任侠ファンタジー(?)小説『光と笑顔の新たな世界』 外伝
〜任侠に絆されて〜


第十部 『動き出す闇編』
第十二話 束の間の…事件??

シュプールを描きながら、雪の斜面を滑り降りてくる男女。
その二人は、斜面の途中で停まり、スキー板を脱ぎ始めた。
ゴーグルを同時に取った二人は、笑みを交わす。

「更に上達しておりますよ、お嬢様」
「ありがとう。ねぇ、まささん」
「はい」
「どのくらい、居ても大丈夫?」
「そうですね……」

そう言いながら、まさは空を見上げた。

「夕方まで大丈夫ですよ」
「本当?やったぁ! …まささん、お仕事…」
「明後日までの分は終えております」
「それなら…」
「明後日まで、御一緒いたしますよ」

ニッコリ微笑んで、まさが応えると、

「うん!」

真子の笑顔も輝いた。
そして、二人は木の間を歩き始め、天地山の頂上にある、素敵な場所へと足を運んでいった。



一方、天地山ホテルでは……。

温泉。
湯に浸かる男が四人。
それぞれが、離れて座っていた。
窓際の場所で湯に浸かっている男は、窓の外を見上げていた。
曇るガラスを手で拭き、外の様子を凝視する。

入り口近い場所で湯に浸かっている男は、ドカッと湯舟の縁に仰向けでもたれかかっていた。時々、足を動かし、湯を蹴る。

「ふぅぅぅぅ……」

大きく息を吐いて、姿勢を正した。

入り口から一番遠い場所の湯に浸かっている男は、姿勢を正し、ジッとしていた。
湯で和らぐはずの体と心は、どうやら、緊張している様子。

入り口から遠く、窓から離れている場所で湯に浸かる男は、一緒に湯に浸かる三人の男の様子を眺めていた。
それぞれが、それぞれのくつろぎ方で、湯に浸かる。
窓際にいる男が立ち上がった。そして、迷うことなく、露天風呂へと出て行った。
その仕草に気付いた入り口近くの湯に浸かる男は、窓の外を凝視する。

「……雪降ってるやないかぁ」

そう言いながら立ち上がったのは、春樹だった。

「真北さん、もう上がるんですか?」

三人の様子を眺めていた向井が、春樹の行動を予測して、尋ねた。

「今夜しか降らないと言っていたから、任せたのになぁ」
「山の天気は変わりやすいでしょう? 大丈夫ですよ、支配人ですから」
「それくらいは解ってる」
「…我慢出来ないだけやって。むかいんも来るか?」

露天風呂に出て行った八造が、春樹の行動に気付き、露天風呂から風呂場を覗き込み、そう言った。

「湯上がりは、湯川さんと飲むんやろ?」
「まぁなぁ」
「今年は、俺もぉ」

いつもと雰囲気が違う向井。
何が遭った???
不思議に思いながらも、春樹は温泉を出ようとしていた。
ちらりと振り返った春樹の目線は、政樹に移った。

「はい」

春樹の目線を感じて返事をした政樹も、温泉を出ようと、湯から出てきた。

「…俺、何も言ってないけどなぁ」
「えっ? あっ。でも…」
「一緒に来るか?」
「しかし、お嬢様に知られると…」
「大丈夫や。くまはちとむかいんは、一緒に過ごすんなら、
 まさちんは暇やろが。それに、二人とはつるめないだろ?」
「えぇ…まぁ……」
「だからや」
「私は、そのような立場では…」
「慶造から言われてる」
「かしこまりました」

春樹の言葉=慶造の言葉。
四代目の命令とあれば、従うしかない政樹は、春樹と一緒に温泉を出て行った。



「…いいのかなぁ」

露天風呂で、春樹と政樹の行動を見つめていた向井が、呟いた。

「四代目の意志だから、大丈夫だろ」
「くまはちは、何とも思わないんか?」
「俺は東北の事よりも、大阪の方が気になる。それに、
 やっと落ち着いたと言われても、まだ、油断は出来ないからな…。
 桜島組……何をやらかすか、解らんし…」
「くまはちの言った通りなら、やばいと思うけどなぁ」
「お前は関わるなよ」
「暴れはしないって」
「他の組の連中は知らなくても、奴は、こっちの事情は
 細かく知ってるはずだからな…。俺よりも……」
「狙われる可能性はある…ってかぁ」

砕けた感じで向井が言うと、

「……栄三の影響……受けるなっ」
「そんなこと…無いけどなぁ………。って、あのなぁ、くまはちぃ」
「ん???」

向井は静かに怒っていた。
八造は、露天風呂に入ると、泳ぎたくなるようで……。




ちらほらと雪が降ってきた。
頂上に居る二人は、それでも広大な景色を眺めていた。
何も話さず、ただ、風を感じ、静けさを感じ、心を和ませていく……。





その日は、毎年恒例の天地山ホテル・クリスマスパーティーが開催される日だった。
今年も真子は、素敵なパーティードレスを身にまとい、まさと一緒に会場内に集まる顔馴染みのお客と話しに花を咲かせていた。
八造は、そんな二人をガード中。何処にいても、やはり、仕事を優先してしまうのだった。
向井の姿は、厨房にあった。
料理長と店長の三人で、料理の対決状態。その三人の意気込みに、他の料理人達も巻き込まれ……。
いつもよりも豪華で量の多い、料理が会場のテーブルを飾っていく。
春樹は、地山親分と一緒に話し込んでいた。
政樹は……、どうしても、女性客から逃げられないらしい。
次々と女性客に話しかけられ、長話。
それでも、目線と心は、真子の方に向けられていた。



クリスマスパーティの次の日。
またしても、真子とまさは、頂上に居た。
ちょっぴり雲行きが怪しい。

空模様ではなく………。

「それでね、真北さんがね…!!」

真子の口を春樹が慌てて塞ぐ。

「真子ちゃん、それ以上は、話さないでくださいね」

もがきながら、春樹の手から逃れた真子は、

「いいでしょぉ。本当のことなんだもん」
「それでも、まさに話すことないでしょう」
「たくさんお話すること、約束したのにぃ」
「私のこと以外のお話にしてくださいね」

春樹の言葉に、真子はふくれっ面。
それ以上に、まさがふくれっ面になっているのだが…。

「そろそろ店長の店に行きましょうか、お嬢様」

まさが優しく話しかけると、

「そうだね! そろそろ雪が降ってきそうだもん」

まるで、天気の変化が解るかのように、真子が応えた。

「では、真北さん、お嬢様と私は、中腹に居ますので、
 ホテルのみんなには…」
「俺も行く」

まさの言葉を遮って、春樹が言った。
まさのこめかみが、ピクピク……。しかし、

「じゃぁ、行こう!」

真子の明るい声で、まさの表情に笑みが浮かぶ。

「はい」

と返事をして、三人は、天地山中腹にある喫茶店へと向かっていった。

その頃……。

真子と一緒に来た三人の男は…。

ホテルのロビーにあるソファで、ゲレンデの様子を眺めていた。
向井を挟む形で、政樹と八造が座っている。
間に居る向井は、二人に気を遣いながら、話し込んでいた。

「降ってきたなぁ」

向井が呟くように言った。

「支配人の機嫌、治ってるといいよな」

政樹が言うと、

「一緒に行く!って真北さんが言った途端、不機嫌になったもんなぁ」

打てば響くように、向井が応えていた。

「くまはちは、遠慮したのにな」
「しゃぁないやろ。支配人の表情から考えられることやし。
 俺まで付いていったら、真北さんへの怒りの矛先やんけ」
「そうやなぁ。…まぁ、その方が、ゆっくりできるやろ?」
「一部を除いてな…」

やはり、八造は政樹に対しては、未だに許していない部分がある様子。
だからこそ、向井が間に居るのだが、八造自身、あまり怒りを露わにすると、向井の怒りを買うことになる為、グッと抑えていた。
向井を怒らせると、後が怖いだけに………。
向井が怖いのではなく、向井を怒らせた事に対しての、真子の怒りが、
怖い。

「ほんと、お嬢様と真北さんが居ないと、本来の姿に
 なるんだなぁ。そういう姿、お嬢様が知ったら、
 どうなるかなぁ」
「お嬢様は怒らないと思うけど、真北さんが知ったら、
 四代目だけでなく、親父にまで伝わるからなぁ。
 …どうなることやら」

いつも見せる、『真面目な雰囲気』とは別に、そこら辺りにいる男の姿。

「この姿を知ってるのは、俺らだけだろうなぁ」
「…組長は御存知だよ」

政樹が言った。

「って、まさちん、本当か?」

向井が驚いたように尋ねると、政樹は、そっと頷いた。

「色々なことに対して、真面目に、そして、自分の力以上に
 こなしていく。もちろん、誰も知らない姿もあるだろうがな。
 …組長が仰ってた。その言葉を聞いたとき、あぁ、その姿
 なんだろうなと、俺は思ったよ」
「……地島ぁ、俺はお前に見せたこと無いんだがなぁ」
「俺に対する態度から、感じるんだが…違うか?」
「じゃぁ、何か? お前に対する俺の態度が、本来の俺の姿だと
 そう言いたいのか?」
「いいや、そうじゃないんだけど…」
「そう言ってるようなものだろが」
「……お嬢様の前の姿と俺の前の姿の違いが
 あまりにも大きいから、俺はどうすればいいか、
 いっつも悩む」
「勝手に悩んでおけや」

八造の言葉には、怒りが含まれている。
間にいる向井の為に、抑えているのは解るのだが……。

「…だから、俺は一緒に行動したかったんや」

そう言って、八造は立ち上がり、出掛ける準備をする。
側に置いていたコートを羽織った。

「くまはち、自分の時間を作れと言われてるだろが」

向井が言うと、

「だからだよ」

八造は、ゲレンデに通じるドアに向かって歩き出した。

「激しく降ってるだろ。戻られるまで部屋に居ろって」

向井が引き留める。

「これ以上、側に居たくないんでな。…俺が耐えられん」

静かに応えて、八造は出て行った。

「ったく…」

困ったように八造を見送った向井は、政樹に振り返った。
政樹は怒りを耐えているのか、膝の上に拳を握りしめていた。

「すまんな、まさちん」
「…俺のせいだから、気にしないでください」
「だからぁ、俺に対しての言葉遣い、なおせって」
「向井さんは……どうなんですか?」
「言っただろ? まさちんの本来の姿を知った時は、ぺんこうに
 話すためだったけどな。お嬢様のまさちんに対する
 姿を観る度に、まさちんの本当の思いを悟ったけどなぁ」

向井は、政樹の隣に腰を下ろした。

「でも、くまはちは、最近、お嬢様の思いを大切にするばかり、
 お嬢様を見ていないみたいだし…。…困ったもんだな」
「見ていない?」
「あぁ。先走ってばかりいる。見ていて解るよ」
「私には、お嬢様のことばかり見ているように思えるけど…」
「大切な部分を見てないな。…やっぱり、自分の時間を
 ここで作って、白紙に戻ってもらいたいんだけどなぁ」
「向井さん……」

政樹には、向井が偉大に見えていた。



八造は、ゲレンデを一望できる場所に立っていた。
雪が激しく降っているにも関わらず、客達はスキーを楽しんでいる。
次々と滑り降りてくる客は、ホテルに戻らず、リフト乗り場へと向かっていく。その客を一人一人確認するかのように、八造は気を集中させていた。

フッと息を吐き、体に着いた雪を払う。

やはり、俺……。

最近、自分自身の変化を感じていた。向井が言ったように、真子の思いを大切にするばかり、真子の心を忘れかけていた。
自分でも解っている。
政樹への真子の思いは。
だが、政樹の姿を見ただけで、体の底から、何かが沸々とわき出す。
それに対して、イライラする自分が居る。
なぜなのか、八造は解らなかった。
ついつい、政樹へ冷たく当たってしまう。
あの場所から逃げ出したかった。
だから、今、こうして、激しく降る雪の中に立っていた。

反省…その意を込めて。

見えるはずのない空を見上げる八造。

頂上…行くか…。

八造は、激しく雪が降る中、ゆっくりと歩き出した。
スキーも装着せず……。




真子達が戻ってきた。

「ただいまぁ」

ロビーのソファで腰を掛けたままの政樹と向井に気付き、真子が元気よく声を掛けてきた。

「お帰りなさいませ」

二人は立ち上がり、真子を迎えるが……、

「!!! すみません!!」

真子の蹴りが、政樹の脛に入る。

「ずっと、ここに居たの?」

真子が向井に語りかけると、

「料理長に追い出されました」

寂しそうに、向井が応える。

「昨日、張り切りすぎるからだよぉ。…そんなに怒ってたの?」
「今日は、何もさせない!と言われてしまいました」
「じゃぁたいくつだね。…一緒に行けば良かった?」
「たまには、離れるのも良いかと思います」

自信ありげに向井が応えた。

「離れることも、新たな料理が生まれるかもね!」
「えぇ。実は、色々と浮かんでおります」
「明日?」
「そうですね。厨房をお借りできるか、支配人にお願いしてみます」

向井の目線は、まさに移った。

「かしこまりました。料理長にも休養が必要ですからね」
「えぇ、こういう忙しいときこそ、私の手をお貸ししたいものです」
「まさちん、時間過ごしたの?」

自分の時間を過ごしているのかが心配な真子は、そう尋ねた。

「えぇ。こうして、むかいんとゆっくり、色々と話しました。
 ありがとうございます」
「男同士の話?」

爛々と輝く眼差しで、真子が言う。

「秘密です」

政樹は、にっこりと微笑んで応えた。

「…くまはちは?」

春樹が口を開く。

「そちらに向かいましたよ?」
「逢ってないが……一人で滑ってるんかな…」

春樹が八造の姿を気にするときは、決まっている。

「真北さん、年末までゆっくりと過ごすと仰りましたよねぇ」

まさが、嫌味たっぷりで、そう言うと、

「一人で過ごすのは、可笑しいやろが」

その会話で、真子の表情が変わる。

「お嬢様、どうされました?」

まさが尋ねる。

「くまはち……!!!」

突然、真子がゲレンデに面する入り口へと駆けていく。

「お嬢様!! 吹雪いてきましたよ!!」

まさが追いかける。

「だって…くまはちが、くまはちが!」

真子の雰囲気は、いつもと違っていた。
向井は、そんな真子の姿を見たことがある。
どこかで、感じたことがある。

思い出せ…思い出せ…………。……!!!

まさに引き留められる真子。しかし、真子は、吹雪き始めたゲレンデに出ようと必死になっている。
突然、政樹が真子に近づき、真子を抱きかかえた。

「まさちん、放して!!」
「吹雪の中は危険です」
「でも、くまはちが!」
「私が行きますから」
「駄目。まさちんが怪我をするから…。まさちんが行くなら
 一緒に……私も一緒に行く…」
「お嬢様」

まさが、二人の会話を止めるかのように、声を掛けた。

「……私が行きますから、部屋で待っていてください。
 お嬢様の体も冷えているんですよ。温かくして、
 部屋で待っていてください」
「…まささん……」

まさの真剣な眼差しに、真子の勢いが殺げた。

「お願いします。……くまはちは…頂上に居るから…」

真子の言葉を聞いたまさは、直ぐにゲレンデへ出て行った。

「真子ちゃん。くまはちにも言っていたでしょう?」

春樹が政樹の腕から真子を取り上げるかのように抱きかかえた。

「…………」

春樹の耳元で、真子が何かを、そっと告げた。




あまりにも真子の雰囲気が、いつもと違う為、まさは、焦っていた。
真子が何を思い、そうしようとしたのか。
まさは、中腹の喫茶店でスノーモービルを借り、真子に言われた通り、頂上へと向かっていった。
かなり吹雪き始めた。
スノーモービルもいつものスピードが出ない。いつもより時間が掛かって、頂上に着いた。
風に流されないような場所に止め、木にくくりつける。そして、木々の間を通り、見晴らしの良い場所へと出た。
吹雪で視界が悪い。
しかし、その場所までの距離は、体が覚えている。
風に足をすくわれないようにと、注意して歩いていくと、一人の男の姿が見えてきた。

「くまはちっ」

風に負けじと声を張り上げる。
そこ見えた八造が振り返った。
顔には雪がたくさんついている。それを払おうともせず、八造は立っていた。
まさは近づき、声を掛けた。

「お嬢様が心配してる。戻ってこい」

八造の口が、微かに動いた。何かを言ってるのだろう。しかし、それは聞こえてこない。

「聞こえない! いいから、早く……!!! くまはちっ!!」

足下から崩れるように、八造の体が横たわった。



京介は、吹雪で客が途切れた為、片付けをし始めた。
洗った食器を拭き上げて、棚に納めた時だった。
突然、勢い良くドアが開いた。
京介は振り返る。

わちゃぁ、ドアを開ける程の激しさ……って!!!

「兄貴っ!」
「部屋を温めろ、急げっ!!」

まさが背負う男に気付き、京介は奥の部屋へと駆け込んだ。
部屋中の暖房器具にスイッチを入れ、風呂場からタオルを持ってくる。
まさは、背負った男をベッドに寝かしつけて服を脱がした。

「八造君に…一体、何が…」
「知るかっ」

京介の問いかけに、冷たく応え、まさは八造の濡れた体を拭き上げ、京介が用意した京介の服に着替えさせる。そして、ありったけの毛布で体を包み込み、暖房器具を側に動かした。
八造の濡れた髪の毛を拭きながら、

「自分に対しての罰だろうな」

まさが、そっと応えた。

「なぜ? 大阪での仕事も、慶造さんが絶賛するほどの
 力量なのでしょう? それでも、悔いることが?」
「それは、お嬢様の思いだろ」
「えぇ。八造くんにも他のことをして欲しいと、真子ちゃんが」
「それには立派に応えてる。だけどな、真子ちゃんの心の声に
 応えられないらしい。それに対しての罰だそうだ」
「心の声?」
「まさちんに対してだよ」
「それは、真子ちゃんを大切に想う者なら、誰でも抱くこと」
「そのお嬢様が、大切にしたいのに、それに応えられない自分が
 悪いと言ってだな、この吹雪の中、頂上で…」

八造が激しく震えだした。
まさは八造の額に手を当てる。
尋常でない程、熱い。

「疲れ切ってる体に、無茶するからだっ。京介、持ってこい!」
「すぐに!」

そう言って、京介は部屋を出て行った。
向かう先は、荷物運搬用の通路。そこにある移動式の乗り物に乗り込み、ホテルへと向かっていった。
まさは、八造の体をさすり始めた。

「しっかりしろ、くまはちっ! お嬢様に心配かけるなっ!」

その言葉は、八造の耳に届いたのか、突然、震えが止まった。

「くまはち?」

しかし、八造は、呻き声を発した。

これは、本当に………。

医学の心得がある、まさ。
八造の容態を診て、焦り始めた。

京介…急げっ!

まさの心の叫びは、ホテルの医務室で医療機器を手にする京介に届いていた。
必要な物を手に取り、再び運搬用の通路へと向かったが、

「店長さんっ!!」

その声に、京介は、この後に起こる事を予測した。





まさは、八造の腕に点滴針を刺した。スピードを調節し、そして、布団を優しく掛ける。
ゆっくりと振り返るまさは、

「……京介……お前はぁ……」

後ろに立ち、まさの助手をしていた京介は、顔をしかめた。
目にも留まらぬ速さで、まさの拳が、京介の腹部に突き刺さっていた。

「すんませんっ!」

京介は深々と頭を下げる。

「更に大変だろがっ」
「断れないんだから、許してやれや、まさぁ」

春樹が部屋に入りながら、そう言った。

「これ以上、お嬢様に心配を掛けてしまうでしょう?」

そう応えるが、春樹と一緒に真子も入ってきていた。

「知らない方が心配するから…」

真子の声は震えていた。
真子はベッドに横たわる八造の側にやって来る。その時、ふと、違和感を覚えた。

「まささん。…どうして……どうして、抑制を?」

八造の腕と足、そして、体には、抑制ベルトが着けられていた。

「くまはちから言われました」
「……だからって、何も…」
「お嬢様も御存知でしょう? くまはちの本来の姿を」
「本来の…姿?」
「ボディーガードとして、一番、身についている事です」
「守る事以外……身についている…。…無意識での行動…」
「はい。くまはちは、京介が薬を取りに行っている時に、一度
 意識が戻りました。その時に、抑制するように言ったんですよ。
 もし、意識を失った時、私に攻撃を仕掛けてしまうかもしれないと。
 そうなると、私が怪我をします。そして、お嬢様に心配を掛ける、
 だから、意識が戻るまでは…そう言ったので…」
「大丈夫…くまはちは、大丈夫だから。…私が付いてる…」
「お嬢様っ! くまはちは、もしもの事も…」
「大丈夫なのっ!」

そう叫ぶと真子は、八造の抑制ベルトを外し始めた。
その動きは、意識を失っている八造の『本能』に伝わったのか、ベルトを外された腕が突然、素早く動いた。

「真子ちゃんっ!」
「お嬢様っ!!」

春樹とまさは、同時に叫ぶ。…しかし、八造の腕は…。

「くまはち……大丈夫だから…」

抑制ベルトを外している真子の手を掴んでいた。
八造は、うっすらと目を開け、真子を見つめ、首を横に振る。
しかし、真子によって、全ての抑制ベルトを外されてしまった。
八造の額に浮かぶ汗に気付いた真子は、そっと、タオルで拭き上げる。

「ゆっくり…眠ってね、くまはち。私が付いてるから」
「……ベ……ル…トは…」
「大丈夫。大丈夫だから…」

真子は、八造の頭を腕の中に優しく包み込んだ。

「ごめんなさい…くまはち。…私が無理させてしまって…」

八造は震える手で、真子の頭をそっと撫でる。

「側に居るから…」

真子の声が、八造の耳に、優しく届いた。
真子の頭を撫でていた八造の手が、ゆっくりとベッドの上に落ちた。
先程まで感じていたオーラが、消えた。

真子ちゃん…。

八造の頭を優しく撫でる真子の姿が、ちさとと重なった。



外の吹雪は、珍しく続いていた。
いつもなら、夜になれば治まるのだが…。
中腹の喫茶店では、身動き取れない男が三人。
京介は、店の片付けをしていた。
まさは、店内の内線電話でホテルと連絡を取っている。
春樹は、窓際に座り、窓を叩く雪を何気なしに見つめていた。


春樹の前にお茶が差し出された事で、春樹は我に返る。

「…今夜は、こちらに泊まりますか?」

まさだった。

「お前もか?」
「そうですね。熱は、まだ下がってませんから」
「くまはちが高熱を出すほど無茶をするのは、本当に珍しいな」
「それ程、自分の事が許せなかったんでしょうね」

まさも、自分の珈琲を用意して、春樹の隣に腰を掛けた。

「真子ちゃんの思いに応えるばかりに、思いを裏切る…か。
 そうは見えないのにな」
「真北さんの知らない所で、男達はそれぞれの行動を
 しているだけでしょう。どうして、一緒に…」
「真子ちゃんの思いだよ。年末年始くらい休ませないと…」
「須藤達が、ぶっ倒れる……ということですか?」
「まぁな。須藤がくまはちに嫌味をぶつければぶつけるほど
 くまはちが張り切るから、更に嫌味をだな…」
「想像出来ますね」

まさは笑っていた。
須藤達の事は、橋から嫌と言うほど聞かされているため…。
それは、春樹には内緒のこと。

「……くまはちの無意識のオーラを抑えるとは、
 お嬢様も凄い方ですね。…慶造さんが…」
「まさぁ〜?」

まさの言葉を止めるように、春樹が呼ぶ。
そのオーラは、途轍もなく怖い。

それ以上、語るな。

春樹の眼差しだけで、解る。

「すみません」

まさは、そっと言った。

「真子ちゃんは知ってるだけだよ。…くまはちは、
 絶対に、真子ちゃんを傷つけない。真子ちゃんに
 手を出さない。…だから、真子ちゃんは、そうしたんだ」
「解っております。だけど、くまはちは、それでも危険だと
 呻きながら言ったんですよ?」
「真子ちゃんが側に居ることで、真子ちゃんを傷つけないようにと
 必死で抑えていたのかもな」
「………それよりも、真北さん」
「ん?」

お茶をすすりながら、返事をする。

「気になることが…」
「真子ちゃんのことか? それとも、お前が去った世界のことか?」
「くまはちの体です」
「鍛えまくってるから、筋肉は増えるし、成長期は過ぎたのに
 背は伸びる。…どこまで伸びるんだろうなぁ」
「傷跡ですよ」
「真子ちゃんに気付かれない程度に縫ってるはずだ」
「……あなたもですよね?」
「…せいかぁぁい」

春樹は誤魔化すかのように応えた。

「以前、耳にしたんですが………」




吹雪が止んだのは、明け方だった。
春樹は喫茶店の奥の部屋へと足を運ぶ。
真子は、八造の手を握りしめて、ベッドに俯せて眠っていた。
真子の肩には、京介のダウンジャケットが掛かっている。春樹も気付かないうちに、京介が様子を観に入っていたらしい。

「…真北…さん…」

八造の声が聞こえた。

「くまはち。…ったく、心配掛けるな」
「すみません。…お嬢様の体に…負担が…」
「もう大丈夫なのか?」

春樹は八造の額に手を当てる。
熱は、かなり下がっていた。

「…お嬢様の涙……もう、見たくないのに…俺…」

八造は、ベッドに俯せになっている真子に手を伸ばし、目尻で停まる涙を拭った。

「真子ちゃんの心まで考える余裕くらい…持っておけ」
「反省してます」
「それより、まさから聞いたんだが……くまはち…お前…」
「気のせいです…」
「…そうか…。…だがな、お前も知ってるだろ。まさちんの体…」
「……それも、あるのかもしれません」

八造は、静かに応えた。

「お嬢様の体に負担が掛かります」
「……自分のことを一番に考えるのも、真子ちゃんの思いに
 応えることになるぞ?」

そう言って、春樹は真子の体を抱きかかえ、八造の隣に寝かしつけた。

「!! って、真北さんっ、その…それは!」
「仕方ないだろ。真子ちゃんが放さないから」
「しかし…」
「猪熊さんは、知らないことだ。それに、この方が、真子ちゃんも
 くまはちも安心するだろ?」

真子の体に布団を掛け、春樹は優しく微笑んだ後、静かに部屋を出て行った。

お嬢様…御心配をお掛けいたしました。

八造は、真子の体を抱き寄せ、自分の腕の中に包み込んだ。
真子は安心したのか、穏やかな表情をしていた。



部屋から出てきた春樹を待っていたのは、まさだった。

「よろしいんですか?」

まさが、そっと尋ねる。

「くまはちの思いも、大切にしたいからな」
「今回の熱は、関係してる可能性がありますよ」
「そうだろうな」

まさちんも、そうだったし…。

「しかし、いつ…?」

まさが、心配そうな表情をして尋ねてきたが、春樹は、

「気にすること、ないだろ」
「そうですが…」
「それより、仕事はぁ〜? まさぁ」
「今日まで休みにしております」
「一番忙しい時期だろが」
「この時期は、お嬢様の為に」
「…真子ちゃんの為に、支配人の姿を見せておけ」
「……解りましたよ…」

ふてくされたように、まさが応える。

「熱も下がったし、後は大丈夫だろ。歩く体力があれば
 ホテルの方に戻るから、それまでは、俺が居る」
「お願いしますね」

まさはコートを羽織った。

「それと、むかいんが、特製を持ってくるそうですから。
 先程連絡があったので、京介を迎えに行かせてますよ」

ふと見ると、京介の姿は無かった。

「真北さんの分もあるそうですから」

そう言って、まさは喫茶店を出て行った。

「……だからって、ここに俺一人かよ…」

開店前の喫茶店内に、ポツンと一人残された春樹。
ちょっぴり寂しさを感じていた。
フッと息を吐き、椅子に腰を掛ける。
連絡通路のドアの向こうで音がした。
ドアが開き、両手にたくさんの荷物を持った二人の男…向井と京介が入ってきた。

「様子はどうですか?」

静かに尋ねる向井に、春樹も静かに応えていた。






時が過ぎ、雪が溶け始め、梅が咲く頃。

「お帰りなさいませ」
「お待たせぇ、まさちん!」

真子が通う学校に、政樹が迎えにやって来た。
いつの間にか、真子を敬う姿は消えていた。
元気よく駆けてくる真子に、政樹は優しく微笑んだ。

「どうでした?」
「じゃぁん!!」

真子は鞄の中から用紙を取りだした。
それは、成績表。
政樹は、じっくりと見つめる。

「今学期も学年トップですね、おめでとうございます」
「そういう約束だもん」

嬉しそうに言って、真子は助手席に乗り込んだ。
助手席のドアが閉まるのを確認してから、政樹は運転席に乗り込む。そして、車を走らせた。

「真北さんは?」
「午後五時には、帰宅するそうですよ」
「…くまはちも?」
「八造さんは、今月いっぱいまで居るそうです」
「益々…張り切っちゃったね……悪いことしたかなぁ」
「そのようなことは、ございませんよ」
「ほらぁ、まだぁ」
「すみません…難しいですね…」

どうやら、真子への言葉遣いまで、替えるように言われているらしい。

「ねぇ、まさちぃん」
「一度帰宅してからでないと、私が怒られます」
「怒られておきぃ」
「お嬢様ぁ〜」
「いつものことでしょぉ」
「それでも、駄目です。一度、帰宅します。そして、慶造さんに
 御報告してから、出掛けましょう」
「やったぁ!」
「真北さんを迎えに行きますか?」
「いいのかな…」
「慶造さんに相談ですね」
「それだと、結果が解る……」
「………そうですね……」

沈黙が流れる。

「お出かけは、明日にしましょう」

政樹が言うと、

「うん!」

明るい声で、真子が応えた。


中学生になってから、真子の雰囲気が徐々に変わっていた。
それは、笑顔で過ごせない事件の前に、良く見せていた表情。
あの頃の、明るい真子が戻っていた。
それは、政樹との出会いが影響していた。更に、驚いたこともある。

「二年生になると、勉強に忙しくなりますよ」

政樹が言った。

「また、みんなに教えて攻撃されるのかな…」
「試験前は、大変そうですね。御自身の勉強も疎かに
 なりませんか?」
「復習してるようなものだから、大丈夫だよ」
「益々、クラスの成績順位が上がるでしょうねぇ」
「二年生も同じだもんなぁ。他のクラスの人まで来るときあるよ?」
「本当に、大変ですね…」

ちらりと真子に目をやると、真子は、嬉しそうに微笑んでいた。
いつの間にか、真子の周りにクラスメイトが集まっていた。
やくざの娘だということは、周りの誰もが知っている。
なのに、その事を気にしながらも、真子の周りに集まってくるらしい。
生徒達の何かが変わっていた。
それは、少しずつ『大人』へ向かう時期ということも関わっているのだろう。

真子の笑顔が増えていく。

政樹は、それだけで、嬉しかった。
この人になら、命を預けられる。
守っていく。

政樹の思いは、阿山組の中で、一番強いもの。
それは、慶造と春樹だけが知っていた。




桜が咲き、空気が優しい色に染まる頃、真子は中学二年生へと進級した。

「行ってきまぁす!」

真子の元気な声が、響いた。



(2007.5.18 第十部 第十二話 改訂版2014.12.22 UP)







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※旧サイトでの外伝・連載期間:2003.10.11〜2007.12.28


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