第八部 『偽り編』
第二十三話 それは、実行される。
道病院・真子の病室。
桂守が、震える真子を抱きかかえて病室に入ってきた。二人の後を付いてきた看護婦は、
「あの…だから、あなたは…」
桂守のことを知らない看護婦が慌てたように声を掛ける。
「美穂さんの親戚の者ですよ」
「あっ、そ、そうでしたか。失礼しました」
「後は私が」
「お願いします。美穂先生を呼んできますから」
看護婦は病室を出て行った。
桂守は、真子をベッドに座らせる。そして、真子を見上げる感じでしゃがみ込んだ。
「お嬢様。大丈夫ですよ。だから顔を上げてください」
真子は首を横に振った。
「…どうされたんですか?」
真子が必死に何かを抑えている。桂守は、真子が抑えているものに凝視する。
赤い……光……。
桂守は、素早く、真子の左手を抑えた。 赤く光り、そして、爪が鋭く伸びている真子の左手。
「なぜ……?」
桂守は、ふと思い出す。
小島家で起こった能力の事件。 自分の傷を治した青い光の後に、現れた赤い光。 それは、栄三の体を傷つけた。 そして、その時、栄三の本当の思いを知った真子。 その時に現れた赤い光を、真子自身が停めた事。
体の傷は、青い光が…?
しかし、あれは、真北さんが抑え込んだはず。
……まさか、真北さんの本能に反応して??
桂守は、自分が押し込めている本能を醸し出した。 それは、言葉に現せないほど、途轍もなく恐ろしいもの。
これなら、赤い光も…。
桂守の思惑は当たった。 桂守の本能に反応したかのように、赤い光が消え、真子の手の爪も普通に戻った。 桂守は、息を整え、本能を隠す。 真子も安心したように息を吐いた。
「もう、大丈夫ですよ、お嬢様」
桂守の声に安心したのか、笑みを浮かべた。
「ありがとうございました」
「私も安心しました」
「……でも……」
「他に何か?」
「…凄かった」
「えっ?」
「桂守さんの…オーラ…」
「あっ、いや、その………すみません」
「凄く強くて……優しいんですね」
「ほへ?!??」
「だから、安心した」
「お嬢様…」
真子は、飛びっきりの笑顔を見せた。その笑顔に釣られるかのように、桂守も笑顔を見せた。
だから、安心した。
真子のこの言葉に含まれる意味は、この時、桂守自身、気付いていなかった。
手術を終えた美穂が、真子の病室に駆けつける。
「真子ちゃんっ!!」
「しぃぃっ」
真子は眠っていた。 美穂は、桂守の姿に気付き、そっとドアを閉め、歩み寄る。
「今、眠った所ですよ」
「そうですか。看護婦に親戚が真子ちゃんを…って聞いて、
隆ちゃんや私に親戚なんか居ないのに…もう、驚いたでしょうっ!」
「そう言った方が、看護婦も安心するかと思ったんですよ。
すみません。心配掛けました」
「それで一体…」
「赤い光が現れた事に気付いたから、抑えていたそうですよ」
「赤い……光って、あれは、真北さんが…」
「その真北さんがお嬢様の緊急事態に戻ってきて、そして、
ここに来たそうですね。それも、本能が抑えきれないまま、
お嬢様に会ったそうですよ」
「まさか、それに反応して…」
「青い光が傷を治して、そして、赤い光が現れた」
静かに語る桂守。美穂は、そっと真子を診察した。
「治ってる……」
真子の体に残っていた打ち身の傷は、綺麗に消えていた。
「もしかして、真北さんが掛けた術の効力は…」
「真北さんの本能で、無くなった可能性がありますね」
「それだと…」
「大丈夫でしょう。お嬢様が御自身で抑えていたので」
美穂は深く考え込む。
「美穂さん?」
「もしかして…能力を操ることが出来るようになった…とか…」
「……まさか…」
二人は、深刻な表情で、真子を見つめた。 そんな二人の想いに気付いているのかいないのか、真子は、穏やかな表情で眠っていた。
政樹は徒歩で、道病院へとやって来る。
「あちぃぃぃ…」
もう秋が来ても良さそうなのに、残暑厳しいこの時期。 道病院の前にある日陰に立ち止まり、汗を拭く。 目の前を一台のワゴン車が通っていった。そのワゴン車は、少し離れた場所に停まる。そして、男が一人降りてきた。 政樹は、視野に入ってきた男の姿に振り返る。
「兄貴……」
地島だった。
「まさか、お嬢様を?」
「あぁ。お前が病院を出て行ったと耳にしてな、それで、
お嬢さんを迎えに来てあげただけだ」
「…………あの時、阿山慶造を直接狙うようにと
私がお願いしたではありませんか!」
「だから、その為の囮だろが」
「兄貴っ!」
「…それと、あの真北が戻ってきたんだろう?
すでに、お前の素性もばれたんじゃないのか?」
「そうですが…」
「それなら、先手を打つしかないな」
地島の言葉に、政樹の表情が強ばった。
「政樹っ」
地島の呼び方に、政樹は思わず首を縮めた。
「本来の目的を忘れたのか?」
「忘れてません」
「それ程までに、惚れた女を守りたいのか?」
「…惚れた…?」
「お前の行動、口調、そして、思いくらいは、解ってる。
あのガキに惚れたんだろが」
「相手は、小学六年生ですよ? どうして、そんな子供に…」
「年齢とは関係なく、相手は大人びてる…お前が言っただろ?」
「そうですが、でも、惚れたというのは…」
政樹は首を傾げた。
「まぁいい。で、連れ出せるのか?」
地島が尋ねる。すると、政樹は目を反らす。 その政樹の顎に、手が伸びた。
「俺の目を見ろよ。…教えたよなぁ」
「は、はい」
政樹は、ゆっくりと地島に目を向けた。 地島は、不気味なまでに微笑んでいた。 その笑みこそ、作戦開始の合図。 政樹は、それには逆らえなかった。
「御意…」
そう応えるしかない政樹は、地島に手を離された途端、病院に向かって歩き出す。 その足取りは重たかった。
地島は車に戻り、そして、組事務所に連絡を入れる。
「準備しとけ」
電話を切った地島は、政樹が向かった方向を見つめ、
「阿山慶造…待っとれやぁ…直ぐに、楽にしてやるからな」
そう呟いた。
真子の病室。 桂守は、フッと顔を上げ、窓を開けた。
「って、桂守さん?」
「そろそろお世話係が戻ってくるでしょう。
私は、真北さんへ伝えてきます」
「真子ちゃんの事を?」
「能力の事、そして、真北さん自身の本能を…。
では、これで」
短く言って、桂守は窓から外へ飛び出した。 そして、直ぐに姿が消える。 見慣れている美穂は、驚く素振りを見せず、そっと窓を閉めるだけだった。
ドアがノックされた。
政樹が、そっと入ってくる。
「美穂さん」
「歩いて戻ってきたの?」
「え、えぇ」
「汗掻いてるわよ」
そう言って、美穂は政樹の汗を自分のハンカチで拭いてあげた。
「お嬢様は?」
「今、眠った所だから、暫くは起こさないでね」
「はい」
「では、私は仕事に戻るから、後は宜しくぅ〜」
「はっ。お疲れ様です」
美穂は出て行った。 暫く立ちつくす政樹は、真子に振り返る。
作戦…開始…か。
政樹は大きく息を吐いた。そして、真子の側に座る。
「!!! お嬢様」
真子が目を覚まし、政樹の袖を引っ張った。
「…何もされなかった?」
「えっ?」
「まきたんに……怒られなかった?」
「ど、どうして…ですか?」
「私の怪我のことで…」
そう言えば、お嬢様の危機に対しては、 誰彼構わず怒りを見せると言ってたよな…。
そう思いながらも、政樹は、
「大丈夫でしたよ。お嬢様のお話をたくさん聞きました」
笑顔で応えていた。
「私の話?」
「えぇ」
「どんなお話?」
「それは、秘密です」
政樹の言葉に、真子はふくれっ面。
政樹の言った事は本当だった。
勝司運転の車で本部に向かう間、後部座席に座った春樹と慶造は、そっぽを向いたままだった。 しかし、春樹は、助手席に座る政樹に顔を近づけ、
「真子ちゃん、無茶なこと言ってへんか?」
と尋ねてきた。 驚いた政樹は、
「何も…。お嬢様は、何もかも御自分で行いますので
私は、お世話をするというよりも、ただ、お嬢様に
付いているだけです。決して、無茶なことはなさいません」
「そうか。それなら安心やけど」
そう言った途端、春樹は、ニッコリと微笑んだ。
「あの…真北さん…」
真北の笑顔が気になったのか、政樹は思わず名前を呼んだ。
「お前が無事で、真子ちゃんも安心してるよ」
「お嬢様が?」
「あぁ、それが、真子ちゃんだからさ」
春樹は、座り直した。
「真子ちゃんはなぁ……」
と、春樹は真子の話をし始める。 政樹は、春樹の話に相づちを打ちながら、聞いていた。 時々、慶造が素っ気ない横やりを入れてきた。 その絶妙なやり取りに、政樹は自分が極道だと言うことを忘れてしまう。 まるで、漫才を観ているような、そんな気分だった。
「まさちん?」
真子に呼ばれて、我に返る。
「あっ、すみません……っと、ゲームは?」
テーブルの上にあったボードゲームが無いことに気付き、政樹が尋ねた。
「もう必要ないと思って、返してきたけど…駄目だった?」
ちょこんと首を傾げる真子に、政樹はドキッとする。
「いいえ、その……入院生活がたいくつに…」
「お勉強しないと…遅れを取るから…」
真子が体を起こして、ランドセルに手を伸ばす。 政樹は素早くランドセルを手に取り、真子に渡した。
「お勉強は、暫く、お休みした方がよろしいですよ」
「どうして?」
「折角のお休みなんですから」
「休みは終わったばかりなのにぃ」
そう言いながら、真子は教科書を取りだした。
「駄目ですよ、お嬢様」
政樹は教科書を取り上げた。
「まさちん??」
「寝ていないと、傷は治りませんよ」
「もう大丈夫なのに?」
「はい」
「…………たいくつ………」
「それでも、寝ていてください」
「……やだ」
「お嬢様ぁ」
そのやり取りは、いつも本部で観られる光景だった。 政樹の言う事に、真子は絶対に、すぐに首を縦に振らない。 それは、政樹の困った表情を見たい真子の気持ちの現れでもあった。 更に、もう一つ……。
「それでしたら、どこかに出掛けましょうか?」
政樹が、この言葉を言うのを待っていた。 だけど、今は…。
「……まさちん」
真子が静かに呼ぶ。
「なんでしょうか」
政樹は静かに返事をした。
「…さっき言った事と…矛盾してるよ…」
「あっ………」
真子に指摘され、政樹は自分の言動の矛盾に気が付いた。
政樹は、焦っていた。
地島が、病院の外で待っている…。 真子を連れ出してくる自分を……。
政樹は、美穂の事務室へとやって来た。 美穂に、真子の事を尋ねるために。
「…起きても大丈夫だけど、やっぱり、大事を取りたいんだけどなぁ」
「ほんの数時間の間に、お嬢様の雰囲気が変わりました」
あら、解るのかな?
「そう?」
「はい。力が漲っているように思えます」
「だから、何処かに行きたいって?」
「はい」
「真子ちゃん、勉強したいって言ってなかった?」
「仰ってました。しかし、入院してる間は、くつろいでもらいたい。
だから、私は…」
「慶造くんの許可も要るけど……」
「組長には、こちらに戻る際、許可いただきました」
「あら、そうなの? …私の意見も無しに……慶造くんはぁ…」
美穂のこめかみが、ピク付いた。 思わず身構える政樹。
「実は退院許可を出そうかなぁと思っていた所なんだけど、
真子ちゃんとまさちんを狙った相手が解らないから、
また狙われる可能性もあるし……もう少し、居て欲しいなぁ」
「そうですか…」
政樹は、肩の力を落としてしまう。
「もう暫くは、外出禁止」
「かしこまりました」
肩の力を落としたまま、政樹は美穂の事務室を出て行った。
「ふぅ〜〜」
美穂はため息を付く。
ったく…。まさちんには、青い光の事は内緒なんだから〜。
どう伝えたら、いいんよぉ、もうっ。
ふくれっ面になった。
政樹は、真子の病室に戻ってきた。
「ただいま戻りました」
そう言って、真子を見た政樹。
わっ、その眼差しは…その……お嬢様…。
真子の眼差しは、爛々と輝いていた。 期待に満ちた眼差し。
何を期待してるのかな…。
そう思った政樹は、
「どうされました?」
そっと尋ねた。
「あのね、ここ……教えて!」
真子が指さした所。そこは、参考書の中……。
「あの、お嬢様」
「はい」
「それは、まだ早いはずですが…」
「えっ?」
「小学生は、まだ、習いません…」
「……そ、そうなの?????」
真子は驚いたように声を挙げた。
「それよりも、お嬢様」
政樹は話を切り替えた。
「お散歩に出ませんか?」
「いいのかなぁ」
「お医者さんの許可もいただきましたよ」
政樹は、嘘を付く。
「そろそろ退院に向けての準備が必要だと」
これは、本当だった。
「体力を付けるために、少し、散歩しましょう」
政樹が促すと、
「ふ〜ん。…じゃぁ…遊園地がいいな」
真子は参考書を閉じながら、嬉しそうに応えた。
「…いや、遊園地は、まだ…」
「だって、体力作りぃ」
「…には、なりません」
「どうして??」
「ジェットコースターなどは、体に負担が掛かります」
「それでも、遊園地がいい!」
真子は、政樹に媚びるような眼差しを向けた。
うっ、そ、その…お嬢様……それは…。
政樹は、真子を真っ直ぐ見ることが出来ない。 嬉しそうな表情を見るのに耐えられないだけでなく、真子に嘘を付いていることが、そうさせていた。
でも、外では…。
政樹は、なぜか、葛藤していた。 本部で春樹と慶造が話していた。その時は、本来の自分が現れた。 しかし、真子を目の前にした途端、『まさちん』に戻っていた。 兄貴である地島に連れてこいと言われた。 実行できると思った。 なのに、なぜか、真子を連れ出せない。 口では、出掛けようと言ってるのに、なぜなのか。
「まさちん?」
「あっ、はい」
「何処に連れてってくれるの?」
真子の頭の中は、散歩ではなく、ドライブになっている様子。
「散歩ですよ?」
「だって、何処かに出掛けるんでしょう?」
「どうして…ですか?」
「まさちん…考え込んでるもん。散歩なら、悩むことないでしょう?
病院のお庭なんだから……ねぇ、何処に行くの?」
「そ、その…」
どう応えて良いのか悩む政樹。しかし、真子は既に出掛ける準備を終えている。
「行ってからのお楽しみということで」
そう応えるしかなかった。
政樹は真子を連れて、ナースステーションとは反対側の廊下を歩いていく。 そこは、人の行き来が少ない場所であり、人目にも付きにくい場所だった。
許可…取ったって言ったのに…。
政樹の行動に疑問を抱く真子は、政樹を見上げた。 なぜか、慌てたような表情をしている。 頬に汗が伝っていた。 そして、辺りの様子をいつも以上に気にしている。
まさちん??
政樹の行動を不思議に思いながらも、真子は政樹に付いていく。 外に出た。 その途端、政樹は真子の手を引っ張って、早足になる。
兄貴の車……確か、そこだったよな。
政樹は、病院の裏口から抜け出した。 あまりにも慌てた様子の政樹に、
「まさちん、そんなに急いでどこ行くの?」
真子は尋ねた。
「そ、外に、私の友人が待っているんです。その友人がお嬢様と
お逢いしたいと言ってるので」
政樹の言葉は、落ち着きを失っていた。
ワゴン車の側で待機していた地島は、政樹が病院の建物から一人の少女と一緒に出てきた事に気が付いた。政樹は、その少女の手を強引に引っ張って、早足で近づいてくる。
政樹…お前…やっぱり、反対なんだな。
地島の姿に気付かずに、ワゴン車に近づいて来る。 あまりにも政樹らしくない行動に、地島は、二人の側に歩み寄る。 二人は何かを語り合っている様子。
って、俺は友達かよ。
政樹の声が聞こえていた。
「まさちんのお友達? どんな人だろう」
真子が興味津々に尋ねた。 その言葉を耳にした地島は、口元をつり上げた。
「こんな奴だけどな」
その声に驚いたように真子と政樹が振り返る。 真子は目を見開いて驚いていた。
この人…確か……まさちんの兄貴って人…。
そして……。
真子の体が強ばった事に、政樹は気付いた。 地島は懐に手を入れ、銃を取りだし、真子に向けた。
「……まさちん……」
真子は、政樹の身の危険を感じたのか、政樹の前に立ちはだかった。
「…私を狙ってるのなら、私だけにして…。この人は…」
「この人は?」
「関係ないの。…だから……もう、狙わないで!」
「それなら、少々、お付き合いしてもらいましょうかねぇ」
地島は銃口を政樹に向けた。
「だ、駄目っ!!」
真子は地島の腕にしがみつく。 突然の行動に驚く地島だが、真子を後ろ手にして、体を抱きかかえた。
「兄貴っ! お嬢様には手を出さないと…」
「兄貴?」
真子が呟くように言った。
「あっ…」
「まさちん……この人が…兄貴って?」
「お嬢さん、そういう事…なんですよ。政樹は、俺の弟分。
そして、阿山慶造の命を狙うために、阿山組に入った男だ」
「……それなら、どうして、まさちんを…あの時、轢こうとしたの??」
真子が力強く尋ねてきた。
「……威勢がよいな、お嬢ちゃん。…流石、阿山慶造の娘だな。
こういう状況でも、大切なお世話係を守ろうとする…そして、
銃を向けられても、怯まないとは……長年、この世界で
生きている俺でも、震え上がるけどな」
「まさちん……」
「政樹、乗れ。行くぞ」
真子の呼びかけよりも、兄貴である地島の呼びかけに応える政樹。
「はい」
側にあるワゴン車に乗り込んだ。地島は真子を抱きかかえて、ワゴン車に乗り込む。そして、座席に真子を俯せに寝かせ、後ろ手に縛り上げた。 政樹を見つめる真子。 その目は何かを訴えていた。
「悪いなぁ、お嬢ちゃん」
そう言いながら、真子の足も縛る地島。
「まさちん………」
真子の呼びかけに、応える素振りを見せない政樹。 真子から目を反らす、その雰囲気こそ、砂山組の北島政樹だった。
戻ったか…。
政樹のオーラに気付いた地島は、フッと息を吐く。
「さぁてと。阿山慶造は、どう出るかなぁ」
真子に聞かせるかのように、呟いた地島。しかし、真子は、政樹を見つめたままだった。 地島の言葉は耳に入っていない。 ただ、政樹のオーラの変化に驚き、聞こえてきた心の声に、驚いていた。
まさちん………ごめんなさい…………。
真子は唇を噛みしめた。
「!!! な、なんだっ!!」
地島が急に声を挙げた。 なんと、真子が暴れ始めたのだった。
「暴れるなっ!」
地島が怒鳴りつける。しかし、それに恐れることなく、真子は体を動かしていた。 地島が真子を抑え付ける。そして、後頭部に銃を突きつけた。 その手を掴まれる。 政樹だった。
政樹…てめぇ…。
地島が政樹を睨み上げた。それに怯まず、政樹は地島を見つめ、
それだけは、やめてください。
訴える。 しかし、地島の眼差しは、変化を見せず、冷酷なものを醸し出すだけだった。 政樹は、そっと手を離す。 すると、地島は、口元をつりあげた。
「暴れると、頭に穴が空くぞ……その姿で阿山慶造に
逢いたいなら、暴れても構わないが……」
「お父様に…手を出さないで……」
「それが、俺達の作戦なんだよ」
「作戦?」
「お嬢ちゃんに近づいて、こうして、連れ出して、阿山を狙う。
そういう段取りになってるんでね。…政樹が、あんたの
お世話係になった、その日から」
「………まさちん……どうして?」
真子が訴えるように言った。
「お嬢ちゃんの前に居た、その『まさちん』は、偽りの姿だ。
今、あんたも感じてるだろ? 冷酷なオーラを。それが、
政樹の本来の姿だ」
「……偽り?」
「素性がばれないように、何も出来ない男を装っていただけだ」
地島の言葉に、真子は何も言えなくなった。 真子が震えた。
地島の心の声を聞いてしまった。
阿山組全滅だ。 弱点は、この娘だということは、解ってるさ。
真子は政樹の心の声に、耳を傾けた。
何も……聞こえない……。
政樹の心の声が聞こえてこなかった。 真子の側に居る時は、真子のことばかり考えていた、政樹の心の声。
これが、北島政樹の本来の姿……なの??
心に声が無い。 その奥底に何かを感じるが、それが何なのか、真子には解らない。 ただ、その政樹の心の奥底に感じるものに触れてはいけない気がしていた。 それに触れると、何もかも失いそうに思える。 真子は、ギュッと目を瞑った。
まさちん………まさちん……!!!
心で強く呼んだ真子。 その時、遠くに何かの声が聞こえた。
真子が静かになった事で、政樹は、ちらりと真子を見た。
!!!!
俯せになり、真子の顔は正面から見えない。しかし、少しだけ横顔が見えた。 目尻から、涙が流れ、車の床に落ちる。
お嬢様………もう少し、我慢してください。
政樹の心の声は、すでに、真子に聞こえていなかった。
美穂が、真子の病室にやって来た。
「真子ちゃぁん、退院許可………」
ベッドはもぬけの殻。更に、病室には誰も居ない。
「抜け出した…?」
美穂は慌てたように窓の外を見る。 下に見えるのは、病院にある庭。しかし、そこには、他の患者と見舞客の姿しかない。 駐車場が見える場所へと移動して、窓から外を見つめる。 政樹の車は停まっている。
一体……どこに???
美穂は、ちょっぴり焦った。
「まさか……」
その『まさか』は、的中した。
(2006.8.12 第八部 第二十三話 改訂版2014.12.12 UP)
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