第八部 『偽り編』
第二十一話 守られる偽り
芯は大学の門をくぐっていく。 何やら目線を感じる。 まぁ、いつもの事。そう思いながら校舎へ向かって歩いていると……。
「ねぇ、山本くん!」
女子学生に声を掛けられた。
「はい?」
素っ気なく返事をする芯。 女子学生の眼差しは、なぜか爛々と輝いている。
なんだ???
デートの誘い。そう思った芯は、やんわりと断る言葉を考え始めた。…が、
「昨日、門の所にいた女の子……山本君の妹さん?」
「はぁ????」
思っていた質問とは違った為、突拍子もない声を張り上げてしまった。
「いや、あの娘さんは…お世話になってる方の娘さんですよ」
「それにしては、抱き上げて去っていったけど…」
そういや、門の所に居たよなぁ、この子…。
芯は、ため息を付いた。
「俺にとっては、大切な方ですから、当然の行動ですよ」
そう応えて、芯は去っていった。 これ以上、真子との関係を知られては、自分の過去の事…関西での行動…まで知られてしまう可能性がある。そうなると、自分の夢でもあり、真子の夢でもある教師になる事に支障が出る。
しまったなぁ。あんな行動…するんじゃなかったか…。 でも、お嬢様の事も気になるし…。 第一、その北島って男の行動で、お嬢様が傷ついたりでもしたら…。
そう考えながら歩いていると、同じ講義を受ける男子学生が…、
「よぉ、山本ぉ、昨日の門での熱々ぶりは……」
芯をからかってきた。 芯は、男子学生の言葉を遮るかのように、ギロリと睨み上げる。 口を噤んだ学生だが、次の瞬間……。
地面に仰向けに倒れていた。
芯は、校舎へ向かって歩いていく。 その後ろ姿を見つめる目が四つ……。
「だから、今日は一緒に居ない方が良いと言っただろ、翔」
「解ってるけど、誰が停めるんだよ、航ぅ」
「芯自身が停めるだろ?」
「停められるなら、あぁ、ならんって」
二人は、仰向けに倒れた学生に目線を移した。
「幸い、あいつは柔道やってるから、受け身は出来るだろうし、
あれくらいじゃ気を失わないだろうけど、…相手が素人さんだったら
警察沙汰になるぞ……」
翔が、心配そうに口にする。
「まぁ、そこは芯だから、大丈夫だろ。相手を見てるって」
芯のことは隅々まで知ってるかのような口調で、航が応えた。
「そりゃそうだけど………でもなぁ」
二人の心配を余所に、芯は、昨日の事を尋ねてくる輩を次々と口封じしていった。 その日の午前中のうちに、芯の行動は知れ渡り、午後になると、誰も、口にすることは無くなった。
…意外と短かったな……。
芯自身、一日かかると思っていたらしい。 影で、翔と航の動きがあった事は、後日知った芯だった。
政樹の車が本部に戻ってきた。 玄関先で停まり、真子が降りてくる。
「もぉ〜っ!! まさちんの意地悪っ!!」
車の中に向かって叫び、真子はドアを思いっきり閉めた。すると、運転席のドアが開き、政樹が降りてきた。
「お嬢様!!」
「……付いて来ないでっ!!」
真子が冷たく言って、玄関へと入っていった。 政樹は、真子の姿が見えなくなった途端、項垂れた。
「地島さん、今日は何が…」
駐車場に車を置いた政樹に、駐車場係が声を掛けてきた。
「いつもの事もあるんですが、その…俺に対しての悩みを
打ち明けて欲しいと申したら…」
「言えないでしょう、本人を目の前にしては…」
「……それでも、お嬢様の笑顔が消える事は…」
政樹は、本当に気が滅入っている。
「そういう方面は、栄三さんが得意ですから、ご相談されては
どうでしょうか?」
「…でもなぁ…」
「あぁ見えても、頼りになりますから」
笑顔で応える駐車場係に、政樹は苦笑い。そして、真子の部屋へと向かっていった。
ノックをする。 返事が無い。 しかし、物音が聞こえた為、居るのは解っていた。
「お嬢様、地島です。お食事はどうされますか?」
そう尋ねても、やはり返事がない。
「ご用が御座いましたら、声を掛けてください。
失礼しました」
政樹は隣の自分の部屋に入っていった。
真子の部屋。 そこには、真子だけでなく、えいぞうの姿があった。
部屋に向かう途中、栄三に逢い、
「お帰りなさいませぇぇぇ〜って、お嬢様ぁ???」
驚く栄三の手を強引に引いて、部屋に連れ込んでしまう。
「いや、その…お嬢様っ! お嬢様には、まだ早いですから!」
突然の真子の行動に、栄三は言葉が可笑しくなっている。 ついでに、言う相手も間違っている…さらに、勘違いも甚だしい。
「どうしたら…いいの??」
真子が静かに言った。
「えっ…そ、それは……って、そうじゃなくて……。
お嬢様…どうされたんですか?」
真子の深刻な表情に栄三は、本来の自分が表に現れた。
「…まさちんのこと…」
「お嬢様、もしかして気付かれたんですか?」
どうやら、栄三は単独で調べ、政樹の本来の姿に気付いたらしい。 もちろん、慶造に打ち明けた。 だが、慶造が既に知っていた事、そして、慶造の思いを聞いた途端、その事に賛成した。
「まさちんの名前………」
「北島…政樹…」
栄三が口にした途端、真子は驚いたように顔を上げた。 その時、政樹が部屋をノックしたのだった。 真子は慌ててしまう。そして、栄三の口を思いっきり塞いでしまった。 それが、物音を立てる原因だったが……。
栄三がもがく。…もがく、もがく………もがく……。 栄三は、口を塞ぐ真子の手を軽く叩いて合図を送る。
「あっ! ごめんなさい」
既に政樹は自分の部屋に入っていた。それなのに、真子は、いつまでも栄三の口を塞いでいたものだから、栄三の息が続かず……。 真子の手が離れた途端、
「ぐぷぅぷぷぱぁぁあ!!」
妙な声を張り上げて、大きく息をした。
「息の根が止まるかと思いましたよ…」
「ごめんなさい…」
栄三は息を整え、そして、真子を見つめた。
「それで、お嬢様は、北島が何を考えているのかも
解ってしまったんですか?」
真子が、コクッと頷いた。
「慶造さんに伝えましょうか?」
「お父様…知らないのかな…」
「恐らく、ご存じないかと…」
「知ったら…怖いかな…」
「怖いでしょうね」
「失いたくない…」
真子が静かに言った。
「…まさちんも?」
栄三の言葉に、真子は大きく頷き、そして、涙を流してしまった。
ったく…この人は…。
栄三は思わず真子を抱きしめた。
「大丈夫です。お嬢様のことは、私が守ります」
「駄目…。…それで、えいぞうさんが怪我するのは…嫌…」
「私は、あなたのボディーガードですよ。あなたをお守りする事は
当たり前の行動です。それと同時に、慶造さんも守りますから。
そして、まさちんには、手出しさせません」
栄三の力強い言葉は、真子の心を落ち着かせる。
「…昨日、ぺんこうの所に行って、この事を相談したんですね?」
「…どうして…知ってるの?」
「ぺんこうが、連絡を」
「そうだよね…そうしないと…お父様…心配するもんね…」
「えぇ」
「お父様に連絡したとき、まさちんの事…言ったのかな…」
「伝えていたなら、今日から、まさちんと共に行動させてませんよ」
「そっか…」
「……お嬢様」
栄三が真剣に呼ぶ。
「なぁに?」
「次は…私にご相談下さい。…私だって、お嬢様の悩みを
解決したいですから。…役に立ちませんか?」
栄三は真子の目を見つめて、言った。
「えいぞうさん………」
真子は、そう言って、真剣な眼差しで栄三を見つめる。
「……役に立たないもん……」
かわいらしく意地悪そうに言った真子に、栄三は項垂れ、肩の力を思いっきり落としていた。
「嘘だもん! …えいぞうさん、…ありがとう」
真子は栄三の胸に飛び込んだ。
「お嬢様??」
真子の突然の行動に、驚きながらも、栄三は真子を再び抱きしめる。
「えいぞうさんに心配掛けたくないし…負担も掛けたくないから…。
…私は大丈夫。だから、お父様を……お願いします」
静かに真子が言うと、真子を抱きしめる腕に力がこもる栄三。
「かしこまりました、お嬢様」
優しく応えた栄三に、真子は笑顔を見せた。
そして、真子は、栄三に、自分の思いをそっと打ち明けた……。
「………そのお嬢様の思い……空しく…か…」
栄三は煙草の煙を吐き出した。そして、目の前のフェンスを握りしめる。
ここは、道病院。
真子が事故に遭った。ひき逃げである。 幸い、大事には至らなかったものの、様子を見るため(真子を守るため)に、入院させていた。 真子の怪我は、例の能力で治っている。しかし、検査と称して、道病院で働く美穂が真子を強引に入院させてしまう。 真子が事故に遭ったという連絡を受けた時、栄三は大阪に居た。連絡を受けた途端、とんぼ返り。 その足で、道病院にやって来た。 人気の無い場所で慶造と政樹の姿を見つけた栄三は、こっそりと近づいた。
慶造の拳が、政樹の腹部に突き刺さる。 政樹は、その場に座り込んでしまった。
「……俺を直接狙えと…言ったよな…」
「はい…」
「なら、なぜ、真子が狙われた? …あ?」
慶造の怒りが沸々と沸き立っているのが解る。栄三は、ただ、ふたりの様子を見つめるだけしか出来なかった。自分が割り込めば、更に悪化するかも知れない…そう思うと、足が動かなかった。
「俺は反対なんです。だから、兄貴に…それを伝えようとしたら、
兄貴の逆鱗に触れてしまいました…。俺の言葉が…悪かった。
……俺が…兄貴に狙われていたんです」
「…何?」
「俺に怪我を負わせれば、あなたが動くと思ったらしいんです」
「意味が解らん…」
「お嬢様が大切にしてるお世話係が、砂山組に狙われた…という
筋書きに変わっていたんです」
「それで、俺の怒りに触れる…ということか?」
政樹は頷いた。
「しかし、その場面にお嬢様が現れて、俺が狙われてる事を
何故か御存知で……それで、俺は…お嬢様に守られて…」
「地島は、真子を轢いてそのまま去っていったということか…」
「はい。……申し訳御座いませんでしたっ!!」
政樹は深々と頭を下げた。
「それで、そっちの動きは?」
「解りません。まだ連絡は…」
「俺が知ってる事は、伝えたのか?」
政樹は首を横に振った。
「伝えておけ」
「組長っ! それは、あなただけでなく、お嬢様が…」
慶造は、別の場所に目をやった。そこには美穂の姿が。
「真子ちゃん、お目覚めよ」
美穂が優しく言った。
「様子は?」
「まさちんの事を心配してるわよぉ。どうするぅ〜?」
悪戯っ子のように美穂が言うと、政樹の顔色が無くなっていく…、
「その……怒っておられると……か?」
「怪我してないのかなぁ…って。早く元気な姿を見せてあげて」
「はい。…組長、失礼します!!」
一礼して、素早く去っていった。
「驚いたわぁ。やっぱり、真子ちゃんの体は鍛えられてるのね」
「ん?」
「本来なら、重体でしょうね。勢い良くぶつかって、車の上を
舐めるように移動して、地面に落ちたんでしょう?」
「目撃者の証言ではな…。…で、それの何処が鍛えられるになる?」
「受け身よ」
「あぁ、成る程な」
「まぁ、例の能力も関わってるかもしれないけどね」
「そうだろうな」
慶造は大きく息を吐いた。
真子が入院してる病室に政樹が入っていく。
「お嬢様っ!」
病室に飛び込むように入ってきた政樹は、真子が体を起こしている事に驚き、
「まだ、起きては駄目ですよっ!!」
慌てて駆け寄り、真子を寝かしつけた。
「大丈夫なのにぃ〜。美穂先生から許可もらってるの!」
「すみません!!」
真子の言葉を聞いて、慌てて手を離す政樹だった。
「その……お嬢様……」
「まさちんは、大丈夫?」
「えっ?」
「その……押し退けた時……壁に思いっきりぶつかったでしょう?」
真子の言うとおりだった。 政樹の身の安全の為とはいえ、真子は、車に狙われている政樹を車から遠ざけるかのように、思いっきり突き飛ばしていた。その勢いは、政樹の想像を遙かに超えていた。 背中を強打。 その痛さに目を瞑り、次に目を開けた時は、真子が地面に力無く横たわっている姿が目に入る。 車が猛スピードで去っていくのが、横目に見えた。
「お嬢様の怪我に比べたら…私は……平気ですよ」
「よかった……。ごめんなさい…心配掛けて…」
「……お嬢様っ!!」
感極まったのか、政樹は、真子を思いっきり抱きしめてしまった。
申し訳御座いません。 俺のせいで……俺のせいで…っ!!
真子は政樹の背中に手を回し、優しくさする。
「大丈夫だから。…まさちん…泣かないでね…」
真子の優しく温かい声が、政樹の心に突き刺さった。
栄三は、灰皿で煙草をもみ消す。
「…で、兄貴ぃ」
もちろん、栄三の側には健の姿もある。
「あん?」
新たな煙草をくわえ、火を付けながら、栄三が返事をした。
「どうするん?」
「四代目の言う通りにする」
「ええん?」
「ええやろ」
「………お嬢様が、哀しんでも?」
健は静かに言った。 その言葉に、栄三は何も応えず、ただ、自分が吐き出す煙に目を細めるだけだった。
慶造が、真子の病室に顔を出す。
「お父様っ!!」
政樹と楽しく話し込んでいた真子は、慶造の訪問に驚いたように声を挙げ、そして、姿勢を正した。
「起きても……大丈夫なのか?」
慶造が静かに尋ねると、真子は微笑み、
「美穂先生の許可をいただいております」
ハキハキと応えた。
「それなら、安心だな。帰るよ。…まさちん、真子を宜しく。
そして、真子」
「はい」
「美穂ちゃんの言うことは、きちんと守ること」
「心得てます」
真子の言葉に安心した表情を見せ、慶造は病室を出て行った。 栄三が、廊下にいた。
「…大丈夫だ。すぐに戻れ」
栄三の耳元で静かに告げる慶造。
「しかし、この後の行動が…」
「お前には、向こうの男達を抑える仕事があるだろが」
「真北さんと…くまはち…ですか…」
「そうだ。今回のことで気付かれる可能性がある。
特に、八造から目を離すな」
「御意。では、これで」
「あぁ。心配かけた」
「…四代目。決して御無理は…」
「真子が居るから、安心しろ」
その言葉に、栄三は納得したのか、一礼して直ぐに去っていった。 少し離れた所で待機していた勝司と共に、慶造は帰路に就く。
「四代目、本当によろしいんですか?」
運転しながら、心配そうに尋ねる勝司に、慶造は、
「あぁ」
静かに応えるだけだった。
「私共で手を…」
「何もするな」
「……それでは、お嬢様を哀しませてしまいます」
「解ってる」
「…四代目。あなたは、お嬢様に何を望んで居られるんですか?」
「改心」
慶造は短く応えるだけだった。
芯は、図書館から出てきた。手には借りた本を持っている。本の表紙を見つめ、そして歩き出した。
「山本」
階段を下りていた時、声を掛けられた。
「はい」
「先日、門の所に居た………」
まだ、その時の話をする学生が居ることに、芯は呆れたように息を吐き、
「だから、あの娘さんは…」
「解ってるって。その娘さんだと思うんだけど…」
「ん?」
「お昼頃、ひき逃げ事故を見たんだよ。小学生が轢かれてた」
「…その小学生が…」
「救急車に運ばれるときに、ちらりと見えたんだけどな、
その娘さんに、似てい………………って、山本??」
学生が話している途中で、目の前の芯の姿が消えた。 振り返ると、芯が走っていく姿が。
「って、似てただけなんだけど…」
学生が呟いた時には、芯の姿は見えなくなっていた。
芯は、校舎の窓を開けた。辺りに誰も居ない事を確認して、飛び降りた。
「!!!! って、ビックリしたぁ」
芯が言った。
「驚いたのは、俺の方だっ!」
と芯に声を張り上げたのは、翔だった。
「…降ってきた……芯が……上から降ってきた……」
驚いたように腰を抜かして、呟いているのは、翔の隣にいた航。
「す、すまん……誰も居ないと思ったのに」
「…あのなぁ、階段があるだろが」
「解ってるっ!! 直ぐに戻るから」
「って、待てぃ!」
慌てたような芯を引き留める。
「なんだよっ!」
「講義が始まる。今日は出ないと駄目だろが」
「だから、直ぐに戻るって…」
「何が遭った? まさか、真子ちゃんに?」
「恐らく、そうだ」
「……恐らくって、確定じゃないんだろ?」
「だから、確認を…」
「何が遭ったんだよ」
航が声を掛けてきた。
「…ひき逃げに遭った小学生が、お嬢様に似ていたと
さっき、耳にした。それを確かめたいだけだ」
「それなら、連絡すれば良いだろ?」
「誰にだよ」
「お兄さんに」
「……大阪に居るのに、知ってるわけないだろが」
「それなら、親分さんに尋ねれば?」
「…教えてくださるとは思えない」
芯が寂しげに言うと、
「……確かに、そうだな…」
航と翔が、何故か納得。
授業を抜け出し兼ねん…。
まだ逢ったことのない慶造の声が聞こえた気がした。
「だから、急いで………」
と口にした途端、芯のオーラが変化した。
「って、…芯? おい……事情が解ったから…」
芯の体から発せられるのは、怒りのオーラ。 長年、共にいる二人は、芯の変化に気付き、少し距離を取ろうとする。
「……っ!! ひぃっ!!」
芯が振り返った途端、翔と航は距離を取った。 しかし、芯は別の場所を睨んでいた。 二人も、芯が見つめる先に目をやった。 そこには、一人の男が立っていた。
「よぉ〜。窓から飛び降りると、危ないやろがぁ」
「えいぞう……てめぇ……何しに来た?」
芯の声が低く響く。
「緊急事態発生…!!! って、あのなぁ、ぺんこう」
芯が栄三の胸ぐらを掴み上げた。
「お嬢様がひき逃げに遭ったと耳にしたが…」
芯の中では確定してるし…。
翔は項垂れた。
「その通りだ。…お前のお陰で軽傷だ」
「俺のお陰?」
「あぁ」
そう言って、栄三は芯の腕を引き離す。
「お前がお嬢様の体を鍛えただろ。受け身が良かったとかで
怪我も軽くて済んだそうだ。今は、まさちんと一緒に…」
「…道病院だな」
「あぁ。205号室」
と栄三が言った時には、すでに芯の姿は無かった。
「……はやっ……」
そう呟いて、ため息を付く栄三。
「ということだから、遅刻すると教授に伝えていただけますか?」
「は、はぁ……」
「では、宜しくお願いします」
そう言って、栄三は去っていった。
「で……あの人…誰?」
不思議そうに航が言うと、
「確か、真子ちゃんのボディーガード…」
翔が応えた。
「……って、翔…どうして、知ってるんだ???」
「芯が話してたからさ」
「そういや、いい加減そうなボディーガードと真面目なボディーガードの
二人が居るって言ってたなぁ」
「その一人の雰囲気が、あの人とそっくりだし…」
「…勘ですか…」
「はいなぁ。…で、講義始まるぞ!」
「やばっ!」
「芯は遅刻…だな」
「いや、欠席だろな…」
二人は、講義室へと向かって早足で去っていった。
芯は走って道病院へと駆けていく。
二階……。
駆けながら、芯は病院の建物の二階に目をやった。開いている窓を探してるのだった。
…っと、お嬢様を驚かせては駄目だ…。
大学での行動で、航が腰を抜かしていた事を思い出す。そして、玄関へと向かって行った。
階段を昇り、二階に着いた。案内板で真子の病室を確認し、そして、歩いていく。 205号室の前に立った。
笑い声?
病室から、真子の笑い声が聞こえてきた。 その声に混じって、男の声も聞こえてくる。
…まさちんが一緒……。
栄三の言葉を思い出した芯は、慌てたようにドアを開けた。
「お嬢様っ!」
その声に、真子が振り向いた。
「あっ、ぺんこう、久しぶり! 元気そうだね」
真子の声は弾んでいた。
「お嬢様が事故に遭ったと聞いたので…その…」
「誰から? まさか、えいぞうさん??」
「え、えぇ」
心配げな芯とは違い、真子は微笑んでいた。 芯の言葉を聞いた真子の笑顔は、更に輝いた。
「大丈夫だよ、ほら、ご覧の通り、元気だもん!」
本当に元気な声で、真子は言った。
「そうですか……安心しました」
芯は、素敵な笑顔で応えた。
「あのね、あのね、ぺんこう」
「はい、何ですか?」
真子はベッドの側に置いているランドセルから教科書を取りだした。
「ここなんだけどね…」
突然、真子は勉強の話をし始めた。 真子の突然の行動には慣れている芯は、直ぐに真子と二人だけの世界へと入っていく。
その二人の側には、政樹が居た。
政樹は、いきなり蚊帳の外状態。
……って、なんだよ、こいつ…。
あっ、ぺんこうって呼ばれていたよな。
こいつが、前の家庭教師……山本芯…か…。
芯を見つめる政樹。 その政樹自身、心に何かがうごめいていた。 芯は、政樹の目線に気付き、ちらりと目をやった。
こいつが……まさちんか…。
お嬢様の心配の……種…。
芯の眼差しが、突然鋭くなった。
えっ?!
政樹は、その眼差しに少し驚いていた。
「あっ、まさちん、この人が、ぺんこうなの。私に、いろいろと
教えてくれた先生だよ。そしてね、ぺんこう、この人がまさちん」
真子が、思い出したかのように、突然、二人を紹介する。
「初めまして、山本です」
「地島です」
「現在、お嬢様のお世話をしている人ですね」
芯は笑顔で言った。 しかし、その笑顔を観ている政樹は、なぜか、殺気を感じていた。
「私は廊下に居ますので、何か御座いましたら
直ぐに呼んで下さいね」
そう言って、政樹は真子の病室を出て行った。 ドアが静かに閉まる。
「……あの男…ですか」
芯が尋ねると、真子が、そっと頷いた。
「確かに、何かを秘めている感じがしますね」
「でも………」
「お嬢様。まさか、怪我は…」
「……まさちんが轢かれそうだったから……」
「ったく…」
ちょっぴり泣きそうな真子に気付き、芯は真子の頭をそっと撫でる。
「もし、怪我が酷かったら、どうするんですかっ。
先のことを考えて…そして、私たちの事も考えてから
行動して下さい」
芯はいつになく、真子に厳しい言葉を投げかけていた。
「反省…してます」
「次は、本当に……」
芯は、心で真子に語りかけた。 真子は、芯を見つめ、そして、しがみついてしまう。
「ありがとう、ぺんこう。……でも、今日は大切な講義が
あるって聞いてたけど……良かったの?」
「お嬢様が心配ですから」
「私は、ぺんこうの方が心配だよ?」
「大丈夫です。こちらに来るときに、休むことを伝えましたし、
それに、急な用事で欠席をせざる終えない学生の為に
きちんと、次を用意してますから、私は、そちらに出席しますよ」
にこやかに言う芯に、真子は呆れながらも微笑んでいた。
「もぉ。欠席したら、お父様が怒るでしょぉ」
「心得てますよ」
芯の言葉に、真子はふくれっ面。
「それで、お嬢様」
真子に呼びかけながら、芯は膨らんでいる真子の頬を突っついていた。
「なぁに?」
「先程の続きですが…」
と勉強の話へと入っていく……。
廊下に居る政樹は、ソファに腰を掛け、背中にある窓にもたれながら、外を見上げていた。
なんで、俺が睨まれてるんだよぉ。
初めましての男に、睨まれるような面なのかなぁ…。
そっか。ぺんこうって男は、一般市民だっけ。
そりゃ、お嬢様の事を考えていたら、睨むわなぁ。
政樹は大きく息を吐き、目を瞑った。
…兄貴……。
どうすれば…。
ふと、何かを感じ、その方へ目線を移した。 廊下の先。 そこには、地島の姿があった。
兄貴、ここは危険です。
政樹は目で訴えるが、地島が顎で
こっちに来い。
と指示を出してきた。 政樹は、軽く息を吐いて立ち上がり、地島と一緒に人気のない場所へと移動した。
「兄貴、やはり作戦は…」
「情報を手に入れろ」
「情報?」
「阿山組の行動だ。娘を轢いた車くらい、割れるだろ」
「今、調べているはずです」
「……阿山が仕掛けてくるだろうな…」
「まさか、兄貴…わざと組の車を使ったんですか?」
政樹の言葉に、地島は不気味なまでに口元をつり上げて、
「その通りだ。全て計算通りだ。お前を襲えば、娘が出る。
その娘が怪我をする。その怪我を負わせたのが、俺達だと
判れば、阿山が行動に出るだろ?」
「……そう簡単に動きそうにありません」
「解ってる。だから、二段構えだ。政樹…」
地島は、政樹の耳元で、静かに何かを告げた。
政樹は真子の病室の前に戻ってきた。 病室からは、真子と芯の楽しそうな声が聞こえてくる。 政樹はため息を付いた。
地島に、嘘を付いている。
慶造に、砂山組の行動を全て話している政樹。その事を、政樹は地島に伝えないままだった。 なぜ、伝えないのか。 なぜ、嘘を付いているのか。 そして、 なぜ、慶造に全てを打ち明けたのか…。
政樹自身、自分が解らなくなっていく。
俺…何をしてるんだ? 何をしたいんだ?
政樹は頭を抱えて、前屈みになる。 その時、病室のドアが開いた。
「それではお嬢様、私は大学に戻ります」
「うん。ぺんこう、ありがとう。気をつけてね」
芯が帰るらしい。真子と芯の会話を聞いていた政樹は、
「お嬢様、私、お見送りいたしますので」
ドアの隙間から、ちらりと見えた真子に優しく告げた。
「うん。よろしく! 気をつけてね。ぺんこう、ありがと。
がんばってよ、絶対、先生になってね!」
「はい。お嬢様、お大事に」
芯は笑顔で真子に手を振り、真子も笑顔で手を振り返していた。 そっとドアを閉めた芯は、政樹に振り返る。
「玄関までお送りします」
政樹は、丁寧に告げた。しかし、
「いや、大丈夫ですから、気になさらずに」
芯が冷たく応えた。その眼差しが急に鋭くなった。
「あ、あの……」
芯の変貌に、流石の政樹も驚いていた。
確か、こいつ…一般市民…。 家庭教師で、教師を目指して大学に……。 なのに、なぜ、俺を睨んでくる??
「…地島…政樹と言ったっけ?」
「はい」
「お嬢様の世話係…か」
「そうです。…あの…」
政樹が何かを言おうとした時だった。
「お嬢様が哀しむようなことをしたら、俺が絶対に……、
お前を許さないからな。…覚悟しておけよ」
鋭い眼差しで政樹を睨む、 政樹は、一瞬怯んでしまった。
なぜ、俺が怯まなければならんのや?
そう思った途端、政樹は思わず反撃に出る。 同じように、芯を睨み上げ、
「俺に……何か…?」
静かに尋ねた。 しかし、芯は政樹を睨んだまま、何も応えず、すぅっと歩き始めた。
「おい、ぺんこう!」
政樹は思わず、そう呼んだ。 芯の歩みが停まる。そして、肩越しに目だけを向けてきた。
「てめぇに、そう呼ばれる筋合いはねぇ」
地を這うような声で言って、芯は去っていった。
政樹の背中を冷たい汗が伝っていく。
なんだよ、あの男は……。
完全に、喧嘩を売られてるよな。
それなら……買うしかねぇな…。
政樹は、グッと拳を握りしめた。
(2006.8.5 第八部 第二十一話 改訂版2014.12.12 UP)
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