第八部 『偽り編』
第二十四話 偽りの代償
一台のワゴン車が、町はずれへと向かって走っていた。
「大人しくなったか…」
地島が呟くように言って、座席に俯せで寝転んでいる女の子・真子に目をやった。 真子は、泣いていた。 浚われた怖さからなのか? それとも、これから起こる出来事を想像して…? 窓の外を眺めていた政樹が、ちらりと真子に目を向けた。 真子の涙が床に落ち、そこが水たまりのようになっていた。 何も言えず、政樹は、再び窓の外を眺めていた。
阿山組本部。
縁側に、慶造の姿があった。もちろん、少し離れた所に、春樹の姿もある。 二人は深刻な表情をして、木の陰に立つ男と話し込んでいた。
「……だから、言わんこっちゃねぇ」
項垂れる慶造は、そのまま春樹を睨み上げた。
「俺のせいかよっ」
「お前なぁ、術を掛けた相手の術が解けるような
オーラを醸し出すなよなぁ」
「それは知らんわい。そうなるとは思わなかったぞ。
…もしかしたら、術の効力は既に消えていたかもな。
駐車場で襲われた時か、お前が北島を道場に連れ出した時か」
「どっちにしろ、あの日に消えた可能性があるのか…。
参ったなぁ。……真北、もっと強くしてくれ」
「できん」
「解ってるだろが。もし、北島が襲われてみろ。真子に能力が
戻ったとしたら、使ってしまうだろ?」
「そうとは限らん」
「それでもなぁ」
と言い合いが激しくなっていきそうな雰囲気の中、
「あの…それよりも、砂山組の動きの方を探られた方が…」
木陰に身を潜める男が、そっと声を掛けた。
「真子の方が大事だっ」
「真子ちゃんの方が、大事でしょう!!」
慶造と春樹は、同時に叫ぶ。
「お二人とも、お静かに」
「はっ…すみません、桂守さん…」
木陰にいる男・桂守は、真子のことを伝えに、阿山組の縁側に舞い降りたのだった。 縁側で、静かに言い合う二人のオーラに反応して……。 桂守は、フゥッと息を吐き、
「兎に角、しばらくの間は、お嬢様は病室に居ることになりましたので、
その間に、作戦をお願いします。私は、砂山組の動きを調べて…!!
失礼します」
人の気配に気付き、桂守は木の上に飛び移った。 人の足音に振り返る慶造と春樹。そこには、組員が息を切らして立っていた。
「四代目、美穂さんからの連絡で、お嬢様と地島の姿が
病室から消えたそうです」
「消えた? 地島も一緒にか?」
「はい。その病院の側に、見知らぬワゴン車が停まっていて、
そこに二人の男と、一人の少女が乗り込んだという情報が
あるそうです」
その言葉に、慶造と春樹の背中に冷たい物が伝っていく。
「………まさか……」
慶造が呟く。
「車の所有者は?」
「解りません」
「ったく…ナンバーは?」
「目撃者は、うろ覚えですが、ナンバーは…」
組員は、目撃情報にあったワゴン車のナンバーを春樹に伝えた。 春樹の頭の中で、その数字がめくられていく。 何かにヒットしたのか、春樹の表情が急変した。
「砂山組……地島の野郎……」
そう言って、春樹が駆けだした。
「真北っ!! おいっ、誰か、真北を停めろっ!!」
慶造の声が本部内に響く。
『私が』
木の上で様子を伺っていた桂守が、慶造に告げた。そして、木の葉を揺らして、気配が消えた。
「…くそっ……」
真子…無事で居てくれ。
慶造は唇を噛みしめた。
春樹は、本部の駐車場から車をふんだくり、猛スピードで本部を飛び出していった。 タイヤのきしむ音が遠ざかる。 その車に向かって駆けていく桂守。
スピード違反ですよぉ、真北さぁん。 本能のまま…動いてるな…。 これは、立場を越えてしまってる!!
春樹のオーラがいつもと違っている。隆栄と和輝から聞いたオーラと同じもの、いや、それ以上の恐ろしいまでのオーラが、猛スピードで走っていく車から発せられていた。 桂守のスピードが上がる。 車のスピードも上がった。
このままじゃ、無理だ…。
桂守は、車が向かうと思われる方向を察し、そこへ先回り。 予感的中。 桂守は、先回りして、地面に舞い降りた。 しかし、車はスピードを落とす気配を見せない。それよりも、桂守に向かってスピードを上げてくる!!
って、真北さぁんっ!!
桂守は、舞い上がる。そして、車の屋根の上に上手い具合に着地した。 フロントガラス越しに、春樹を見下ろした。
「真北さん!! 今は動かないでくださいっ!」
その声は、春樹に聞こえている。
「じゃかましっ! 真子ちゃんが拉致されて、慶造の命を
狙ってるというのに、俺が動かなくてどうするっ!」
「それでも、今は抑えてくださいっ! そうでないと……、
私が………」
そう言った桂守は、猛スピードで走る車の屋根の上から、ボンネットへと軽々移動した。 通常なら出来ない動きだが、桂守だから出来る動き。 そうなると、運転手が桂守を振り落とそうと蛇行運転をしても無駄。 桂守は、ボンネットから、動きもしない。 春樹の視野に、桂守の動きが入っていた。 桂守は武器を手に、口元を不気味につり上げている。 その表情と醸し出されるオーラに、春樹が反応した。
「!!!!!! げっ! 解ったっ!! 解りましたから、停めます、
停まりますから、それだけは、やめて下さぁぁ〜い〜っ!!!」
叫びながら、ブレーキを踏んだ。
車は停まった。
春樹は思わずハンドルに顔を埋め、自分の頭を抱えた。
やばいっ!
そう思ったが、何も起こらない。 静かに助手席のドアが開いた。
「ったく、あなたという人は、立場を越える事だけは、
避けた方がよろしいですよ」
にこやかに話す桂守に、春樹は腕の隙間から目をやった。
「オーラの変化が早すぎますよ」
春樹は、姿勢を戻した。
「おや? あなたこそ、殺げるのが早すぎますね」
「嫌味ですか?」
「えぇ」
そう言いながら、助手席に座った桂守は、静かに語り出した。 春樹はアクセルを踏む。
「北島政樹の思いを知っているお嬢様が、連れ去られた。
これは、相手の作戦に乗るためでもあるのでは?」
「…解ってる。真子ちゃんなら、そうしそうなことは。それに、
あの北島が、真子ちゃんと地島の間で葛藤してるのもな」
春樹が静かに応えた。
「恐らく、そうでしょう。目の前にすると、噂の男と
違っていましたからね」
「本来の姿は、どれなのか、俺の情報の通りなのか、
真子ちゃんの前の姿なのか……俺にも解らん」
「それなら、どうして、お嬢様から引き離さなかったんですか?」
「真子ちゃんの笑顔を取り上げそうな感じでな…」
春樹の言葉に、桂守も納得したような表情をした。
「……お嬢様から離れなければ良かった……」
桂守が静かに言った。
「それは、俺の方だ。……本能のままで側に居たら、
真子ちゃんに影響するかと思ったんだが…」
「お側に居られた方が、納まった可能性もありましたね」
「そうだな。……でも、更に強くなったのは確かだが…」
「そうですね。もう少しで、死ぬかと思いましたよ」
「……それは、申し訳ありませんでした……」
恐縮そうに、春樹が言った。
阿山組本部に、春樹の車が戻ってきた。 助手席に座っていた桂守は、既に別の場所に移動していた。 春樹の車が玄関に停まる。
「何か連絡あったのか?」
春樹を迎え出た組員に尋ねる。
「いいえ、何も。今は、ワゴン車の行方を追っております」
「そうか。…慶造は、動いてないよな」
「はい」
「ありがとう」
春樹は、慶造の部屋に向かっていく。
「……準備に入ってる…とは、言えなかったよ……」
組員が呟いた。
春樹は慶造の部屋に入っていった。 居ない。
何処だよ…。
気を集中させると、とある場所から発せられる異様なオーラに気が付いた。 春樹の足は、自然とそこへと向かっていく。
行き止まり。 しかし、春樹は慣れた感じで柱に隠されているスイッチを押す。目の前の壁が開き、奥に続く道が現れた。 春樹は、そのまま中へと入っていく。 感じていた異様なオーラが、段々と強くなっていく。 そして、目の前の扉を勢い良く開けた。
中にいた男達が、一斉に振り返った。
「真北……」
「慶造、どういうことだ? まさか、殺り合うつもりじゃ…?」
「真子に、もしもの事が遭ったら…の準備だが」
「…………俺にも、貸せや…」
春樹の言葉に、ざわめきが起こる。 ここは、阿山組本部の奥にある隠し射撃場。 厚木総会が用意した最新鋭の銃器類が揃っている。 そこで準備をしているということは、抗争を始めることと等しい。 本来なら、このような行動は、春樹が慶造を殴ってまで阻止するはずなのに、春樹から、驚く言葉が発せられた。 慶造は春樹の言葉に驚きながらも、側にある銃器類を見せた。
「お前の腕は知ってる。…だが、いいのか?」
慶造が尋ねた。
「この際は、構わん。それに……」
春樹が慶造にだけしか聞こえない声で言った。 慶造は、フッと笑う。
「立場を失っても、ここがあるから、安心しろ」
春樹の耳元で告げた慶造は、組員達に目をやり、指示を出す。 春樹は、目の前の銃器類の中から二つ選び、自分の体に装着し始める。
慣れた感じで身に付ける春樹を見ていた組員達は、動きが停まった。
やはり、元刑事……。
銃器類を身に付けた、その雰囲気こそ、この場に居る誰もが嫌う、刑事そのものだったのだ。 記憶を失っていても、身に付いたものは失われていない。 誰もが、そう思っていた。
真子ちゃん。大丈夫だから。 決して、無茶はするなよ。
春樹の思いは、真子に届くのだろうか………。
ワゴン車が、とある敷地内に停まった。ドアが開き、地島が真子を小脇に抱きかかえて降りてきた。続いて、政樹も降りてくる。そのまま、敷地内にある建物へと入っていった。
真子の体がソファに放り投げられる。
「今の小学生は、発育が早いんだな」
地島は、そう呟いて、真子とは反対側のソファに腰を掛けた。 政樹が地島にお茶を差し出す。
「久しぶりだな、お前の茶を飲むのも」
「恐れ入ります」
地島は、湯飲みに手を伸ばしながら、少し離れた場所に居る組員に声を掛けた。
「連絡は入れたのか?」
「動きを確認してからにしろと、親分が仰いましたので、
まだ、しておりません」
「そぉか。まぁ、そろそろ阿山組の連中も気付くだろうな。
あれだけ、目撃されるように動いてきたんだ。情報通の
阿山組なら、準備に入ってる頃だろな」
そう言って、地島はお茶を一口飲む。そして、真子にちらりと目線を移した。 後ろ手に縛られた手を動かしている。
「お嬢ちゃんの力じゃ無理だよ」
地島の言葉に、真子が顔を上げた。 その眼差しは、とても鋭く、小学生の女の子とは思えない。
「ふん…政樹の言うとおり、一筋縄では無理なようだな」
地島は立ち上がり、真子の側に腰を下ろした。そして、真子の顎に手を掛ける。
「もう少し、早く生まれていたら、政樹に手を付けられてただろうな」
その言葉を聞いた途端、政樹の表情が曇る。
「…っ!!! このガキ…っ!」
地島は、真子に手を噛まれてしまった。思わず、真子の腹部に拳を入れてしまう。
「おいおい地島ぁ、そんなガキ相手に本気になるな」
「親分っ!」
地島は慌てて立ち上がる。政樹は一礼していた。そして、お茶を煎れ始める。
「お嬢ちゃん、痛かっただろう?」
砂山がソファの背もたれ越しに、真子を見下ろした。 真子は居たがる素振りも見せず、砂山を睨み上げる。
「ほぉぅ! 血筋だな…その眼差し。…その奥に秘められる
狂気は…恐らく、阿山慶造と同じなんだろうな……。…で?」
地島に目で語る砂山。
この娘も一緒に葬るのか?
その目は、そう語っていた。
「そのつもりですよ」
「そうか」
砂山は、地島の耳元に顔を近づけた。
…それは、政樹にさせろ。
その言葉に、地島は不気味に口元をつり上げた。 政樹が、砂山の前にお茶を置く。
「政樹の茶…か。久しぶりだな」
砂山も同じように口にした。
まさちん……。
真子は、ソファに顔を埋める。 真子が少し動いた事で、政樹は反応した。 そして、冷たい眼差しを真子に向ける。
「さてと。そろそろ連絡でもしましょうかねぇ」
これから、楽しみがあるというような表情をして手を差しだした。 その手に、組員が受話器を手渡す。 受話器の向こうから、怒鳴り声が聞こえてきた。
「阿山組…でっか」
『そうだが…お前は誰だ?』
「砂山と申します。すでに御存知かと思いますが、
お嬢さんをお預かりしておりまして。無事に返して
欲しければ、四代目お一人で、来てもらいましょうかねぇ。
一時間あれば、こちらに到着するでしょうね。待ってますよ」
そう言って電話を切った。そして、テーブルの上に置く。 立ち上がった砂山は、がらりとオーラを変えた。
「てめぇら、迎える準備をせぇ。作戦通りだ」
「御意っ!」
組員達の声が建物に響き渡った。そして、忙しく動き始める。
「親分、阿山一人に全員を向ける必要はありませんよ」
「お前は知らんだろうな。…まぁ、向こうに居たから
仕方ないか。…阿山ちさとの事件の後、阿山が一人で
相手の黒崎組に乗り込んで、何をしたと思う?」
えっ? …お父様……。
砂山の言葉は真子の耳に届いていた。
「一人で乗り込んだ?」
「あぁ。二丁拳銃で組員を倒し、そして、あの黒崎四代目を
引退させたんだぞ。…その後の黒崎組の動きは、お前の
知っての通りだが」
「えぇ。存じてます」
「更に、四代目を継ぐ事件があった時も…そうだったらしいな。
あの小島と猪熊が大怪我を負って、やっと停めたくらいだ」
「……だからと言って、組員総出で…」
「娘の命の為なら、手は出さないだろうな…くっくっくっく……」
勝利が見えているのか、砂山は笑い出した。
私のせいで…また……。
真子の目から、涙が溢れた。 その真子を政樹は横目で見ていた。
「政樹」
「はい」
地島に呼ばれ、政樹は歩み寄る。 地島は、政樹に何かを告げていた。
阿山組本部。 慶造が一人で出掛けようと玄関までやって来る。
「四代目っ!」
組員達が総出で慶造を引き留める。しかし、慶造は、組員達をはね除けて、一人で出掛ける準備を始めた。 靴を履き、外に出た途端、目の前に組員が立ちはだかる。
「どけっ!」
「駄目です!!」
「…これは、命令だ…」
静かに言う慶造だが、組員は、慶造の言葉に従おうとしない。
「どけと言ってるだろがっ!」
「駄目です!」
「てめぇぇるるらぁぁぁ……」
慶造の拳が震え出す。それでも組員は動こうとしなかった。
「こいつらの気持ちも察してください」
その声に顔を上げると、組員の後ろから、修司と隆栄が姿を現した。
「猪熊…小島……」
「四代目お一人で、壊滅させるのは容易いことですが、
お嬢様を前にして、いつもの行動は出来ないでしょう?
向こうも構えているはずです。ですから、私たちも」
「てめぇらに怪我はさせられん」
「お嬢様は、我々にとっても大切な方なんですよっ!」
修司……。
「四代目のお気持ちも解ります。ですが、こいつらの
思いも理解してやって欲しい」
「四代目!!」
組員達は、声を揃えて慶造を呼んだ。
「………猪熊、小島…」
「はっ」
「はいなぁ」
「…お前らは、ここで待機しておけ」
慶造は二人に、冷たく告げた。そして、組員達を見つめ、
「真子が監禁されている場所を詳細に調べろ。無駄足は踏みたくない」
静かに命令した。
「すぐに…片を付けるぞ、解ったな」
「御意っ!!」
屋敷内に響き渡るほどの声。 組員達のやる気が伝わってきた。
「三十分以内に調べろ。そして、準備にかかれ」
「はっ!」
修司の言葉に、誰もが機敏に動き始めた。 慶造は、組員達の動きを見つめていた。 修司が慶造に歩み寄り、にやりと笑みを浮かべた。 フッと息を吐く慶造に、
「次は、一人で行かせないと…言っただろ?」
修司が呟くように言った。
「修司……」
「こういう時の為に、鍛えていたんだからな。それに、
俺の言葉なしでも、あいつらは、そのつもりだからさ。
信じてくれよ」
「…お前は来るなよ」
「解ってる。……でも…本当なら、付いていくんだがな」
そう言って、別の場所に目をやる修司。慶造も釣られるように目をやった。 そこには、春樹が慶造を睨んで立っていた。
「停められた…か」
慶造が呟いた。
「あぁ」
「……あいつを停めるのは、誰だよ」
「状況によるが、…自分で歯止めが効くそうだ」
「…それだけは、信じられないな…」
慶造が呆れたように言うと、
「俺もだけどな」
修司も言った。
「勝司も……置いていく」
「慶造ぅ、山中が大人しく待ってる質か?」
「俺の言葉には忠実だろが」
「お嬢様が絡んでるというのに?」
「だからだ。……真子だけは無事に戻ってくる。…あいつが
そうするだろうからさ」
その言葉に、修司は怒りを覚えた。 急に慶造の胸ぐらを掴み上げる。
「そのつもりなら…俺が付いていくぞ」
そのつもり。 それは、真子だけ助けて、自分は、相手の銃弾に倒れるという意味。 慶造が突然吐いた弱音に、修司は驚いていた。
「もう、真子を巻き込みたくないだけだ」
その言葉に、修司は、慶造が自分の思いとは違う思いを抱いていた事を悟る。
「……真北さんのお世話にだけはなるな」
「それは、解らん」
「慶造……」
「その為の準備も…必要…だろ?」
修司は、慶造の眼差しの奥に隠されたものに気付く。
ったく、こいつは…。
「俺は、ここから動かない。だから、絶対に……戻ってこいよ」
修司の言葉に揺らぎはない。 そして、その言葉は、心の迷いを消し去るものでもある。 慶造は、笑みを浮かべ、
「あぁ」
静かに応えて、春樹に歩み寄っていった。 春樹と話し込む慶造を見つめながら、修司と隆栄が話し始めた。
「どっちが歯止め効かんと思う?」
隆栄が楽しむように口にした。
「…小島ぁ、これは賭け事と違うんだぞ。…下手したら…」
「続き…あるんだけどなぁ」
何かを企んでいるような口調で隆栄が言うと、
「そりゃぁ、経験値を積んでる方の仕事だろ?」
修司が応えた。 どうやら、この二人。 ここに居ると言っておきながら、いつもの如く、影で動こうとしているらしい。
「それで、情報は?」
「岩沙が調べてる」
「桂守さんは?」
「それが、自分の失態だと言い始めたから、俺が停めた」
「そうか…それでお前が動くわけか…」
修司は、ため息を付く。
「俺の言葉で大人しくしてる人じゃないけどな」
付け加えたように言った隆栄に、修司は思わず吹き出した。
「ったく…」
そして、春樹と慶造の方を見る。その二人から醸し出されるオーラは、今まで感じたことが無い程、恐ろしく、それでいて、冷静なものだった。いつもなら、こういう時にも言い合う慶造と春樹。 やはり、春樹の本能は、慶造と同調するのだろう。 二人を見つめる修司は、そう確信した。
阿山組本部の電話のベルが激しく鳴った。
「阿山組だ」
勝司がドスの利いた声で応対する。
『阿山は向かってるのかな?』
砂山の声だった。
「それは、言えないな」
『そうかぁ……っ!!』
勝司は、相手の声が途切れた事に疑問を抱く。 眉間にしわが寄る勝司。 側で待機している組員が、勝司の表情の変化を感じ取る。
「山中さん」
勝司は受話器の部分に手を当てて、
「向こうで何かが起こってる…」
そう呟いた。
「まさか、お嬢様が…」
組員が言った通り、電話の向こうでは、真子が暴れ始めたのだった。
「来ないで!! 来ちゃ駄目っ!! 山中さん、お父様に伝えてっ!」
真子が受話器の向こうにいると思われる勝司に叫んでいた。
なぜ、山中だと解るんだ??
電話の相手は阿山組だが、出た人間は、声が聞こえてないから、解らないはず。なのに、真子は、相手の名前を呼んだ。その事に驚きながらも、砂山は真子の口を塞ぐように手を伸ばした…が、その手を噛まれた。その事で、一瞬、電話どころではなくなっていた。
真子には砂山の心の声が聞こえていた。 相手が出た瞬間の『山中か…』という声が…。
お嬢様…。
勝司の耳に、真子の声が聞こえてきた。
お嬢様、無理です。 四代目だけでなく、真北さんも…。 その二人を守るために猪熊さんと小島さんまで…。 私は停められません。 私も向かいたいんですよ…。
勝司の表情が険しくなる。
『娘の命は、阿山の行動にかかってるで。まだ出てないんだな?』
勝司は何も応えなかった。
『だから、言ったろ、気をつけろと。…このままでいいのか?
どうやら、組員の命の方が大切とみえる。…流石だな』
真子の声が、再び聞こえてきた。
お嬢様…。
『殺すでぇ』
そして、電話が切れた。 勝司は、そっと受話器を置き、振り返る。 なんと、そこには、慶造の姿があった。 怒りに震えて立っている。
「お嬢様の声…聞こえました」
「真子は無事なんだな」
「はい。…来るなと……お嬢様の伝言です」
「勝司………てめぇ…」
慶造は、勝司の胸ぐらを掴み上げた。
「解っております。それでも向かわれる事は。…やはり、私も…」
「お前は、修司と隆栄の二人を見張っておけ」
「…御意…」
…既に、向かってるんですが……。
口にしたいが、言えない言葉。 勝司は口をグッと噤んだ。 そこへ、情報が入ってきた。
「四代目!」
岩沙が駆けつける。
「遅れました。これが屋敷の見取り図です。そして、お嬢様は
ここに監禁されております」
岩沙が指さした。
くそっ……。 真子…何もするなよ。静かに待っておけよ…。 今…行くからな。
「岩沙、お前も残って、小島をここから出すな」
「はっ」
「お前ら、…準備はいいなっ!」
「はいっ!」
慶造の号令で、組員達が動き出す。 言われた時間まで、残り十分。 真子が監禁されている場所までは十分以上掛かるのは解っていた。
「…到着と同時に仕掛けろ。その間に、真北と俺が
その場所に向かう。俺達を援護しながら、お前らも
付いてこい。相手の足と腕、肩の腱を狙え。それだけで
相手は動けなくなる。真子を助けたら、すぐに散れ」
「はっ!」
「単独行動はするなよ。…解ったな」
「はっ!」
組員達の返事に士気が高まる。
「真北」
「あん?」
「抑えておけよ」
「さぁ、どうだか」
春樹にしては、珍しく砕けた返事だった。 それこそ、春樹が本気になっている証拠。 誰もが肌で感じる春樹の本能に感化されていた。
「行くぞ」
慶造が静かに告げると、組員達は一斉に車に乗り込んだ。 そして、たくさんの車が、阿山組本部の裏から出て行った。
真子は泣いていた。 周りを囲む男達の隙間から見える政樹の姿を見つめている。
「まさちん…」
真子は政樹を呼び続けていた。
「うそでしょう?」
真子は、この状況をまだ、信じていない。 政樹は、砂山の作戦を中止するために、こうしているのだと、真子は思っていた。 それは、政樹が時折見せる、『まさちん』の表情に気付いていたから。
しかし、先程、地島から何かを言われた政樹の心の声を聞いた。
阿山の姿を見たら、お前が殺せ…か。
この手で命を奪うのは…最初で最後…。
それが、お嬢様……か…。
だから、真子は、政樹に言い続けていた。
うそでしょう? まさちん、うそだと言ってよ…。
政樹は、真子から目を反らしたまま、外の様子を伺っていた。 真子の声は聞こえている。しかし、その声から背いていた。 自分の決意が揺らぎそうだった。 政樹は唇を噛みしめていた。 自分の決意の揺らぎを悟られないように…。
砂山が真子に近づいた。
「お嬢ちゃん、残念だったね。地島政樹は、お嬢ちゃんを
誘拐するために、送り込んだ奴なんだよ。全く怪しまれず
お嬢ちゃんを誘拐する為に…ね」
砂山は、真子の涙を拭い、そして、頭を撫でた。 それでも真子は政樹を見つめていた。
「まさちん、うそだと言ってよ。…まさちん…」
政樹が振り返る。すると、真子が微笑んだ。
お嬢様…。
躊躇う政樹は、再び外を見つめた。
表が急に騒がしくなった。 一台の車が敷地内に猛スピードで入ってきた。急ブレーキと共に停まった途端、阿山組組員が降りてきた。
「来ましたっ!」
砂山組組員が叫ぶ。 それと同時に、たくさんの車が入ってきた。停まった車からは、次々と阿山組組員が降りてくる。 その途端、砂山たちが居る部屋に向かって銃口を向けてきた。
「な、なにっ!?」
阿山組の行動の速さに一瞬、怯むが、
「やれっ!」
砂山の号令と共に、激しい銃撃戦が始まった。
阿山は…何処や?!
窓から外の様子を眺めるが、慶造の姿を見つけられない。
一人で来いと言ったのに…あの野郎…。
そう思った途端、その部屋の扉が勢い良く開いた。
「砂山ぁ〜っ!!」
その声と同時に振り返ると、慶造と春樹、そして、阿山組組員達が部屋に飛び込んでいた。
「阿山っ!!」
砂山が素早く銃口を向けた。 砂山が放った銃弾は、慶造に向かって行くが、素早く避けられてしまう。 それが合図となったのか、部屋の中で激しい銃撃戦が始まった。
銃弾が飛び交う中、真子は政樹を見つめていた。 政樹も真子を見ていた。 真子を助ける素振りを見せず、真子も逃げる素振りを見せない。 二人は動かなかった。
阿山の姿を見たら、殺せ。
政樹の頭の中で、地島の声が木霊した。 慶造の姿は、そこにある。 しかし、政樹は、実行しなかった。 ただ、真子を見つめるだけ。 今、真子を助けて動けば、慶造か春樹の銃口が、政樹自身に向けられる可能性がある。 そうなれば、政樹が銃弾に倒れる。 真子が狂乱する可能性が…。
政樹は、真子を見つめながら考えていた。 その考えの中に、恐ろしい自分が居た。 真子を抱えた途端、慶造か春樹の銃口が向けられる。 銃弾が放たれる瞬間、真子を盾にすれば、真子に当たるはず…。
政樹は葛藤していた。 そして、本当の自分を見失い始める。 だから、政樹は動けなくなってしまった。
政樹………。
地島は、政樹の表情を見て、葛藤している事に気が付いた。 この状況で、躊躇う程、政樹に負担が掛かってる。 早めに終わらせなければ。 そう思い、慶造の姿を探そうと、部屋を見渡した。
何っ?!
砂山組組員が、手と足から血を流し、床に倒れていた。 誰もが動けない状態。 その時、地島の目の前で、壁が弾けた。 振り向くと、慶造の銃口が狙っていた。別の場所では、春樹の二丁拳銃が、自分に向けられている。
「くそっ!」
地島の目線は真子に移される。
「死ねっ!」
言葉と同時に、真子に銃口を向けた。
真子っ!
真子ちゃんっ!
誰もが地島の行動に気が付いた。 政樹も地島の動きに反応した。
距離がありすぎる!
くそっ!!
春樹は、銃弾が飛び交う中、真子に向かって駆け出した。
「真北ぁぁっ!!」
慶造が叫ぶ。
砂山の指が、引き金に掛かった。 それが、動く様子は、まるでスローモーションのように見えていた。 銃弾が、銃口から飛び出すのが解った。
間に合わないっ!
春樹が、そう思った時だった。
な、何!?!
地島の目が見開かれた。 春樹の足が止まった。
なんと、真子の前に、政樹の姿が!!!!
(2006.8.13 第八部 第二十話 改訂版2014.12.12 UP)
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