第九部 『回復編』
第十二話 想像通りの出来事
政樹の車が本部に戻ってきた。玄関先の停まると真子が直ぐに降りてきた。そして、そのまま、玄関をくぐっていった。表情は、とても暗く…。いつもの光景が、この日は、観られなかった。気になった組員は、車の屋根越しに真子を見つめていた政樹に声を掛ける。
「地島さん、何が? まさか、学校で?」
「…ん…、あ、あぁ……かなり深刻な事でな。
四代目は、お帰りになられたのか?」
「えぇ」
「それなら、早急に…。車、頼む」
「はい」
政樹は、組員に車を頼み、慶造の部屋に向かっていった。
ドアをノックする。
「地島です」
『……あぁ、入れ』
少し間があった後、声が聞こえた。 政樹は部屋へ入っていく。
「失礼します」
そこには、慶造だけでなく、春樹の姿もあった。
「真北さん……。すみません。後にします」
部屋を出ようとしたが、
「いいや、今で良い。…真子の卒業の事…だろ?」
慶造に呼び止められた。
「はい。…その通り……です…」
政樹は静かに応えた。
真子は着替えもせずに、部屋の中央にあるソファに腰を掛けていた。 ランドセルは、机に向かって放り投げたのか、机の上は色々な物が散乱していた。 膝を抱きかかえ、丸くなる真子の目から、涙が溢れた。
「……真子に直接……」
慶造は拳を握りしめた。
「すみません。私が話を聞くと申したのですが、校長は…」
「それ以上に、真子が自分で聞くと言ったんだろ?」
「あっ…は、はい…」
政樹は唇を噛みしめた。
「しかし、まぁ、よぉ…暴れなかったなぁ、地島」
「えっ?」
「真子が哀しむような事に対しては、相手を……なぁ」
「それは、同業者ですから…でも、相手は…」
「それでも手を出しそうな勢いなのに、どうした?」
「お嬢様の言葉に……動けませんでした」
「真子の言葉?」
「解っています。お父様には、私から伝えるつもりです。
だから、お父様には言わないで下さい……そう仰って…」
真子……。
「お嬢様は組長が卒業式に来て下さることを楽しみにしております。
だから、校長に、そう応えた事に、私は驚きました。お嬢様の口から
そのような言葉が出てくるとは……」
「真子ちゃん…迷ってたかもな」
「えっ?」
「来て欲しい。だけど、慶造の立場から考えると、それは、難しい。
もしもの事があったら…だから、その話が出たときは、そう応えると
決めていたかもしれない。…まぁ、それは、真子ちゃんに聞かないと
難しいけどなぁ」
春樹は姿勢を崩し、話を続ける。
「………俺の方に、校長と担任から直接…連絡があったんだよ。
だから、先に慶造にと思ったんだが……」
慶造から真子の卒業式に出ることが出来ないと言われれば、真子の哀しみは少ないだろうと思っての、春樹の行動。しかし、それは、遅かった。既に、真子が言われてしまった。春樹は、大きく息を吐き、慶造を見つめる。 慶造は、春樹の目線と、その思いに気が付いた。
「俺から言ったら、更に真子が哀しむだろが」
「それは……!!」
「真北、隠れろ」
「って、なんで、俺?」
「いいからっ!」
慶造は、春樹を部屋の奥へと押し込んだ。 それと同時に、ドアがノックされる。
「はい」
『真子です。お父様、今…よろしいですか』
「あぁ」
「失礼します」
真子が慶造の部屋に入ってきた。
「真子、どうした? 地島と喧嘩でもしたのか?」
真子の思い詰めた表情を見て、慶造は尋ねる。
「お父様…ごめんなさい」
「ん?」
「実は今日…校長先生に言われた事があります」
「お嬢様、その事は…私が今…」
「まさちんは黙ってて!」
「はい…」
思わず、首を縮める政樹。それには、慶造と、奥に隠れている春樹は吹き出しそうになる。
「…私の卒業式の日だけど、お父様、ごめんなさい!
やっぱり、来ないで欲しい。もしものことがあったら、
みんなに迷惑が掛かるから。…そう思って悩んでた。
そうしたら、今日、校長先生が、凄く恐縮そうに……。
大切な娘さんの記念すべき日だから、参加してほしいと。
でも、他の親御さんが、もしもの事を考えたら、それは
遠慮して欲しいと訴えたそうです。……だから、お父様。
ごめんなさい!」
真子は深々と頭を下げた。
「来るなとは言わなかったそうです。ただ…………」
「真子」
「はい」
「確かに、卒業式には出たい。真子の記念すべき日だからな。
でもな、今は大人しいとしても、その時を狙っている可能性も
考えられる。だから俺は、卒業式には行けないと…言うつもりだった」
「お父様…」
「でも、それを言うと、真子の哀しい顔が……そう思うとな…
言えずに居たんだよ。……ごめん」
慶造の言葉で、真子が顔を上げた。
「……地島から聞いた事は、でないでくれだったんだが…。
真子、まさかと思うが……」
「…それは、してない。…クラスのみんなが、話してたの。
お父様の立場が、そうさせるだけだって。……みんな、
やくざの親分って事で恐れてると思ってた。でも違ったの。
会社の社長…そういう立場と同じだって。ただ、生きている
世界が、命のやり取りをする世界だから……。お父様は、
他のお父さんと同じだって。……そう言ってたから…」
「昔と、かなり変わったんだな……学校内も、親の心も…」
なぜだ?
慶造は首を傾げた。 そして、ちらりと真子を見る。
「真子。……ありがとな」
「…お父様…」
「卒業式の話は、真子の周りの男達から、嫌と言うほど
聞くことが出来るだろうけど、俺は、真子から聞きたい。
駄目か?」
慶造の言葉を聞いた途端、真子は驚いた表情をした。しかし、その表情は、すぐに喜びへと変化する。そして、満面に笑顔を浮かべた…と思ったら、急に真っ赤な顔になり、俯いてしまった。
「……うん。……ママに……話すから、その時に…」
小さな声で、そう言った。
ん??????
真子が何故、真っ赤な顔になったのか、慶造は解らなかった。
「その…まさちんとのお話…終わったのなら…」
「あぁ、終わってる。地島、卒業まで、頼んだぞ」
「はっ」
「失礼しました」
真子はそう言って、部屋を出て行った。
「失礼いたしました」
もちろん、政樹は真子を追って、部屋を出て行く。 ドアが静かに閉まり、政樹が真子に声を掛けたのが聞こえてきた。…が、何か鈍い音が聞こえ、政樹が嘆く声が続いて聞こえてきた。 春樹が、ひょっこりと顔を出す。
「………真北ぁ」
「ん?」
「お前、脅し……かけてないよなぁ」
「俺は何もしてないぞ。…あるとしたら、まさちんじゃないのか?」
「地島が、脅したのか?」
「ちゃうちゃう。まさちんは、あぁ見えても、一般市民には手を出さないって」
「解ってる。…でも、真子に何かが遭ったら、ガキでも容赦せんやろが」
「まぁ、そう聞いてるけどなぁ」
「それなら…」
「校長の話、続きあるけど、……聞く?」
なんとなく、かわいらしい仕草で慶造に言った春樹。 その春樹の仕草に、慶造は寒気を感じてしまった。
真子の部屋に入った政樹は、机の上の状態に驚いてしまった。
「お嬢様……これは……!!!」
真子は政樹の胸に飛び込んできた。
「お嬢様…」
「もう……学校…行きたくない」
「だからって、これは…」
「どうして、校長に、あのように言ったのか、自分の力が足りないのが…
すごく…悔しくて…」
「それなら、私に直接…」
「…できないもん」
真子の声は震えていた。 泣いているのが、政樹には解った。
「机の猫が…泣いてますよ」
「……ごめんなさい」
政樹は、真子から離れ、しゃがみ込み、
「次からは、私に向けてくださいね」
優しく語りかけた。そっと見上げる政樹は、真子の涙を優しく拭う。
「…お父様にも出て欲しい……言いたかったの。…でも……言えなかった。
みんながお父様を親分だと解っていても、あのように優しく言ってくれたのは
嬉しかった。だから、それに応えるべきだった。……でも……無理…。
頭に浮かんでしまったの。……もしもの光景が……嫌な光景が…」
「お嬢様。…あの瞬間に?」
真子が校長先生に告げられた時、一瞬、体を硬直させたことに、政樹は気が付いていた。校長先生の言葉に対して、真子が悔しく思ったのだと、その時は思っていた。しかし、本当は……。
「すみません。…私の思慮不足でした。…あの時、私が
大丈夫だと声を掛けていれば、このような事は…」
「………ごめんなさい……」
政樹は真子をしっかりと抱きしめる。
「片付けますよ」
政樹の言葉に、真子は、そっと頷いた。
その日の夜。 政樹は自分の部屋で、日記を書いた後、箱に入れていた物を机の上に広げた。 猫の置物。 真子が大切にして、机の上に飾っていた置物だった。しかし、真子が投げたランドセルの勢いが、あまりにも凄かったのか、机の上でしっぽの部分が折れた形で、横たわっていた。 どうやったら、治るのか。 政樹は、しっぽの折れた猫と、折れてしまったしっぽの部分を交互に見つめて悩み出す。
次の日の朝。 真子を起こしに行く政樹は、箱の中から置物を手にし、机の上にそっと置いた。 猫のしっぽの部分には、絆創膏が貼られていた……。
「さてと。お嬢様、そろそろ時間ですよぉ……うわっ!!」
もちろん、真子の蹴りが……。
床に倒れた政樹。
益々強くなってるよ……。山本の教え方だろうなぁ…。
苦痛に顔を歪めながら、再び、真子を起こそうと………。
梅の花が蕾を見せる頃、真子の卒業式の日がやって来た。 この日の主役達が会場へと入ってきた。席に着き、祝辞や送辞、答辞と卒業式は滞りなく進んでいく。
「卒業証書授与」
その言葉と同時に、卒業生が起立する。
「代表。桜小路麗奈」
「はいっ」
凛とした美しい声が、会場に響き渡った。 麗奈が壇上へと立ち、校長から証書を受け取る。 その姿は、可憐だった。
「綺麗なお嬢さんですねぇ」
「そりゃぁ、あの桜小路財閥のご令嬢ですから」
「学校側も代表として、選ぶわよねぇ」
「でも、成績は、2番だったそうよ。私の娘が言ってましたよ」
「一番は、確か、阿山…真子さん」
「本当なら、そのお嬢さんが代表だったのに、辞退されたそうよ」
「あらまぁ、どうして? やはり、家庭が…あれだからかしら?」
「凄く出来たお嬢さんなんでしょう? 頭も良いって…」
「大人しいという噂よ」
「父親と違って? やはり、母親の血が濃いのかしらぁ」
自分の子供の晴れ姿を観ようと会場に居る家族の母親達が、そんな話をしていた。その母親達の後ろには、春樹と政樹、そして、健と八造が座っていた。母親達の会話は耳に入ってくる。 八造の拳が、プルプルと震えていた。 それを必死で停めている健。
「………くまはち、いい加減にせな、俺が怒るぞ」
春樹が、小さな声でドスを利かせて言うと、八造は大人しくなった。
卒業式は無事に終了した。
会場の外で、春樹達は他の家族達に紛れて待っていた。 健はカメラを片手に、真子が来るだろう方向を見つめ、今か今かと待っていた。 卒業生達が、丸い筒を片手に校舎から出てきた。そして、それぞれの家族の所へ駆けていったり、友達と一緒に記念撮影を始めたりと、色々な光景が、そこに見られた。 健の表情が、急に明るくなった。そして、シャッターを切る。 その方向に春樹達は目をやった。 真子が人目を避けるかのように歩いてくる。 春樹が一歩踏み出したが、政樹、八造、そして、健の三人の方が先立った。
遅れ……取ってしまった……。
そう思いながら、ゆっくりと歩いていく。 真子は突然駆けてきた政樹達に驚いたのか、目を丸くしていた。
「直ぐに帰るから、駐車場だと思ったのに」
「お嬢様、ご卒業、おめでとうございます」
三人は同時に口にして、深々と頭を下げ………。 真子の蹴りが、政樹にだけ入った……。
「ったく、ここでは、やめろと言ってるだろが」
「あっ、すみません」
周りの目を気にするが、それは取り越し苦労だった。 周りは、それぞれのことで精一杯なのか、真子達の事には気付いていなかった。
「真子ちゃん、おめでとう」
「ありがとう、真北さん。学校…楽しかった」
「次は、中学生ですね………」
と言いながら、春樹は真子の頭を撫で始める。
「真北さん?????」
本当に、大きくなったなぁ……。 ちさとさん、観てますか?
春樹は、自分の世界に……。
「ねぇ、真北さん」
真子に呼ばれて、我に返る。
「はい」
「写真……撮ろう!」
「クラスのみんなとは、いいんですか?」
「だって、中学になっても、同じなんだもん。それよりも…!」
真子は春樹の隣に並び、腕を組んだ。
「健、早くぅ〜」
「はいなぁ。…次は俺ですよぉ、お嬢様」
「駄目! 次は、くまはちで、その次は、まさちんだもん」
「俺はぁ〜??」
「カメラマン」
春樹と八造が、声を揃えて、そう言った。
「えぇぇぇぇ〜〜〜っ!!!!!」
健は嘆くが、それでも、シャッターを押していた。
慶造は自分の部屋で、書類に目を通していた。 ふと時計に目をやる。
そろそろ終わった頃か…。
フゥッと息を吐き、お茶に手を伸ばす。そして、再び、書類に目をやった。
「早く帰ろうよぉ」
校門の所にある卒業の看板前で写真を撮った真子は、早く帰りたいのか、春樹達を促した。
「そうですね。首を長くして待ってる奴が居ますから」
ちょっぴり嫌味っぽく春樹が言うと、真子は笑顔を見せた。
卒業式の前日、いや、当日の朝、出発する前まで、真子は暗い表情をしていた。 本当なら出席したくない。 だけど、その様子を楽しみにしてると、慶造に言われた途端、意を決して出発した。
慶造に早く話したい。
その思いが、卒業式を終えた後から、強くなっていた。 だからこそ、「早く帰るから」や「早く帰ろうよぉ」という言葉が出てしまうのだった。
「では、帰りますよぉ」
春樹が言うと、政樹が駐車場へと駆け出した。
「あれ、まさちんの運転?」
「帰りは是非と、しつこくて」
八造が、悔しそうに言う。
「ん???」
八造の口調に違和感を感じるのか、真子は首を傾げていた。 真子達の側に、政樹運転の車が到着。真子は自分でドアを開け、後部座席に乗り込んだ。続いて春樹、八造と乗り込む。助手席しか余っていない為、健は寂しげに助手席のドアを開けた。
「では、出発します」
政樹が優しく、声を掛けた。
真子は、卒業証書の筒を手に持ったまま、本部の庭へとやって来た。そして、桜の木を見上げ、何かを語り始めた。その時の真子には、誰も近づくことが出来ない。政樹と八造は、真子の様子をそっと伺い、自分の部屋へと入っていく。健は、カメラを片手に、とある部屋へと入っていった。 春樹は、慶造の部屋へと入っていく。
「………ノックは? 返事はしてないぞ!」
「ええやろが」
「どうだった?」
「ん?」
「だから、真子の卒業式は、どうだったのかと聞いているっ!」
「それは、真子ちゃんから聞くんだろ? 庭で語ってるよ」
「……………残りは、お前が仕上げておけ」
そう言って、慶造は立ち上がり、部屋を出て行った。 春樹は、デスクの上に目をやった。
「仕上げろって、全部終えてるだろが。…っと、俺のサイン待ちか…。
ちっ……やだな………」
と呟きながら、ネクタイを弛めて、慶造が置いていった書類に目を通し始めた。
「真子。お帰り」
庭で真子の姿を観た途端、慶造が言った。
「パパ! …あっ…お父様。只今帰りました」
真子の口調が、いつものように戻った。
「今日くらいは……いいんじゃないかな…」
そっと言った慶造に、真子は微笑んだ。
「うん。…ママに…話してたの。卒業式のこと、そして、
これからの事も」
「終わったのか?」
「終わった時に、パパが来た。……聞く?」
真子が首を傾げる。
「あぁ。…おっと、その前に」
「はい?」
「卒業おめでとう、真子」
その言葉を聞いた途端、真子の表情が明るくなった。
「ありがとう、パパ! これがね、卒業証書。それでね……」
真子は、筒の中から卒業証書を取りだし、慶造に見せた。 真っ先に見せるのは慶造。 そう決めていた真子は、慶造の前で証書を広げる。そして、卒業式の様子やクラスメイト、教師達の様子を細かく語り始めた。いつの間にか、桜の木の下に腰を下ろしている二人。 そんな二人が父娘じゃなく、なんとなく恋人同士に見える春樹。 真子の姿が、ちさとと重なっていた。 慶造は、真子の後ろに、ちさとの面影を感じながら、真子の話に耳を傾けていた。
近づけないな…。
窓から庭の様子を見つめている政樹と八造。それぞれが軽く息を吐いて、再び自分の部屋へと入っていった。
真子の中学校入学式まで、二週間もある。 その間、真子は………。
政樹とドライブばかりしていた。 梅の花が咲く場所へ。 緑が生えてきた場所へ。 そして、映画館へ……。 その政樹の車を追うかのように、別の車が走る姿が、目に入ってきた。
「真子と地島が狙われている?」
慶造が、勝司の報告を受けて口にした。
「はい。時々、地島の車を付けてるように走る輩が居ます。
そして、映画館の館内にも足を運んだようです」
「地島から報告は無いぞ」
「尋ねてみました。…気付いているようです」
「それなら、何故?」
「お嬢様の笑顔が減ることを、恐れてます。もし、報告すれば
四代目は…」
「外出禁止…と言うに決まってるだろ」
「だからだそうです」
「ったく…反抗的になってきたよな〜地島はぁ」
そう言う割に、慶造は嬉しそうだった。
「その…お嬢様は…町内の春祭りの事を口にしてるそうですが…」
勝司が恐縮そうに言うと、慶造の表情が一変した。
「それは、絶対に駄目だ。ただでさえ、付けねらわれているのに
祭りの人混みだと、狙ってくれと言ってるようなものだろが。
なのに、地島は、どうして、それを真子に言えないんだっ」
「地島…ですから…」
ごもっとも。 政樹は、同業者には強いが、真子には弱い。
「わちゃぁ…そうだよな。俺が間違ってた。……それで…」
「今、八造くんが、調べているようです」
「……八造には、大阪の仕事があるだろが」
「四月までは、こちらで本来の仕事をすると言ってます」
「それは、真子のボディーガードだろ。修司と同じ動きをして
どうするんだよ。栄三と健に任せておけば…」
「私から言ったのですが、無理でした」
「………勝司……」
「はっ」
「だからって、俺を頼るな」
「申し訳御座いません」
「俺の言葉でも、難しいだろうが。……真子に……頼むか…」
「いや、それは…」
「………冗談だ。……ま、兎に角……これは、深刻だな…。
真子の入学まで影響しなければ良いが……」
慶造は腕を組んで口を尖らせた。 どことなく、誰かさんとよく似ている仕草に、勝司は、笑いを堪えた。
「お嬢様、どうですか、気分転換に!」
政樹が真子に明るく声を掛けた。 真子は、ゆっくりと振り返る。 その表情は、すごく寂しげだった。 政樹は、優しく微笑む。
「慶造さんに、許可いただきましたよ」
拳五発と蹴り七発も…ですが…。 今回は、強すぎですが…。
政樹の笑顔の下には、その思いも隠されているが、真子には気付かれてない。
「……行かない…」
「大丈夫ですよ。さぁ、行きましょう」
政樹は強引に真子を抱きかかえて、出掛けて行く。 以前は抵抗していたが、この日は違っていた。 真子は政樹に抵抗することなく、そのまま車の後部座席に座らされる。 その様子を屋敷の窓から慶造が見つめていた。 政樹は真子に何かを話している。それでも真子は寂しげな表情をしたままだった。
「今回は、強く言いすぎたか…」
慶造が呟くように言った。
「しかし、今は本当に危険ですから…お嬢様も御存知のはずです。
四月になって、敵の動きも激しく、そして…」
勝司が深刻な表情で語り出す。
「それでも外出する地島の考えが解らん。反対するかと思ったが…」
ため息を吐く慶造は、背後に人の気配を感じ、振り返った。そこには、八造が立っていた。
「私が」
短く言って、八造は素早く何処かへ向かっていった。
「八造っ!! …ったく、あいつは…何を……まさか…」
窓から見える景色。 政樹の車が本部を出て行く様子が見えていた。その車を追いかけるように、更に一台の車が出て行った。
政樹の車が赤信号で停まった。 バックミラーに映る後ろの車が気になっていた。
また、付いてくるのか…。 今回ばかりは、やり方を変えないとなぁ。
政樹がため息を吐いた。その仕草に真子は焦ったように後部座席から身を乗り出してきた。
「わっ! お嬢様っ」
「まさちん。…お父様に、何かされたの?」
「いいえ。ただ……行き先を知ったら、慶造さんに怒られそうだなぁと
そう考えたら、ついつい、ため息が…」
「ごめんなさい…いつも…私…」
「出発しますよ」
青信号になり、真子に声を掛ける。真子は直ぐに姿勢を戻した。
「行き先…教えて!」
ちょっぴり期待したような口調で真子が尋ねると、
「内緒ですよ!」
ちらりと振り返って、ウインクしながら、政樹が応えた。その後、直ぐに笑顔に変わる政樹だが、真子の表情は変わっていない。
お嬢様…。久しぶりなのですけどねぇ。
「まさちん」
「はい」
「……前観て運転してね…」
「!!! すみませんっ!!!!」
政樹は慌てて前を向いた。
やっぱり、付いてくるよなぁ。
ちらりとバックミラーに目をやる政樹。 後ろの車は、変わっていなかった。
「次、あれ!!!」
真子は嬉しそうに政樹の手を引っ張って、ある乗り物に指を差す。
「お嬢様、先ほど乗りましたよ」
「もう一回!!」
「…もう三回も乗りましたけど…、まだ…?」
真子は、とびっきりの笑顔で地島に向かって頷いた。そして、政樹の腕を引っ張って、その乗り物に乗り込んだ。
そんな二人の様子を影から見つめる人物が居る……。
「お嬢ちゃん、また来たね!」
係員が真子に声を掛けた。
「うん」
笑顔で応える真子に、
「ようし、じゃぁ、サービスするよぉ〜!!」
真子と政樹で貸し切りになったこの乗り物。係員は、いつもの二倍の時間、作動させていた。真子は、目一杯喜んでいたが……。
「…回転系は弱いので…」
「……ごめんなさい…。大丈夫?」
政樹は、回転の影響で目が回り、ベンチに座り込んでしまった。 真子は、冷たいおしぼりを政樹の額に乗せて、かなり心配顔で政樹を見つめる。 突然、真子の表情が強ばった。そして、政樹の腕を力強く握ってきた。 真子は背後に異様な気配を感じていた。 三人の男が、真子と政樹のところへと近づいてくる。真子の手が、少し震えていた。
「…休憩中だ。後にしてくれ…」
ドスの利いた声で政樹が言った。 一瞬、怯む男達だが、一歩踏み出してくる。 政樹は、額のおしぼりを押さえながら、片目で男達を睨み付けた。
どうやら、政樹のダウンは演技だったようで…。 男達は、戦闘態勢に入った。
「休憩中だと言ってるだろ? わからないのか?」
「…俺達には、関係ないね…。むしろ、チャンスだろう?」
男達は、銃を真子と政樹に向けた。 その途端、銃を観た真子が、恐怖に激しく震え出す。
「お嬢様、大丈夫ですよ」
政樹は、真子に優しく声を掛け、真子を守るように立ちはだかった。
「だ、駄目、まさちん。やめて、やめて!!」
悲痛な声だった。 その声に、少し振り返った政樹は、真子の異変に気が付く。 掴まれた腕から伝わる、真子の震え。恐怖から震えているのではなく……。
俺のオーラに……反応?
真子の震えは、怒りから来ていることを察した政樹。 自分を守るな。真子から言われているのに、その約束を破っている……! 真子は、その事に怒っているのだろう。 しかし、この状況から、逃れることはできない。意を決して拳を握りしめた時だった。
「それ以上、お嬢様を怖がらせてみろ……。
お前らの命の保障は、しないぞ?」
「…猪熊!」
その声に反応した男達は、木陰からゆっくりと歩み寄る八造に銃を向け直し、発砲した!!
「お嬢様?」
真子は、その声で、そっと目を開ける。 目の前には、真子を心配顔でのぞき込む政樹の顔があった。
「まさちん!!」
真子は、政樹に飛びついた。
…銃声がしたのに、なぜ??
真子は、政樹の肩越しに観た光景に目を見開く。
「くまはち…」
「お嬢様、ご安心ください」
そう言って八造は、気を失っている敵の男達を引きずってその場を去っていった。 真子は、八造の姿に、何も言えず、ただ、後ろ姿を見つめるだけだった。 政樹が真子を抱きかかえて立ち上がり、八造の方に振り返る。
「怪力ですね…八造さん。一人であの男達を気絶させて
連れていくんだもんなぁ〜。それに、あの素早さ。
私、驚きましたよ。阿山組には、かなりの腕の奴が居ると
聞いていましたが、それが、八造さんなんですね。やはり、
敵にはしたくない男……!!!!」
政樹はそこまで言いかけて、口を閉じた。 自分が敵対する組の者で、真子を誘拐したあの事件のことを話しているように感じたからだった。 真子の記憶には、あの事件のことは、残っていない……。
「くまはち、強いんだよ。でも、どうして、ここに?」
「…慶造さんから言われていたんでしょう。家を出たときから
ついてきていましたから」
「そうだったんだ。知らなかったな…」
真子は、なぜか、暗い表情をする。そんな真子に政樹は、優しさ溢れる表情で、真子を見つめ、
「お嬢様、帰りましょうか」
「まだ、帰らない。あれにも、乗る……」
真子が静かに言う。
「しかし…」
「もう、大丈夫だよ」
「しかし…」
「大丈夫だって! 下ろして!」
「は、はぁ」
政樹は、真子を下ろした。 その途端、真子は、政樹の手を引っ張って、乗り物目指して走っていく。
「お嬢様!! 走らなくても、大丈夫ですから!! 帰りませんよ!」
「よかった…まさちんが、無事で……」
「お嬢様、なんですか?」
真子の声は、政樹には聞こえていなかった。
「なんでもない! …回転しないやつだから、
今度は、大丈夫だよね!」
「はい」
真子は、政樹に振り返り、飛びっきりの笑顔を見せた。
阿山組本部・慶造の部屋。
政樹は、慶造の前で頭を下げていた。政樹の横には、八造の姿もある。
「済んだことは、どうでもよい。だがな、地島。気分転換に真子を
連れ出して行くのはいいが、今回のようなことが続けば、本当に
考え直さないといけないぞ」
「申し訳御座いませんでした」
「…お前がどうしても真子を連れて外出したいというのなら、
ボディーガードとして八造も連れて行け」
「…組長、それだと、お嬢様の気分転換になりません!」
政樹が訴える。
「八造がいなかったら、あの場はどうなっていたか、
わからないだろ? いくらお前でも、真子を守りながら、
三人の男を相手にできないだろ?」
「逃げる。…以前は申しましたが、次からは……」
何かを言おうとした政樹は、ふと、その時の真子の様子が脳裏を過ぎった。
「…地島、どうした?」
「そう言えば…あの時、お嬢様に異変が…」
「真子に異変?」
「初めは、奴らの銃を観て怖がっていたのかと思っていたのです。
しかし、その後、お嬢様を守ろうとした私に怒っていると…
そう考えたのですが、違うようで…。何か、こう、表現しづらいのですが、
その…一瞬、恐怖を…お嬢様に恐怖を感じました……あれは一体……」
「真子に恐怖を?」
「はい…」
「四代目」
そこへ、八造が口を挟む。
「ん?」
「ボディーガードの件ですが、この男と一緒に居るのは、
私は、遠慮したいのですが」
「…まだ、気にしているのか?」
「気になります。それに、この男と一緒に居るときのお嬢様は、
すごく楽しそうなので、その邪魔をしてはいけません。ですので、
私は、父と同じように、影から……」
「…八造……俺は、お前を修司と同じようにはしたくない。
何度言えば解る?」
「……お嬢様のためです」
八造が力強く言った。 その言葉から、八造の決意に気付き、慶造は何も言えなくなってしまう。
修司……すまん…。
慶造は、目を瞑った。
「解った。そうしてくれ。…ただし、真子に気付かれるな」
「御意」
二人のやり取りを観ていた政樹は、首を傾げていた。
「ん? くまはちのおじさんのこと?」
「はい」
政樹は、真子に八造のことをそれとなく尋ねてみた。
「まさちん、そんなことを聞いてどうするの?」
「いえ、その、八造さんのことを知りたくなりまして」
関西との抗争の後から、猪熊修司は、引退したと耳にしていた政樹。 しかし、時々、本部に顔を出している所を目にしていた。 それは、『友人』としての訪問だと思っていたのだが…。
「えっと、えいぞうさんから聞いた話だと、確か、
お父様のボディーガードで、時々、影から守っていたそうだよ。
今日のくまはちみたいにね。だけど、くまはちには、おじさんと
同じようにはして欲しくないってお父様が言っていたんだって。
おじさんにも言っていたけど、いつも守ってくれないって……」
真子が急に口を噤んだ。
「お嬢様?」
「くまはちに…悪いことしちゃったね。まさちん、今度から気を付けようね」
「はい」
「まさちんもだよ! 私がいつも、言ってるのに、どうして、あの時…」
真子がふくれっ面になりながら、政樹をしかり始めた。
「引退した親父さん……今、何してる?」
政樹は後日、庭の手入れをしている八造に直接尋ねた。
「内緒。お前は真北さんに話しそうだしな」
「何となく、想像できるけど…お嬢様が…」
政樹の言葉で、八造の手が止まった。
「あっ、いや、その…。それ以上、尋ねられたくないなら、
もう、聞かないって。…すまん……」
「違う。お嬢様、大丈夫なのか?」
「部屋で教科書の整頓をすると仰ったけど…」
「呼んでるぞ」
「えっ?」
耳を澄ますと、真子が政樹を呼んでいる声が聞こえてきた。
「直ぐに!」
政樹が大きな声で返事をすると、
「地島」
八造が呼び止めた。
「なんですか!」
「……予習……大丈夫か?」
「よ、予習???」
「中学一年生の勉強や。その可能性があるで。お前…中退だろ」
「………八造さんも、そうだったとお聞きしてますよ」
「その後は、独学だけどなぁ、俺は」
「うっ……」
八造の言葉に、返す言葉が出てこない政樹。
『まさちぃぃん、まだぁ??』
真子の呼ぶ声に怒気がはらんでいる…。
「ほら、早く行け」
「あ、あぁ」
政樹は、真子の所へと駆けていく。 そして、案の定、真子を敬い、蹴られて……。
「ったく、あれは、地島に元々備わったものやなぁ。
噂とは全く違う奴やないか……」
八造は、再び庭の手入れを始めた。 その手が、フッと止まる。
まさちん…か…。
真子と春樹が呼び、時々慶造も呼ぶ政樹の名前。 自分もそう呼ぶべきなのか、ちょっぴり悩んでいた。 直ぐに解決したのか、手入れを始めるが、やっぱり、手が止まる。
……中学生……か……。
八造は、これからの真子と接する方法を、深く深く考え始めた。 それが解決しないまま、真子は中学生になった。
(2006.11.15 第九部 第十二話 改訂版2014.12.22 UP)
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