居る事で、真子に近づくことを遠慮してる様子。栄三は軽く手を挙げて、
すまんな。
と合図を送った。政樹は一礼して、その場を去っていく。 栄三の目線は、真子に移った……。
「お嬢様???」
真子の表情が暗くなっていた。
「何か……」
「くまはち………長引くんだって…」
栄三の言葉を遮るように、真子が言った。
「あらら…くまはち…張り切りすぎだなぁ、こりゃ」
知っているのに、敢えて知らない振りをして、真子に言う栄三。
「……張り切ってるってことは…くまはち…楽しんでるのかな…」
「そうですね。益々拍車が掛かってきましたね」
「無茶…してないよね」
「してない様子でした」
栄三と話ながら、真子は八造の手紙を読み続けていた。 その表情が笑顔になった。
「もぉ〜くまはちはぁ!!」
「ん? 何かおかしな事でも??」
「張り切りすぎて、仕事が増える一方なんだって。
その…須藤さんって方が、次々と仕事を下さるから、
ついついムキになって、仕上げてしまうんだってぇ。
須藤さんって方を困らせてなければいいんだけど…」
須藤の嫌味なんだが、八やんに通じてへんもんなぁ。
真子の言葉を聞いて、栄三は苦笑い。 八造が根を上げるのを見たい為、須藤は、次々と新しい仕事を見つけては、八造に与えていた。しかし、八造は、与えられた仕事は、見事にこなしてしまう。だからこそ、須藤もムキになって……。 その繰り返しが、長引く原因となっているのだが。
「くまはちが楽しいなら、私…嬉しい」
「お嬢様…。くまはち、喜びますよ。その言葉を聞いたら、
更に張り切ってしまうかもしれませんねぇ」
「そっか……それなら、返事のお手紙の言葉…考えないと…。
えいぞうさん、次は、いつになるの?」
「五日後ですね。健が帰ってきてから、一緒に向かいますよ」
「それまでに、書いておくから、お願いします」
「お任せください!」
「ありがとう!」
そう言って、真子は部屋に向かって歩き出した。
「お嬢様」
栄三が呼び止める。
「なぁに?」
かわいく振り返る真子を見て、栄三の心臓が高鳴った。 グッと堪えて…。
「まさちん、呼びましょうか?」
「いらない!」
冷たく応えて、真子は部屋に入っていった。
「だってよ」
廊下の角で、待機していた政樹は、肩の力を落としていた。
「ったく、お嬢様の言葉を守れって」
「無理ですよ。体に染みついたものですから」
「お嬢様は、一人で出来る事は一人でなさる方だから、
あまり構ってばかり居たら、本当に、ポイされるぞ」
「それは困ります…」
「付かず離れず。それでいて、守る。それが一番の方法だ」
「難しいですよ…」
「だぁいじょうぶだぁって。お嬢様のことばかり考えておけば
自然と……」
栄三の言葉は、そこで停まった。
「えいぞうさん??」
「っと、俺は、やることあるから。これで失礼ぃ〜。
まぁ、頑張れよぉ。お嬢様の蹴りには、充分注意しろ」
「いつもありがとうございます」
去っていく栄三に一礼する政樹は、意を決したように顔を上げ、そして、真子の部屋に向かっていった。
その後、真子の部屋から真子の声と、政樹の嘆く声が聞こえてきた…。
大阪にある空港。
ゲートを出てくる客の中に、春樹と隆栄の姿があった。その二人を迎えるのは…。
「お帰りなさいませ。お疲れ様でした」
八造だった。八造の側には、竜見と虎石が、同じように深々と頭を下げていた。
「ほんとぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉに疲れたわい」
隆栄が先に声を発した。
「じゃかましいっ」
そう言う声に力が無い春樹。まだ、顔色が悪かった。
「大丈夫ですか?」
八造が、声を掛けながら、春樹と隆栄の荷物を手に取った。
「なんとかな…」
と応えるものの、春樹は、本当に参っている様子。
「須藤親分がお待ちなんですが…」
「気分が優れないから、明日にしてもらえないかな…」
春樹が応えると、
「かしこまりました」
竜見が返事をする。
「俺は、このまま本部に戻るから」
隆栄が言うと、八造は驚いた表情になった。
「おじさん、それは無茶ですよ。栄三は、昨日来たばかりですし、
お一人では、その……」
「心配するなって。ちゃぁんと連絡してるから」
そう言って、指を差した所には、岩沙が立っていた。
「お久しぶりぃ〜」
真面目さが取り柄だった岩沙も、いつの間にか小島家に染まっている。
「八造くん、元気だったかぁ。…っというか、栄三ちゃんに
良く聞いてるから、元気なのは知ってるけど、あまり
張り切りすぎるのは、良くないぞぉ」
矢継ぎ早に話してきた。
「岩沙さん……その……」
「本来の私の仕事ですよ。今では、隆栄さんの言葉で
こっち関連に走ってますけどねぇ」
岩沙は、パソコンのキーボードを打つ仕草をする。
「てなことで、新幹線の時間がありますから、出発しますよぉ」
八造の手から、隆栄の荷物を受け取る岩沙は、歩き出す。
「って、こら、休憩〜」
隆栄が言ったものの、
「駄目ですよぉ」
と、岩沙は足を止めない。
「ほな、またなぁ、八やん、竜っちゃん、虎ちゃん。
真北さん、今日は、ゆっくり休んでくださいね」
と言いながら、岩沙を追いかけていく隆栄。
「お気をつけて」
誰もが声を揃えて、二人を見送っていた。 ……しかし……。 たった一人だけ、その輪に入れない男が居た。
「真北さん、本当に大丈夫ですか?」
「乱気流に巻き込まれなければ、もっと回復が早いって…」
そういう声にも力が戻ってない……。
八造は、春樹が指定したホテルへやって来た。 チェックインを済ませた後、部屋まで春樹を連れて行く。 春樹は部屋に入った途端、倒れるようにベッドに寝転んだ。
「すまんなぁ…くまはち」
「だから、出発の時に、申したんですよ」
「…それでもなぁ……」
「付いておきましょうか?」
「大丈夫や」
「心配ですよ」
沈黙が続く。
「暫くでええ……」
「何か飲みますか?」
「……冷たい……熱いお茶」
返事が可笑しい。
「どちらですか?」
「冷たい熱いやつ……」
八造は、項垂れるが……。
冷たいお茶と熱いお茶を用意した八造は、ベッドサイドのテーブルの上に、グラスと湯飲みを置いた。
「お嬢様に連絡は?」
「まだ、しない…。こっちでの仕事が残ってるから、
……だから……だな……。まだ帰ることが出来ない…」
春樹の手が、冷たいお茶に伸びる。そして、一口飲んだ。
「……それなら、せめて、ぺんこうに…」
「せん……」
「本部での事件を知ってますよ」
「だから、俺が怒られるだろがぁ」
再び、項垂れる八造。 春樹は、熱いお茶に手を伸ばす。そして、一口飲んだ。
「帰ってきた事は…お前だけに……」
「明後日まで、予定が詰まってますが、それでも?」
「明日、二時間だけ、時間空けてくれへんかぁ?」
「そうですね…」
八造は、自分のスケジュール帳を広げ、考え込む。
「二人にも出来る仕事ですから、その間だけなら、大丈夫です」
「ほな、そうしてくれ……」
春樹は、冷たいお茶と熱いお茶に同時に手を伸ばす。
「…どっちかにした方が、よろしいですよ」
そう言って、八造は熱いお茶を春樹の手から取り上げて、テーブルに置いた。
「下の二人に連絡してきますので、それまで、ゆっくりなさってください」
「あぁ…」
そう応えて、冷たいお茶を飲み干した春樹は、そのままベッドに顔を埋めてしまった。 八造は、春樹の体調が気になりながらも、駐車場で待機させている竜見と虎石の所へと足を運ぶ。
「兄貴、真北さんは、どうですか?」
竜見が尋ねてきた。
「暫く休めば大丈夫だと仰ってるが…心配でな。その…
明日の予定、三つだけ、二人に頼んでええか?」
「それですね。大丈夫です。いつものようにすれば
結論が出る仕事ですから」
「あぁ。よろしくな。…やっぱり、真北さんが心配だからさ…。
明日、二時間ほど、一緒に居るよ」
「そうしてください。…その後、須藤親分の所にお願いします」
「なんとか連れ出すよ。今日は、すまんな」
「いいえ。兄貴の仰った通りになっていたので、驚きましたよ」
虎石が言った。
「高所恐怖症って、飛行機も駄目なんですか?」
竜見が不思議そうに尋ねると、
「めちゃくちゃ高いもんなぁ。そりゃ、苦手な人は駄目だろ」
八造が応える。
「真北さんは、苦手なものは無いと思ってましたよ」
「もう一つ、あるけどな」
「お嬢様…ですよね」
得意そうに虎石が応えると、
「あぁ」
八造が笑顔で応えた。 真子のことを語る八造の表情は、普段見せる、厳しい表情とは全く違い、とても優しく、温かい雰囲気がある。そして、笑顔も輝いていた。 同じ男でも、見惚れてしまう程。 竜見と虎石は、この八造の表情に、弱いものの、憧れてもいる。 だからこそ、常に行動を共にしたい。
「俺は、明日のその時間まで真北さんと一緒だから、
その間は、連絡が取れない。緊急の時以外は、すまんが
二人で解決してくれ」
「御意」
「今日は、これで。ありがとう」
「お疲れ様でした」
深々と頭を下げて、二人は車で去っていった。 二人の車を見送った八造は、春樹の部屋へと急いで戻っていった。
部屋に戻ると、春樹は、いつの間にかシャワーで汗を流し、着替えまで終えて、布団に潜り込んでいた。 熱いお茶も飲み干され、空になった湯飲みがテーブルの上に置いてあるだけ。 八造は、そっと片付けに入った。
隆栄と岩沙が本部に到着したのは、夜の九時。 慶造の部屋に入ると、そこには栄三の姿もあった。
「生きて帰ってきたか…」
がっかりしたような口調で、慶造が言うと、
「阿山ぁぁぁぁ、ひどぉ〜」
隆栄が項垂れた。
「で、追いかけていった男は、大阪で例の仕事か?」
「向こうで仕入れた情報で、暫くは大阪だそうだ」
「そうか。…真子には、まだ言えないな」
「そうですね。…でも、栄三」
「ん? …よろしんですか?」
隆栄の言いたいことが解ったのか、栄三は不安げに尋ねた。
「まぁ、恐らく連絡はせんやろうけど、行き先くらいは、
知っておいたほうが、落ち着くやろ」
慶造が言うと、
「まぁ、そうでしょうが……」
栄三は煮え切らないのか、深く考え込んでしまう。
「居る場所だけ伝えておけ」
隆栄が促す。
「そうしまぁす。では、四代目、宜しくお願いします」
そう言って、栄三は慶造の部屋を出て行った。
「…俺、返事してへんけどなぁ」
慶造が呟く。
「阿山。本当に、悪かった」
「…大変だったぞ。まさか、勘違いされていたとはな」
「俺も驚いたって。…無事で良かったけど、…お嬢様に影響は?」
「無いと言えば無いが、有ると言えば有る」
「どっちにしろ、お前が関わってると思ってるのか…」
「まぁな」
「例の男は?」
「北島には、真子が見てない場所での攻撃を許している」
「それでも、例の能力で知ってしまうだろう?」
「そこが、悩むところだ。だから、外出を極力減らしてるんだが、
北島の奴……真子の為だと言って、俺の拳や蹴りに負けず、
頑として意見を通そうとするんだよなぁ」
「まさか、お嬢様を連れ去る口実にしてるとか?」
「それも考えた」
慶造が言うと、隆栄は驚いたように目を見開いた。
「それなら、なぜ、停めない?」
「今まで、何度も出掛けて、その先で、砂山と逢ってるんだが、
実行しないんだよな……何故だと思う?」
慶造が尋ねた。 隆栄は暫く考え込み、そして、ゆっくりと口を開いた。
「気持ちが揺らいでる?」
「だろうな。…真子の影響だ」
「そういうことか……。……で、この先、どうするつもりや?」
「真北が戻る前に、砂山と決着付けるつもりだっただが、
それも無理だな。…大阪に居ても、直ぐに耳に入るだろ」
「まぁなぁ。向こうも情報通だからさ」
「真子に………」
慶造は静かに言った。
芯のマンションに、栄三がやって来た。丁度、出先から帰ってきた芯と玄関先で出逢う。
「……………」
栄三の姿に気付きながらも、芯は無視して、オートロックを解除した。
「って、おいおいおいおい、ぺんこう」
「…うるさい。俺は怒ってるんだぞ」
「事件解決」
「俺の心は、解決してないっ」
芯の蹴りが、栄三の頭上を凄い勢いで通り過ぎた。
「お、お、おおお…おっかねぇなぁ、…もうええわ。
これだけ伝えるわい」
「聞く耳持たん」
「真北さん、大阪に居るからな。連絡先は、これ」
手短に言って、栄三は一枚の紙を芯の胸ポケットに突っ込んだ。そして、素早く去っていく。 栄三の行動に驚きながら、芯は自分の部屋に向かっていった。
芯は荷物を片付け、そして着替えようとシャツのボタンに手を当てた。
そっか…。
先程、栄三に突っ込まれた紙に気付き、手に取った。そして、それを電話の近くに貼り付ける。
お嬢様にも内緒ですね…。あなたは……。
そこに書かれている文字を見つめながら、芯はため息を吐く。 気を取り直して、着替え始めた。
慶造の部屋。
政樹が深刻な表情で、慶造の前に座っていた。 慶造は、煙草に火を付け、そして、煙を吐いた。
「……それで?」
静かに尋ねると、政樹は唇を噛みしめる。
「…お前の意見は、どうなんだよ」
「お嬢様にお尋ねしても、仰ってくれません」
「…なぁ、北島」
「はい」
「俺のこと、組のこと、そして、学校での事。…それ以外の事は
思わないのか?」
「それ以外の…事?」
政樹は、少し目線を逸らして、考え込む。
「……俺の……事ですか?」
慶造は、灰皿で煙草をもみ消しながら、
「そうだ」
と静かに応えた。 政樹は、ハッとする。 まさか、自分のことで、真子が悩んでいるとは考えていなかったらしい。
「俺が…お嬢様の悩みの種……だったんですね…」
「北島の何に心配なのかは解らんが、兎に角、お前の事だろうな」
「いつも、笑顔を向けてくださる。…なのに、お一人の時は、
寂しげな表情をなさる。…気になっていたのですが、それは
私のことで…悩んでおられた……」
政樹は、床に突っ伏した。
「どうすれば…」
「真子は自分で解決出来るように、育てられてる」
政樹の言葉を遮るように、慶造が言った。
「どういう…ことですか?」
「言葉通りだ」
「それでも、やはり心配です……」
「ったく…」
大きく息を吐いて、慶造は、湯飲みに手を伸ばした。
某教育大学。
キャンパスを歩く芯と航と翔のトリオ。なぜか、賑やかに話ながら歩いている。 時々、友達とすれ違い、少しばかり話し込む。
「ねぇ、今日、どう?」
女子学生が翔に声を掛けてきた。
「悪い、今日は他の予定が入ってる」
「えぇ〜っ! どんな予定?」
「飲み会。さっき誘われた」
「それじゃ、山本君も内海くんも一緒なの?」
「まぁな。…まだ、芯には言ってないけどな」
「そっか。山本君って、忙しいもんね。今日も道場なのかな」
「さぁ、それは解らんなぁ」
「それなら、せめて昼食でも食べようよぉ」
「あっ、それいい! ちょっと待っててな」
そう言って、翔は、少し離れた所で他の学生と話し込んでる航と芯に声を掛けた。
「なぁ、芯、昼飯ぃ〜」
その言葉を聞いた途端、芯は手で大きくバツをする。 翔は、女子学生に振り返り、
「ごめん。また次の機会に」
「ちぇっ、残念だなぁ。でも、次は絶対だよぉ」
「あぁ」
女子学生と離れて、翔は芯と航の所へと歩み寄る。
「ったく、ここは、勉強するところ。ナンパするな」
芯が静かに言った。
「ナンパしてないっ!」
反撃する翔に、芯は攻撃。
「……ここでじゃれ合うな…」
二人を停めるかのように、航が言い、
「ほら、帰るぞ」
そして、促す。
「ほぉい」
芯と翔は、妙な返事をして、歩き出した。
「そうや、なぁ、芯」
航が急に声を掛けてきた。
「ん?」
「今日の講義なんだけど…」
真剣な眼差しで、航が芯に質問をする。芯は、すぐに応えていた。 そんな話をしながら、門に向かって歩いていく。
「明日、教授に聞いてみたらいいよ」
芯が言うと、
「そうする…」
「終わったかぁ」
翔が二人の会話が終わったことを尋ねてきた。
「ん…それでいいだろ? 航」
「あぁ。…じゃぁさぁ、今夜は飲みに行こうか」
急に話を切り替える航は、楽しみにしてる様子。
「急に話変えるなよ…」
芯は項垂れた。
「お前、誰か呼んでるだろ?」
翔が、航を小突きながら、からかうように言うと、
「翔こそ、何の予定だよ。俺の話、聞いてただろ?」
「まぁな」
「で、芯、どうする?」
航が尋ねると、芯は笑顔を見せて、
「あぁ、………」
行くと言おうとしたが、ふと、何か胸騒ぎを覚えたのか、急に表情を変えて、
「俺はパス」
芯は冷たく言いはなった。 それには、驚く二人。
「芯、お前なぁ〜。たまにはいいだろう、今日はかわいい子ばかりだからさぁ」
「ほら、航は、誰かを呼んでるだろぉ。ほんとにかわいい子ばかりか?」
「お前の好みの子も居るよ」
「…それでも、やっぱり…パスかなぁ」
「あのなぁ〜っ」
と話していた時だった。 門から少し離れた所に、学生達の人だかりが出来ていた。
「なんだ???」
気になる三人は、その人だかりを見つめる。 中心に何かがあるらしい。それに優しく話しかける学生達。 芯は耳を澄ませた。
『家族の誰かを待ってるの?』
『呼んで来ようか? お名前は?』
芯は、声だけでなく、その輪の中心から醸し出される雰囲気に、気付いた。
「…お嬢様」
芯が声を発した途端、輪の中心から、誰かが顔を出した。
「ぺんこう!!」
それは、真子だった。 真子は、学生達を押し退けて、芯の前にやって来る。そして、飛びついた。 芯は飛びついてきた真子をしっかりと受け止め、
「どうされたんですか? 学校は?」
「さぼっちゃった!」
その言葉を聞いた途端、芯は少し怒った表情に変わった。 真子は芯の表情が変わった事を気にして、そっと離れる。
「…ごめんなさい…」
「…ったく…」
芯は、真子の頭をそっと撫でて抱きかかえる。そして、周りの目を気にせずに、真子の頬に唇を寄せた。
「悪い子ですね」
「…おい、芯〜」
「……あっ…」
芯は、翔と航に声を掛けられて、その場所が、何処だったのかを思い出した。
しまった…ここ…大学……。
ふと周りに目をやると、学生の誰もが芯と真子を見つめていた。 先程まで賑やかだったのに、静まりかえっている。
…山本君って、シスコン???
妹…居たっけ?
じゃぁ、誰だよ、あの女の子は。
知らないよぉ。でも……。
そんな会話がひそひそと聞こえてくる。 その場を変えるように、航が口を開く。
「おっ、このかわいい女の子が、芯を改心させた少女だな?」
「そして、芯の彼女!」
翔も芯をからかい始めた。
「うるせぇ!」
芯は照れ隠しに、二人を怒鳴りつけた。
「…ぺんこう、こちらの方は?」
真子が尋ねると、
「初めてお逢いするんですよね」
芯は真子を地面に下ろしながら、
「ご紹介します。こいつらは、私の親友です。航と翔」
二人を紹介した。
「あのお二人なの?」
「はい」
その途端、芯の後ろから、ひょっこりと顔を出す真子。
航が真子の目線に合わせてしゃがみ込み、素敵な笑顔で真子に手を差し出した。
「初めまして。内海航です。芯とは、幼なじみです」
「初めまして、阿山真子です」
真子は、深々と頭を下げ、そして、顔を上げた時に、笑顔を見せた。 航の差し出す手をそっと握る真子。
あれ? 初対面の人には警戒するのにな…。
話しすぎたかな…。
芯が真子の仕草を気にしてる間、翔も自己紹介をしていた。
「俺は、空広翔。よろしく!」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
真子は、深々と頭を下げ、素敵な笑顔を見せた。
「真子ちゃんは、小学六年生だよね」
「はい」
「…見えない…なぁ。しっかりしてるよ。それとも、
今の六年生は、こうなのか?」
「人によるだろ」
翔に言われた芯は、ぶっきらぼうに応える。
??? お嬢様???
芯は服を握りしめられた事に気付き、目線を真子に移した。 真子の手が少し震えている。
御無理なさったんですか?
真子は首を横に振る。
っと、ここは気を集中させてください。
真子の特殊能力を気にする芯は、心の声で語りかけていた。 真子は、そっと頷いた。
「悪い、今日は、やっぱり無理だよ。御免」
お嬢様が悩んでいる。
と、付け加えたいが、グッと堪える。
「ぺんこう、約束があったの? それなら…またに…する」
そう言った真子の声が、少し寂しげに聞こえる。
「大丈夫ですよ。お断りする予定でしたから。では、行きましょうか」
芯は真子を抱きかかえた。 なぜ、真子が一人で来たのか、芯は、真子の行動の意味を把握した。
「あの、その、ぺんこう、私、一人で歩けるよぉ」
突然、抱きかかえられた真子は、思わず言った。
「こんな危険な奴らばかりのところを歩かせる訳にはいきませんよ。
それに、大勢の中では、迷子になりますよ」
「大丈夫なのにぃ」
「駄目です」
強く言う芯に、真子は何も言えなくなる。
「じゃ、またな」
翔と航に後ろ手を挙げて、学生達の中を歩いていく。 芯の後ろ姿を見送りながら、二人は、芯の新たな一面を見た気分になり、そして、その行動に驚いていた。
「なんだか、芯じゃないよな」
「真子ちゃんの前では、変わるんだな」
「驚いたよなぁ」
「人目もはばからず……なぁ」
遠くを歩く芯が、ちらりと振り返った。
「うわちゃぁ、聞こえてるんか?」
「かもしれないな。…地獄耳!」
『うるせぇ!』
芯の口が、そう動いた。
「聞こえてる……」
ふと、周りを見た翔は、
「……一応、芯は、ここでは、全学生に有名だよな…」
呟いた。
「そうだよな。格闘技だけでなく、体育会系の連中や
教授たちにまで……芯を知らない学生は潜りだと
言われてるよな…」
航も呟く。
「…で、明日から、芯の攻撃が……始まるのか?」
芯は照れると、どうしても拳や蹴りが出る。 それをいつも受け止めているのは翔と航だった。
芯の明日の行動が、手に取るように解る二人は、
「はぁあ」
ため息を付いて、項垂れた。
芯と真子は、昼ご飯の買い物を済ませて、芯のマンションへとやって来る。 マンションへ入っていく芯は、真子を抱きかかえたままだった。 少しでも、側に居たい、真子の悩みを減らしたい。 そういう想いもあるが……。
「お邪魔します」
真子が芯の部屋へ上がる。
部屋は男所帯にも関わらず、綺麗に片づいていた。 真子は、嬉しそうに、部屋中を歩き回る。 芯が書斎として使っている場所には、たくさんの本がぎっしりと詰まった棚があった。そして、別の部屋には、他の人が使っている形跡があった。
「誰かと一緒なの?」
「航と翔ですよ。大学に近いから、ここに時々泊まりに来ますよ」
「彼女かと思った」
「そんな余裕はありませんよ」
芯は、真子に話しながら、昼食の用意を始めた。
「いただきます」
芯と真子が昼食を取りながら、学校での話をしている頃……。
阿山組本部は、とてもとても慌ただしくなっていた。
学校から連絡が入った。
『阿山さん、一人で帰ったのですが、もうご自宅に付きましたか?』
「いいえ、まだ帰ってませんよ」
『どうしよう…やはり、御連絡した方が……』
学校からの電話を切った途端、組員が慌ただしく動き出す。 政樹が、出先から戻ってきた。そして、真子の事を耳にした途端、慌てたように本部から駆け出していった。
「………だから、センサー付いてないんちゃうんか…地島ぁ」
政樹に何かを告げようとした栄三が、項垂れて呟いた。
「栄三さん、地島さんを追いかけますか?」
「いいや、ほっといて大丈夫だろ。…まぁ、俺が探してくるし」
「では、四代目には…」
「まだ、伝える必要はない」
「かしこまりました。お気をつけて」
栄三も本部を出て行く。 しかし、栄三は、真子を探すのではなく、桂守に連絡を入れるだけだった。
「お嬢様なら、山本先生と歩いてましたよ」
真子を守るように付いている桂守が応えた。
「はぁ???」
「深刻な表情でしたので、恐らく、ご相談でも…」
「猫電話で充分やろって」
「それでも、難しいのでは? …ただ、お逢いしたいだけかも…」
少しからかうように桂守が言うと、栄三の眼差しが鋭くなった。
「相談相手は、何も、ぺんこうだけじゃないだろがぁぁっ!」
「って、私に当たらないでくださいっ!!」
栄三の蹴りが、桂守に炸裂していた。 まぁ、桂守は、簡単に避けているのだが……。
政樹は、真子が行きそうな場所を探し回っていた。 と言っても、政樹自身が、真子と散歩がてら向かった場所だから、真子が行きそうな場所は解っていた。なのに、真子の姿は見当たらない。 政樹は、少し焦ってしまう。
お嬢様……何処に、おられるんですか…。
政樹は探し回る…。
政樹が探し回ってることは、知らない真子は、芯のマンションに居る。 昼食を終え、デザートを前に、二人は深刻な表情をしていた。
「…ご相談ごとは?」
「…実はね、そのお世話係のまさちんのことなの…」
「まさちんのこと?」
真子は、静かに頷く。
「おとといね、遊園地に行ったの。その時、まさちん、二人の怖そうな
男の人と話していたの。すごく親しそうなんだけど、私にそれを
悟られてはいけないような仕草をしていたの。私、気になったんだ。
まさちんの口は、二人のうちの一人を兄貴と呼んでいた」
「兄貴?」
「うん。色々と考えたんだけど…。以前、お父様と北野さんが、話してたこと。
…敵対する組の…砂山組の幹部の地島と北島って人の話。それでね、昨日、
まさちんが、寝入ってしまった時に、こっそりと調べちゃったの…悪いと
思ってる。…その…まさちんね、北島っていうみたい。北島政樹が、本当の
名前みたいなの。…どうしたらいい?」
真子の眼差しが、哀しげな物へと変わる。 今にも泣き出しそうな真子を見て、芯は、
「お嬢様、それは、慶造さんにお話した方が…」
「怖くて…」
「それなら、早急に…」
「まさちんが、怖いんじゃないの。…それを知った時のお父様が怖いの…」
「慶造さんが?」
「お父様のことだから、また、あの時の…くまはちのおじさんや、
えいぞうさんのおじさんの時のようなことが、起こるかも知れない
…そう思うと、言えなくて、だから、こうして、ぺんこうに相談しにきたの」
お嬢様……それは…。
芯は困り果てる。 真子に危険が迫っている。 しかし、真子が政樹の話をするときは、嬉しそうに輝いている。 その真子から、政樹を引き離すと、真子の笑顔が消えるかもしれない。
沈黙が続いた。
「恐らく、私を狙っているか、お父様を狙っているかの
どちらかだと思うの。それを諦めて欲しいと思うの…。
まさちん、困っているみたいだから。だって、遊園地の時だって、
私をさらうこと、出来たはずだもん。それをしなかったのは、
まさちんの意志じゃないと思う…」
真子は真剣な眼差しで、芯を見つめ、
「駄目かなぁ」
その目には、芯は弱い。 何かを媚びるのではなく、真子の強い意志の現れ。 その眼差しこそ、真子は自分の考えを覆さないという証拠。 芯は、呆れたようにため息を付き、目を瞑る。
「お嬢様、それが、どういうことなのか、解っておられますか?」
そう言って、目を開けた芯は、真子よりも真剣な眼差しで真子を見つめた。 真子は、芯の眼差しに応えるかのように、頷く。
「危険なことくらい、解るよ。だけど、まさちんを失いたくないもん」
「お嬢様…」
それ程まで、その男の事を…。
芯は、別の想いが自分の心に芽生えた事に気付いた。 でも、それは、停めることができない。
それなら、いっそ……。
芯は拳を握りしめた。
「まさちんだけじゃないよ。みんなを失いたくない…
そして、もう、これ以上、傷つけたくもないんだもん。
…あんな哀しい思いや、出来事…もう、したくないんだもん…」
今にも泣き出しそうな真子を見て、芯は慌てて抱き寄せた。
「大丈夫ですよ。私が見守ってますから。お嬢様、ご安心下さい。
お嬢様の優しい気持ちは、まさちんにも伝わってますよ。
哀しい思いは、もう、させませんから。私が付いてます」
芯の言葉は力強かった。その想いを悟ったのか、真子は芯にしがみついてきた。
「ありがとう、ぺんこう」
「無茶はしないでくださいね」
「うん」
真子は、芯の胸に顔を埋めたまま、眠ってしまう。
お嬢様……。
芯は、真子の額にそっと唇を寄せ、そして、抱きかかえる。 寝室に連れてきた芯は、真子をベッドに寝かしつけた。 優しく布団を掛け、室温を調節してから、寝室を出て行った。
芯は、後片づけを終え、電話の前に立った。 そこに貼り付けたメモをジッと見つめる。
仕方ないか…。 慶造さんに伝えても、恐らく、解決されないだろうし…。
芯は、受話器を取って、何処かへ連絡を入れた。
『もしもし』
相手は、春樹だった。
「……帰国したなら、連絡くらいしてくださいよ」
電話の相手に、冷たく言う芯。
『真子ちゃんに、何か遭ったのか?』
「って、どうして、そうなるんですか! ………」
私のことは…。 そう言いそうになった芯は、口を噤んだ。
『何が遭ったんだよ』
声のトーンが変わった。 芯は、差し障りない程度に、真子の悩みを電話の相手に話し始める。 一通り話し終えた途端、春樹のため息が聞こえてきた。
『真子ちゃんの気持ち…解るけどな、それは慶造の身にも
危険だろが。まぁ、慶造自身、自分で何とかするだろうけどなぁ。
だからって、俺に言われても…』
「あなたしか思いつきませんよ。解決出来そうな人は」
『ほぉ〜俺の本来の姿を知ってる癖に?』
何となく、嫌味っぽく言う春樹に、芯のこめかみがピクピクしてくる。
「だから、先に、あなたに報告してるんですよ。駄目ですか?」
『お前は解らんか?』
「解ってます。お嬢様の気持ちも察して下さい」
『真子ちゃんの気持ちは解るけど、その男を真子ちゃんの
世話係にした慶造が悪いな』
「…ったく、冷たいんですから。解りましたよ。もう、何も言いません。
失礼しました」
芯は、春樹以上に冷たく言い放つ。
『こら、真子ちゃんが学校を抜け出したことは、報告せぇよ』
「はぁ?」
『慶造に…だよ』
「ちゃんと、四代目には連絡しておきますし、私が、本部まで送りますから、
ご心配なさらずに」
芯の口調は更に荒くなり、そして、勢い良く、受話器を置いた。
春樹は、受話器から聞こえた大きな音に驚き、受話器を耳から離した。
「って、こら、ぺんこう!」
再び声を掛けたが、受話器からは一定の音しか聞こえてこない。
「ったく……そんなに心配なら、離れるなって」
受話器の向こうにいた人物に語りかけるように、春樹は言った。 そっと受話器を置き、ため息を吐く。
ったく…しゃないな。
春樹は、再び受話器を手にして、何処かへ連絡を入れた。
夕方。
芯は、真子を本部まで送り、すぐに帰っていった。部屋へ戻る真子に気付き、政樹が駆け寄ってきた。
「お嬢様!!! 御無事で!」
「まさちん…」
そう言った途端、政樹の眼差しが変わる。
「お嬢様、勝手な行動は慎んで下さい!!」
「ごめんなさい。気分転換したかったの」
その言葉に、政樹の表情が優しくなった。
「それでしたら、今度の休みに、何処かへお出かけしましょうか?」
「うん」
真子は、ニッコリと笑って、政樹に返事をした。
実は、政樹のこの言葉には、別の意味が含まれているのだった。
何かが、起こるっ!
(2006.7.25 第八部 第二十話 改訂版2014.12.12 UP)
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