第二部 『三つの世界編』 第十三話 新たな顔ぶれ 沢村家の墓前。一人の男が、手を合わせていた。 男は顔を上げ、墓を見つめる。 「ちさとさん、何故、沢村家に父が?」 「山中さんは、家族同然ですよ。当たり前のことでしょう?」 「それでも…」 「勝司さん。山中さんのお話、手紙には書ききれなかったことが たくさんあるんだけど、こちらには、いつまで?」 「その……母が亡くなり、追い出されてしまったんです」 「では、お住まいは?」 「その……」 言いづらそうに山中は目を反らした。 「もしかして、山中さんと同じような道を歩もうと考えて 本部に来たのか?」 ちさとの隣に立つ慶造が尋ねる。 「はい。ちさとさんからの手紙には阿山さんに親代わりになってもらったと 書かれてありましたので、父のような道を歩む必要はないと 母に言われました。私は気になっておりましたが、母を一人に出来ず…」 「それで、母親が亡くなった後に、思い出したんだな」 「片時も忘れておりません。父が、その道を歩んだ理由を知りたくて…。 お手紙を拝見して、そして、今日、お会いして解りました。なぜ、母を捨て その道を歩んだのか。…ちさとさん。あなたの笑顔なんですね」 「私の笑顔?」 「はい。まるで、宝物のような、素敵な…。なんと表現をしたらいいのか 解らないのですが…」 山中は、ちさとを見つめていた。 「なぜ、その世界に? 確か、その世界から離れるように育っておられたはず…」 「好きになった人が、その世界で生きなければならなくなったから。 私は、少しでも力になりたくてね」 「姐さんと呼ばれてるけどな、その世界とは関わってないよ」 「そうですか…」 少し落ち込んだような山中に、ちさとは、優しく話を続けた。 「もし、よろしければ、本部で過ごされますか? その…色々と こわい顔をした人が多いですけど、みなさん、優しいですから」 「そうですね。門におられた方、玄関におられた方。見知らぬ私を 優しく出迎えてくださったので、驚きました」 「だって、勝司さんは、山中さんとそっくりなんですもの。流石親子!」 少し嬉しそうに微笑んでいるちさとを見つめている慶造。 「そうだな…。おい、川原」 「はっ」 「お前、クビ」 「は、はぁ?!??」 慶造の突然の言葉に驚いた声を張り上げる川原。 「勝司さん、もしよければ、山中さんと同じ道を歩んでくれないか? そのな…組関係が、かなり忙しくてな、人手不足なんだよ。川原が 行っていた仕事をしてもらいたいんだが…」 「川原さんの仕事とは?」 「だから、…あんたの父と同じ仕事だって」 「お世話係ですか?」 「あぁ。川原はかなりの頭が切れるんでな、組関係を任せたいんだよ」 「あの、四代目……俺、まだ…」 「やってみなきゃ、わからんだろうが。いいな」 「は、はぁ…」 「煮え切らないな…」 「がんばります!」 慶造の怒り混じりの言葉に、ハキハキと元気よく応えた川原だった。 「勝司さんは、体を鍛えているんですか?」 慶造が丁寧に尋ねる。 「幼い頃に格闘技は一通り習っておりました。…父に…ですが…。 その中では、剣が一番得意ですね」 「真剣か?」 「一応、そちらも習いました。…でも、かなり小さい頃ですので、 今は無理だと思います」 「来て早々に悪いが、試させてもらうよ」 「試す…とは?」 「まぁ…本部に戻ってからだな…」 ニヤリと口元をつり上げた慶造に、ビクビクする勝司だった。 阿山組本部・稽古場。 勝司が中央に仁王立ちしていた。少し息が荒いが、発するオーラは、誰も寄せ付けないものだった。大きく息を吐き、一点を見つめる。 何かを握り直した。 その手には、日本刀が握りしめられている。 「最後だ」 その声と同時に、隆栄が勝司の前に立った。 隆栄の手にも日本刀が握りしめられていた。 にやりと微笑む表情に、勝司は、何かを感じた。 これには、勝てない……。 そう思ったのか、勝司は、日本刀を鞘に納めた。 「…って、ほへっ?! 俺とは、しないわけ?」 軽い口調で隆栄が尋ねる。 「恐れ入りました。スキもなく、斬りかかる場所が見つかりませんでした。 私が一歩動けば、恐らく、日本刀を弾かれ、服を切り裂かれていたでしょう」 冷静に応える勝司に、隆栄は、感心する。 「四代目ぇ、想像以上ですよ。あの山中さんよりも凄いかもしれませんね」 道場の上座に座っていた慶造が立ち上がり、中央へとやって来る。 「猪熊ぁ、まだまだ足りないな」 「更に鍛えます」 慶造の隣に座っていた修司が深々と頭を下げながら応えた。その言葉に、道場を囲むように壁際に座っていた組員や若い衆は、項垂れる。 これ以上、厳しくなるんですか…。 「あの…みなさん、それなりに腕は良いと思います。私が一太刀で 倒せないほどですから。なので、これ以上は…」 勝司の優しい言葉に、組員達は、頷く。 「いいや、手こずらせるくらいになってもらわないとな……」 修司のきつい言葉。その言葉の裏には、慶造を守り抜きたいという思いが隠されている。 「小島の腕にも気が付く程だ。安心出来るよ。勝司さん」 「はい」 「汗を流して、これから、お願いしてもいいですか? 来て早々に悪いと 思ってますが…」 「気にしておりません。その方が、私も安心できますから」 「じゃぁ、料亭で食事だ。歓迎会になると思うから…そうだ。川原」 「はい」 慶造に呼ばれて直ぐに側へと駆けてくる川原。 「松本と飛鳥も呼べ。話がある。三十分後に集合」 「かしこまりました」 慶造は、勝司から日本刀を受け取り、鞘から抜いた。 「誰か、勝司さんをシャワールームへ案内しろ。それと、部屋の用意」 「はっ」 慶造の言葉で、組員達が素早く行動する。勝司に声を掛け、そして、道場を出て行った。 「あの…」 勝司が慶造に声を掛ける。しかし、慶造は、日本刀を構え、隆栄と向き合っていた。 沈黙が続く。 そして、二人は同時に踏み出した。 キン!!! 金属音が響く。 お互い日本刀を向け合う慶造と隆栄のオーラに、誰もが息を飲む。 隆栄が、下から斬り上げた。 慶造は、体を捻って、それを避ける。そして、振り向き様に隆栄に斬り掛かる。 隆栄は、それを刀で受け止めた。 お互い睨み合う。 「で、勝司さん、待ってるけどぉ」 そんな場でも気の抜けた言い方が出来る隆栄。 「ったく、本気を出せと言ってるだろうが」 冷たく言って慶造は、日本刀を鞘に納めた。 「お互い本気を出したら、誰が治療するんだよ」 「歯止めは利くだろが」 「はいはい。ほな、招集しとくで」 「おう。宜しくな。…っと、勝司さん、自宅だと思ってお過ごしください」 「ありがとうございます」 「何か不都合がありましたら、組員に言ってください」 「はい。その…部屋は…」 「たくさんあるので、どこでも選べるんですけど、ちさとの近くがいいだろう?」 「阿山さんの部屋の近くになるんでしょうか?」 「いいや。一応、組員達とは別になる。ちさとの為に改築した場所だ。 だから、専用の出入り口もある。…普通の暮らしを…と思って作ったんだが、 結局は、この世界に入ってしまったからな…。それでも、離れて過ごして 欲しいから。…勝司さんも、その近くになりますよ」 「部屋まで用意していただいて…。本当にありがとうございます」 「…ずっと、ここで過ごしていきますか?」 慶造と勝司は、話ながら道場を出て行く。そして、勝司の為に用意させている部屋へと向かって歩き出した。 「行く当てもありませんし…よろしいんですか?」 「あぁ。ちさとにとって、そして、俺にとっても大切な人の息子さんだからさ…。 いつまでも…お好きな時まで、こんな危なっかしいところですが、 過ごして下さい。 …っと、こちらになるんですが…」 ほんの少しの間に、部屋の掃除は終わり、そして、勝司を迎える準備が出来ていた。生活に必要な道具が一式揃っている。そこへ、ちさとと慶人がやって来る。 「こちらで、過ごされるんですね」 ちさとが優しく声を掛ける。 「訪れたその日に、ここまでご用意していただけるとは…。 ちさとさん、父のようには、いきませんが、宜しくお願い致します」 勝司は深々と頭を下げる。 「こちらこそ、慶人と共に、宜しくお願いします」 「おねがいします」 ちさとの真似をして、同じように頭を下げる慶人。そんな慶人に、なぜか、勝司は躊躇っていた。 「あの…勝司さん」 ちさとが尋ねる。 「はい」 「もしかして…子供…苦手?」 「は……す、すみません!!!! 周りに小さな子がいなかったので…その…。 徐々に慣れます!!」 「たっくさん居るわよぉ〜。ね、あなた」 「ま…ぁ……な」 たくさん。 それは、八人と二人の男兄弟のことを言っていた……。 黒崎組本部。 客が、応接室に通された。案内され、ソファに腰を掛けたのは、東北地方を牛耳った天地組組長・天地と幹部兼殺し屋の原田まさだった。差し出されたお茶には手を付けず、応接室の調度品を眺めている二人。 そこへ、黒崎がやって来た。 「今日は、どうされましたか。表ではなく、裏の方へ訪ねてくるとは…」 どうやら、かなり付き合いは深い様子。警戒することなく、親しげに話しかける黒崎に、天地も応える。 「そのね…ここんとこの阿山組の動きですよ。黒崎さん、あんたも 一番気にしていることだと思うんだが…」 「阿山組の事は、放っている。そのうち、この世界から離れるだろうからな」 「好いた女の為に…か。厄介な組だよな。やり手と言われていた親分が ほとんど再起不能になっていくんだからな…。あの若造、三代目の頃までとは 全く違った意味で恐ろしいよな」 「何を考えているか、解らないからな」 黒崎は、天地の隣に座るまさに目を向けた。 「益々磨きが掛かって、いい男だな。モテモテだろ?」 「いいえ。仕事に忙しいですから」 「……なるほどな」 まさの仕事…それは、殺し……。 「で、阿山組をどうするつもりだ?」 「関西への進出、御存知ですかな?」 「そのような行動をしていることは知っている。ちょこちょこと関西に 足を運んで、親分と話をしているらしいな。川原組だったかな…。 阿山組の組員の叔父に当たる男…」 「えぇ、それだけじゃないようですよ。なぁ、まさぁ」 そう言いながら、天地はソファにもたれかかる。 「はい。その…闇の情報屋…優雅という男が言うには、関西に事業を 興す様子だと…」 まさが、淡々と語り始める。 「事業?」 「一般市民が安心できるようなものらしいですね」 「阿山らしいな」 黒崎は、足を組む。 「組員の松本を関西に放つらしいですよ」 「そんな若造を送って、何をするつもりだ? 関西の力を知らんな…」 「黒崎さんは、表で進出されておられますよね」 「あぁ。製薬関係は、一、二を争うぞ」 自慢げに言う。 「しかしな、裏は難しいな。表で進出がてら、観察していたが、関西は 本当に厄介だな。…青虎、須藤、水木、そして、その川原と藤。それぞれが 独特のオーラを発してるからなぁ。小さいながらも、底力のある谷川なんかも 注意しておかないとな…」 「そこに阿山組が加わると、それこそ、大所帯になることが予想されます」 「その前に…潰そう…という魂胆か…。ふぅ〜〜」 黒崎は大きく息を吐きながら、ソファにふんぞり返る。 「そう簡単には、いかないぞ…。相手は、阿山慶造だろが…。お前らも 一度は、阻止されたんだろう?」 約十年前の事を思い出す黒崎。目の当たりにはしなかったが、沢村家襲撃事件の後を見た。強者が、たった一太刀で倒れていた。それも鋭い斬り口で……。 「今すぐに…とは言いませんよ。しかし、準備はしておきたいですからね」 「狙うのは、阿山の四代目だけにしておけよ」 「解ってますよ」 何度も言うなといわんばかりの雰囲気で天地が応えた。 「二、三日、こちらでゆっくりされますか?」 「そうですな…。表の薬も欲しいですからね」 「原田くんは、医者にならないんですか? かなりの腕だと聞きましたよ」 「仕事に必要ですから、医学を学んだだけでございます。必要な事は すべて身につけましたから。後は、自分でどこまで応用出来るかです」 「そうか。じゃぁ、新薬を紹介しようか。竜次が、また作ったんだよな。 もうすぐ許可が下りるから、説明するよ」 「お願いします」 黒崎、天地、そして、まさの三人は、応接室を出て、黒崎組本部の隣にある製薬会社へ向かって行った……。 勝司が父の跡を継ぎ、ちさとのお世話係になってから一ヶ月が経った。時々だが、組員や若い衆の稽古にも顔を出し、同じように体を動かしていた。その中でも、勝司の動きは、ずば抜けていた。指導する修司が感心するほどだった。剣の稽古は、笹崎から直に教わった隆栄が行っている。武器に関するものは、すべて隆栄が任されていた。その隆栄の次くらいの剣さばきを見せる勝司。 「おっしゃぁ、今日はこれまで。お疲れさん」 隆栄が剣を鞘に納めながら、相手をしていた勝司に言った。 「はっ。ありがとうございました」 深々と頭を下げて、剣を鞘に納める勝司。 「しかし、まだまだスキが多いな。それにしても、姐さんの お世話係とは、もったいないなぁ。四代目も何を考えているんだろ」 「ちさとさんをお守りするだけですので、これ以上、腕を上げるのは…」 「上げたいだろ?」 「…本音を言えば、そうですが……」 「じゃぁ」 「はい」 隆栄は、真剣な眼差しで勝司を見つめる。その目に応えるかのように、勝司も隆栄を見つめていた。 「………ばんざぁい」 隆栄は、そう言って両手を挙げた。それにつられて、勝司も両手を挙げてしまう。 「はい上がった」 「……小島さん…………」 呆れたのか、それ以上何も言えない勝司に、隆栄は微笑む。 「そう堅くならない。リラックスも必要だぞぉ。ほななぁ」 隆栄は、軽く後ろ手を挙げて、屋敷へと戻っていった。 「勝司さん、また、小島さんにからかわれたのね?」 ちさとが声を掛けてきた。 「おはようございます。ちさとさん。すぐに…」 「そう急がなくてもいいのよ。自分の事は自分でできますから」 「しかし、それでは…」 「お食事の用意は出来てますから。ゆっくり汗を流してらしてね」 「はっ。いつもありがとうございます。…料理は教わらなかったので…」 照れたように頭を掻く勝司。 「では、いつもの時間にお迎えに行きます」 「今日もお願いします」 勝司は、ちさとに深々と頭を下げて、稽古場を出て行った。稽古場にいた組員達もちさとに元気よく挨拶をして、出て行く。組員達に、素敵な笑顔で応えるちさと。 「慶人くん、おはよう」 「おはよ!」 ちさとを追いかけて稽古場へやって来た慶人とすれ違う組員達。もちろん、元気に挨拶を交わす。 「ママぁ。かつじにいさんは?」 「お風呂だと思うよ」 「けいともいっしょにはいる!」 「あらら、それなら、早く行かないと、勝司さん、お風呂早いよ?」 「……そっか…じゃぁ、よるにする」 「お願いしておこうね」 「うん! …パパは?」 「パパ…まだ、寝てたはずだけど…」 「いなかったよ?」 「あら、どこに行ったのかな……」 ちさとは、慶人の手を引いて、稽古場を後にした。 その頃、慶造は、縁側に寝ころんで、朝から、目一杯くつろいでいた。 やはり、朝は弱い様子…………。 橋病院。 真北春樹は、橋雅春の治療を受けていた。 「って、おいおいおいおいぃ〜。巻きすぎやろが」 春樹は、包帯を目一杯巻かれる腕を見つめながら言った。 「このまま全身じゃ」 そう言って立ち上がり、春樹の体に包帯を巻き始める橋。 「何だよぉ!! やめれって!」 「俺の言う事、聞こうとしない奴は、こうじゃ、馬鹿がっ!」 「あのなぁ〜ふがぁ〜〜」 顔まで巻かれてしまう春樹だった。 きちんと治療を受けた春樹は、大人しく椅子に座り、橋に差し出されたお茶に手を伸ばした。 「ほんとに、進路変更しやがって。知らんぞ」 「いいんだよ。親父に反対されていたけど、人の痛みをわからないような 連中、野放しにしてられない。人に教える前に、抑え込んでやる」 「ったく。…教師を目指していた心だけは、忘れるなよ」 「解ってるよ」 春樹はお茶をすする。 「それにしても、おじさん、凄い任務に就いていたんだな」 「そんな組織があるなんて、知らなかったよ」 「ちらりとは、聞いた事があるよ。授業でも、先生がこぼれ話として 教えてくれた。実際にあるんだな。そして、身近に居たとは…」 「知られては困る組織らしいから。家族にも内緒だってさ」 「その組織に入るつもりか?」 「さぁ、それは、解らん。でも、その任務に就いても、何も出来ないだろうな」 「まぁ、兎に角、無茶だけはするなよ。…そうやって傷ばかり付けてたら 弟が泣くぞぉ」 「泣きながら、ものすごく心配するからな…泣き虫で困るよ」 そう言う春樹の表情は、嬉しそうで……。 「兄馬鹿って、言われないか?」 「言われてる」 「もう学校には連れて行くなよ。大学には、無理だろ?」 「大丈夫だって。途中にある幼稚園に行く事になってるから。そこなら安心だろ?」 「そうだな。さて、おしまい」 橋が、そう言ったと同時に、診察室のドアが勢い良く開いた。 怒りの形相で、橋の父が立っていた。 「こるるぅら、雅春っ!!! てめぇ〜授業さぼって、何してるかと思ったら まった、外科で医療品ふんだくったらしいなぁ!! いい加減にぃ〜」 「おじさん、お元気そうで」 春樹が声を掛けると同時に、怒りの形相が急激に笑顔に変わった。 「おう、真北の坊ちゃん。今日もまた、やったのか?」 「いつもお世話になってます」 「毎回言ってるけど、こいつに言わずに、俺に言ってくれよ。こいつの腕は まだまだだからな。医学校に通っても、なぁんも上達せんからのぉ」 「おぉやぁじぃ〜? いつもいつも同じ事ばっかり言いやがって…」 「おぉ、本当のことだろうが」 「それでもなぁ〜」 「やるかぁ?」 「やってやる…」 「……って、橋」 今にも親子喧嘩が始まるかに思えた、まさにその時、春樹が声を掛けた。 「なんだよ」 「病院で怪我人作って、どうするんだよ」 「…………。それもそっか。すまん。……親父ぃ、覚えておけよぉ」 「ドア閉めたら忘れるわい。じゃぁな。真北の坊ちゃん、また来てくれよ」 そう言って、診察室を出て行った。 「また来てくれって……それって、怪我をしろってことか?」 春樹は、橋に尋ねる。 「そうだろうな。…ま、あぁいう親父だからなぁ。出掛けるか」 「おう」 春樹と橋は、橋病院を出て、遊びに出掛けていった。 街の賑やかさの中、目的も無く、ただ、歩いているだけの春樹と橋。春樹が足を止めた。 その先には、警官と小さな子供。どうやら、迷子になった子供を連れて、母を一緒に探しているらしい。 橋は、気がかりだった。 父が死に、その父の跡を継ぐと言い始めた春樹の事が。 表情が、昔と違い、どことなく、恐ろしい物を秘めている。 一人になったときに見せる寂しげな表情。その中に含まれる狂気なオーラ。 そんなとき、声を掛けるのを少しだけ躊躇うが、一人の世界から連れ戻すように、必ず優しく声を掛ける橋。 「真北ぁ。大学は、決まったのか?」 「簡単に決まったよ。進路変更すると伝えた途端、推薦された。 卒業したら、すぐに勤務できる特別な所らしいよ」 「それじゃぁ、卒業試験って、採用試験も兼ねてるやつだな」 「らしいな」 「なぁ、真北」 「ん?」 「想像できないんだけどな…」 「何の?」 「あの姿」 橋は、警官を指さす。 「警官がどうした?」 「真北の警官姿が。…初めは派出所だろ?」 「そうらしいけど……なぁ、橋、それは、どういうことだ?」 「だから、似合わないってこと」 「ほっほぉ〜」 ジトォッとした目をする春樹に、橋は警戒する。 シュッ!!! 何かが空を切る音がした。 「ちっ、避けたかっ…」 「当たり前だっ!!! 益々早くなってるだろが!!」 「もっと鍛えてやる」 春樹の腕が橋に体に向かって素早く差し出されていた。もちろん、予測していた橋は、それ以上に素早く避けていた。 「なぁ、どこ行く?」 橋が服を整えながら尋ねる。 「図書館」 「そう言うと思った」 そう答えながら、二人は歩いていく。 「ところで、ライバルはどうなった?」 「同じように歩んでるよ。いっつも意見が合わないけどな、腕は同じ」 「将来のライバルだな。がんばれよ」 「おう、お前の怪我、全て治してやるからな」 「そんなに怪我しないと思うけどな…」 「いいや、絶対にする……」 力強く応える橋だった。 東北・夜の繁華街。 天地組組長の天地と幹部の原田まさ、そして、その二人の後ろを天川と湯川が歩いていた。その四人を守るようにボディーガードが、少し離れた所を歩いている。 「まさぁ、久しぶりに飲むか?」 天地が、まさに尋ねる。 「そうですね…。登と湯川も、ここ暫く働きづめでしたから。 お前ら、飲むか?」 後ろを歩く二人に声を掛けた、まさ。 「はっ」 二人は、元気よく返事をする。 そして、天地たちは、行き付けのスナックへと入っていった。 スナックの中は、賑わっていた。天川と湯川が、ホステス達と愉快に話していた。そんな様子を見つめながら、まさは、静かに飲んでいた。天地は、スナックのママと話し込んでいる。ドアの所には、ボディーガードが、店に入ってくる客を一人一人チェックしていた。 「ねぇ、天地親分」 「ん? なんだぁ? 何か欲しい物があるのか? 言ってみろ」 「いいの?」 「ママの願いなら、何でも叶えてあげるよ」 天地は、甘い声でママに言った。 「親分の赤ちゃん」 ママの言葉に、天地は、口に含んでいたアルコールを吹き出した。 「って、ママ、何をっ?!」 「駄目ぇ?」 「まぁ、いいけどなぁ。俺は、所帯を持つ気はないぞ」 「まだ、気にしてるのね?」 「あぁ。…ママにも迷惑掛けたくないからな…」 「優しいね……」 そう言って、ママは、天地の肩に頭をちょこんと置き、少し離れた場所に居る、まさを見つめた。 「まさちゃん、いつも一人で飲んでるね」 「あぁ」 「好きな人、居ないのかな…」 「俺以上に警戒してるよ。仕事が仕事なだけに、狙われやすいからな」 「狙われても、相手にならないんでしょう?」 「相手が弱すぎるよ」 「まさちゃんが強いだけでしょぉ」 「そうだな…。まさか、あそこまで、育つとは思わなかったよ」 まさの事を話す天地の表情は、とても優しく…。 「いてっ!」 ママが、天地の頬を抓った。 「何するんだよっ!」 「もぉう! 私にも、そんな表情見せてよぉ」 「ん?」 ママの言う事が解らない天地は、首を傾げる。 「まさちゃんの話するときの表情!」 「いつもと変わらないだろ?」 「いいえ、違います!」 「ったく、嫉妬か? …んー、チュッ!」 天地は、ママの頬に口づけをした。 「じゃぁ、今夜は、お世話になるよ。…本当にいいのか?」 ママは、嬉しそうに微笑んでいた。 その時だった。 大きな物音と同時に、銃声が聞こえた。 「きゃっ!!!」 ホステス達は、しゃがみ込む。 天地が振り返ると、ドア付近に立っていたボディーガードが、一人の若い男を抑え込んでいた。男は、天地を睨み付けている。その男の顔に、ボディーガードの拳が飛ぶ。それでも怯まない男に、ボディーガードは、容赦ない蹴りを見舞っていた。 壁に放り投げられる男は、背中を強打し、床にずり落ちる。そして、血を吐き出した。 「ぐはっ!!!」 男の視界が暗くなる。顔を上げると、そこには、天地とボディーガードが立っていた。 「誰の差し金だ?」 天地が静かに言う。 「うるせぇっ!! 天地、てめぇだけは許せねぇ!!」 天地を怒鳴りつけた男は、目にも留まらぬ早さで立ち上がり、天地に拳を差し出した。その拳は、ボディーガードによって阻止される。 「くっ…」 男の腕を握りしめるボディーガード。その手に力を込める。あまりに強さに、男は跪く。 「!!!!」 男の額に銃口が突きつけられた。驚きのあまり、目を見開く男は、ボディーガードを見上げる。 そのボディーガードの前に、一人の男の腕が見えた。 「もういい。やめておけ」 まさが、ボディーガードに声を掛けていた。ボディーガードは、天地に目線を移し、天地の返事を待っていた。 「まさ、どうするつもりだ? お前が殺るのか?」 「親分、ここは、血を流す場所じゃありませんよ。…それに、死ぬ気の 奴を殺すほど、つまらないことはありませんから」 「俺を狙ったのに?」 「返り討ちを待っているだけですよ。そんな奴は、生かしておくのが 一番苦しい事ですよ」 冷酷な眼差しを男に向けるまさ。その目に、男は、恐怖を抱き、震え出す。 「殺しはしないって言ってるだろうが。ほら、立てよ。治療してやるから」 まさは、男の腕を掴み、立ち上がらせる。 「ママ、奥を借りるよ。それと救急箱も」 「どうぞ」 「登、片づけ頼む」 「はいよ」 まさは、きょとんとしている男を連れて、店の奥の部屋へと入っていった。 「優しいのか冷たいのか、解らないわねぇ、まさちゃんは」 「優しいんだよ」 短く言っただけで、天地は、再びアルコールを飲み始めた。 まさは、男に傷に包帯を巻きながら、男に尋ねる。 「名前は?」 「………」 「俺は、原田まさ。天地親分にお世話になっている。…もちろん、殺しが仕事だ。 お前なんか、簡単に殺せる。だけどな、死のうと思っている奴を殺すほど、 俺は優しくないからな。苦しい事があっても、それを乗り越えるくらいの力は 誰にでも備わっている。死ぬ事は簡単だ。そんな簡単なことを直ぐにして どうする? 他に何か方法は無いか、それを探ってからでも遅くはないだろう? いずれ、死ぬんだからさ、生き物は」 まさの言葉を聞いて、男は、泣き始めた。 「失恋、借金、住む場所を失って…俺……俺……思いついたことが、 死ぬ事だった。電車に飛び込んだら、他人に迷惑がかかる。飛び降りてもだ。 だから、やくざにボコボコにされて野垂れ死ねばいいと…そう思った。 だから、俺……」 「銃は何処で手に入れた?」 冷静に尋ねるまさ。男は、ゆっくりと口を開いた。 「……拾った…」 「ほっほぉ〜。そぉんな危険な物が、街の中に落ちてるってか…」 まさは、男を睨み上げる。 男は、目を反らした。 「………金を借りた組は、どこだ?」 ギクッ…。 男の表情が変わる。まさは、それを見逃さなかった。 「親分を狙う輩は、許さない…。特に、他人の手を借りようとするやつは…な」 まさは、男の顎に手を掛け、顔を上げさせる。男は、まさを見つめた。 「解放……されたいだろう? 俺に任せろよ…………な…」 にやりと口をつり上げるまさ。男は、そっと応えた。 明け方。天地が、スナックのママと甘いひとときを過ごした頃、まさは、一つの組事務所を潰していた。そして、天地を狙った男と天地組組事務所へと戻ってくる。 まさの部屋に通された男は、きちんと姿勢を正して座っていた。 まさは、シャワーを浴びて、部屋へと戻ってくる。 「おう、お前、好きに過ごして良いぞ。飲物も好きにしろよ。 いろいろと揃えているからさ」 「ありがとうございます。…その……」 「お礼は、もういいよ。これで、お前は自由だ。これからどう過ごす?」 「その……」 「何か飲むか?」 「俺が…私が用意します!!」 男は、立ち上がり、コーヒーを煎れ始めた。ソファに座るまさにコーヒーを差し出す。 「どうぞ」 「おっ、良い香りだな。…俺は、ここまで香りを引き立てられないなぁ」 「ありがとうございます。その…親分さんにお詫びを…」 「俺から言っておくよ。……で、どうする?」 「その…こちらでお世話になっては駄目でしょうか…」 「ここは、やくざだぞ? お前、違うだろうが」 「俺を地獄から救って下さったお礼です。何でもします!」 「……いいのか?」 「はい」 まさは、大きく息を吐き、そして、尋ねた。 「名前…まだ聞いてなかったな」 「店長京介(てんちょうきょうすけ)と申します」 「京介か」 「はい。…その…まさ兄貴…」 「ん?」 「失礼ですが…おいくつですか?」 「俺? これでも十七になるよ」 「えっ????」 自分が思っていた年齢よりも少なかったのか、驚きの表情のまま硬直してしまった店長京介。 「おぉおぉい、京介ぇ?? 京介?? どうしたぁ?」 京介の目の前で手を振るまさ。 その仕草こそ、十七歳の少年、そのものだった。 幹部としての貫禄を醸し出しているまさ。 それには、誰もが驚く。もちろん、この日、初めて逢ったにもかかわらず、親しく話しかけてくるまさの姿に魅了された京介も…。 「兄貴、お待ち下さいっ!!」 「こちらにご用意致しました、兄貴」 「兄貴!!!」 いつの間にか、天川や湯川よりも、まさを慕う京介。流石のまさも、それには、参っていた。 「お待ち下さいっ!!」 そう言う京介から逃げるように歩くまさを見つめる天地。 「大変だな、まさも」 優しく微笑んでいた。 こうして、またまた、賑やかになる天地組。 天地が密かに企んでいる恐ろしいことは、この時、誰も気が付かなかった。 (2004.3.12 第二部 第十三話 UP) Next story (第二部 第十四話) |